箕輪城(みのわじょう)
箕輪城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 千葉県柏市箕輪字城山721他
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 相馬氏?
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 相馬氏、高城氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
戸張城(千葉県柏市)[2.2km]
我孫子城(千葉県我孫子市)[2.3km]
増尾城(千葉県柏市)[3.5km]
松ヶ崎城(千葉県柏市)[4.1km]
布施城(千葉県柏市)[5.0km]
中峠城(千葉県我孫子市)[5.5km]
小森城(千葉県白井市)[5.9km]
佐津間城(千葉県鎌ケ谷市)[6.6km]
根木内城(千葉県松戸市)[7.5km]
前ケ崎城(千葉県流山市)[7.7km]
箕輪城の解説文
箕輪城の口コミ情報
2024年09月20日 マグロ常陸介祐平
大井追花城[箕輪城 周辺城郭]
「おおいおっけじょう」と読みます。サイトの登録城の戸張城の大津川をはさんだ東の台地の先端に位置します。
土塁が残るとされる鉄塔の立つ主郭は、坂(堀跡)の上の1m強のコンクリートの壁の上から入れるようですが、人目もあり、よじ登っての入城は断念しました。2郭は現在造成中で、ちょうど地形がはっきりとわかる状態でした。造成の盛土の可能性もありますが、土塁状の土盛りも見られます(写真は全て2郭付近です)。
城主は、高城氏、坂巻氏、座間氏と諸説あるようですが、坂巻氏に関しては面白い伝承があります。
追花城の城主坂巻若狭守と大津川対岸の戸張城は仲が悪く、とうとう戦となり、坂巻若狭守と戸張方の大将の戸張弾正は、追花城の城山を上がったところで一騎打ちとなります。組み合ながら下の田んぼに落ち、泥の中の苦しさから、どちらかが相手の鼻に喰いついたことから、この田んぼは「鼻喰田(はなつけげ)」と呼ばれるようになったと伝わるようです。
2024年09月19日 マグロ常陸介祐平
平将門 王城の地[箕輪城 周辺城郭]
『城』というカテゴリーで合っているのかわかりませんが、Googleマップに「平将門 王城の地」として位置登録されているので行ってみました。
説明板には「将門記の王城の地とは、此の地なり 将門記にいわく、王城を下総の国の亭南に建つべしとあります。この地より眼下手賀沼を望めば大井の津が一望でき、北に筑波山を拝し西に富士山を拝し関八州を手中にできます。この地こそ王城建設にふさわしい所であります。(後略)」と書かれており、伝承地の一つのようです。
城域の中心には「将門山 津左エ門本屋敷」という土塁状の土盛りがあり、周囲を巡る未舗装路は、「相馬小太郎 平将門 王城通り」と名付けられています。
将門の王城伝説は平安時代の書では将門記の他に扶桑略記に「下総国猿島郡岩井」、今昔物語には「王城を下総の国の南の亭に建つべき儀を為す」とあり、相馬郡ということであれば、下総国の南ということで、伝承地としてはアリなのかもしれません。
岩井地区、守谷地区同様、手賀沼南岸地域は将門伝説が溢れています。
2024年02月11日 マグロ常陸介祐平
泉城[箕輪城 周辺城郭]
泉城の城名は、一説に鎌倉時代後期に陸奥に移住した相馬泉五郎胤康(後の相馬岡田)に因むといわれているようで、城域には妙見宮が祀られています。Googleマップの登録地点は畑・ネットで囲まれた果樹園となっていて入りずらい雰囲気でしたが、果樹園の方がたまたまいたので声をかけ、見学させていただきました。
体系には「現存する遺構のあちこちの部分から、かなり広大な規模で完成された城を見ることができ、注目に値する。中略、土塁・空堀から三郭を確認できる。」とありますが、残念ながら遺構らしいものは見つけられませんでした。
また、「500m東によった大手と考えられる地点までには、土塁と道路の喰違い十字路、折りなどがところどころにみられる。」とありますが、こちらも見つけることができませんでした。
探し方が悪かったようです。
2023年10月15日 マグロ常陸介祐平
泉妙見山城[箕輪城 周辺城郭]
泉城と鷲野谷城の中間に位置するお城です。泉妙見社の標柱の側面の説明では、「中城という小字で、戦国時代に館があったところといわれいる」と書かれています。
妙見社周辺の狭い範囲に土塁と切岸を見ることができます。
2023年10月14日 マグロ常陸介祐平
香取神社[箕輪城 寺社・史跡]
鷲野谷城から南東に300m、泉妙見山城から北西に500mの高台に位置する神社です。
城としての伝承は無いようですが、1m程度の高さがある土塁に囲まれ虎口状の箇所も見られます。単純に神社の土塁だと思われますが、ドキッとしました!
城や砦が多く存在する地区ですが、遺構の状態?や曲輪感?は、高いほうだと思います。
神社自体は天保9年に再建された彫刻の美しいものでした。
2023年10月14日 マグロ常陸介祐平
鷲野谷城[箕輪城 周辺城郭]
星神社周辺が城域となります。
神社の周囲や神社には通じる正面の道路沿いに断片的に土塁が確認できます。
100m程東に土塁に囲まれた、江戸期の名主の館(登録文化財 染谷家住宅)が存在しており、関連するものかもしれません。
2023年10月08日 加納遠江守
箕輪城
道の駅がすぐ側。手賀沼病院が建ってしまい、本廓ほとんどは開発されるか私有地になってしまいました。昔はすぐ近くまで海の要衝でした。
2023年10月07日 和泉石狩守
箕輪城
主郭は病院や個人宅なので不法侵入になりますから入れません。開発前に保存してもらいたいものです。
2023年05月23日 信濃守学堂
箕輪城
手賀沼に近い舌状台地は、様々な点から要地とされていたであろう事が容易に推測されます。我孫子駅でレンタサイクルを調達し、手賀沼の南方の増尾城も含めて3時間くらいで行って来れました。気持ち良いサイクリングロードもあり、快適ですよ!
2023年01月31日 ruiw0302
箕輪城
手賀沼を見下ろす台地に築かれたお城。高台のほとんどはかなり大きい病院になり地域の人々の重要な施設になっている。病院の外れに北条家に三代仕えた高城家のお城の遺構が確認できる。全貌を眺めて立地関係など往時の雰囲気を楽しめたお城だった。
2022年10月12日 博万之里武田武者兵部卿
箕輪城
箕輪城は城跡等、現在は山を切り崩した感じでした。駐車場は階段を上がりました場所に一台停めれました
2022年10月01日 ファン掃部助トム治郎
箕輪城
我孫子駅から歩いて小一時間。近くの道の駅で腹ごしらえして攻城。利根川東遷、印旛沼干拓といった事業の前の下総以南は河川、湖沼、海に囲まれた独立国のようなものだったのだろうなと想像しながらバスで柏へ。
2022年08月14日 大納言Z周防守369
箕輪城
道の駅しょうなんの南側の道路を西へ向かい、手賀カフェという喫茶店☕🏠️があるところの農道を左へ曲がって南下すると、しばらくして右手に階段がありますのでそれを登ったら城(というよりも病院)に到着します。道の駅から徒歩10分足らずで到着できます。
登城した感想はシンプルに大きな病院でしたが、一部空堀等の遺構が残されていました。
2022年02月07日 マグロ常陸介祐平
箕輪城
大きな病院となっており、写真の説明板があります。説明板の裏側には遺構が残っているようですが、ロープがはってあり立ち入れません。説明板の先の車道の行き止まりから急坂を下る歩道がありますが、周りは雑木林で遺構は確認で来ませんでした。柏市最大級の城が実感できず残念でした。
写真3枚目は、柏市郷土資料室に展示されている城址から出土した宝篋印塔。
2021年07月26日 順☆散歩征夷大将軍508+23
箕輪城
遺構の大半は破壊され、病院とその駐車場になってしまっていますが、わずかながら(II郭の南半分)遺構が残っています。今年の春には説明板が新しく設置され、そこには「箕輪城は昭和56年から平成25年にかけて8回発掘調査が行われ、柏市の中でも最も解明が進んだ城である」というようなことが書いてありました。なお、説明板は病院の正門から10mほど進んだところ、道の右側にあり、そこがII郭の跡でもあります。なお、郭の南側には空堀も残っています。
遺構
手賀沼の南岸、南北に伸びる比高約20mの台地突端部に位置する。かつては、土塁と空堀により「田」の字形に区画された曲輪が存在し、それぞれが土橋で繋がっていた。
しかし、平成10年(1998)の病院建設により西側の遺構の多くを失ったとみられ、さらに同26年(2014)の病棟の増設により、北東の主郭、南東の二郭も大部分が改変を受けている。
現在は、二郭の南側に空堀と土塁の一部を残すのみである。
歴史
築城主・築城年は不明ながら、箕輪城の地は13世紀後半から千葉氏の支流・相馬氏の支配地域だったという。戦国時代には高城氏の持城であったことから、高城氏の居城・小金城の支城であったと考えられる。
『相馬文書』ではその他に箕輪三郎を城主の名として挙げている。
交通
・JR常磐線我孫子駅から車で約10分参考文献
・『東葛飾郡誌』千葉県東葛飾郡教育会、1923年。・『日本城郭大系 第6巻』新人物往来社、1980年。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。