増尾城(ますおじょう)

増尾城の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県柏市増尾稲荷下667他

旧国名

下総国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

不明

築城年

16世紀後期

主な改修者

主な城主

相馬氏、平川氏(高城氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、櫓台、土塁、横堀(空堀)、薬研堀、虎口

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

戸張城(千葉県柏市)[1.7km]
箕輪城(千葉県柏市)[3.5km]
根木内城(千葉県松戸市)[4.1km]
松ヶ崎城(千葉県柏市)[4.3km]
前ケ崎城(千葉県流山市)[4.8km]
佐津間城(千葉県鎌ケ谷市)[5.0km]
我孫子城(千葉県我孫子市)[5.2km]
小金城(千葉県松戸市)[5.9km]
布施城(千葉県柏市)[6.1km]
金ヶ作陣屋(千葉県松戸市)[6.5km]

増尾城の解説文



増尾城(ますおじょう)は、千葉県柏市増尾にあった日本の城。城跡は「増尾城址総合公園」となっている[1]

概要 

増尾城は、高城氏の家臣・平川若狭守によって築かれたと伝わる城である。西と南に旧道が通っていたことから、両道の押さえとして築かれたものと考えられている。

構造 

大津川とその支流によって形成された舌状台地上に占地し、舌状台地全体が土塁と空堀を用いて二郭に区画されている。

舌状台地基部は空堀を用いて遮断されており、加えて郭内に土塁が設けられている。また、外郭土塁南端に櫓台が突出しており、脇に開く虎口を防御し、空堀内への横射が可能となっている。この空堀は北側の腰郭状削平地に繋がり、腰郭は台地端まで伸びる。

遺構 

一部が崩落しているが、土塁及び空堀が比較的良く残る。

参考文献 

  • 千野原靖方 『東葛の中世城郭』 崙書房、2004年、ISBN 4-8455-1101-0、161-165頁。

増尾城の口コミ情報

2024年02月25日 マグロ常陸介祐平
増尾城



高城氏の家臣、平川若狭守が城主とされる主郭と副郭の二つの郭で構成されるコンパクトなお城です。

増尾城址総合公園として整備されており、遺構の状態も良く見やすいお城です。

2024年02月25日 マグロ常陸介祐平
薮崎邸の長屋門[増尾城  寺社・史跡]



藤心陣屋の移築門がある法林寺から、西に150mのところに薮崎邸があります。長屋門は江戸時代中期に建てられたもので、柏市の景観重要建造物に指定されています。屋敷の周りは構堀(水堀)となっていて中世の館の系統を受け継いでいるような感じです。

増尾城から徒歩十分程度です。

2024年02月10日 マグロ常陸介祐平
藤心陣屋説明版[増尾城  碑・説明板]



本多正信の弟、正重が1616年に舟戸藩(柏市内)を立藩した際に飛び地の支配のために置かれた陣屋で、本多氏が舟戸藩→旗本→舟戸藩→沼田藩→田中藩と移動しても藤心の知行は続いたようです。

残念ながら現地に遺構は見られませんが、南西1.5kmにある観音寺(写真1枚目)と北に2kmにある法林寺(増尾城そば、写真4,5枚目)に門が移築されています。

2023年04月22日 おかっぴき
増尾城

良く土塁や空堀が残っていて気持ちが良い。説明板や石碑ある。現在、公園として憩いの場にもなっている。駐車場あり。

2023年03月20日 マタローちゃん式部大輔
増尾城



城の南に駐車場あり。城へは東西からアプローチでき、東側が低くなっている。城址公園として整備されており見学するのも楽。

2023年02月06日 RED副将軍
幸谷城[増尾城  周辺城郭]



住宅街に残存する相馬氏ゆかりの居館跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代等の詳細不詳。この地は千葉氏一族の相馬氏の所領でした。4代当主の相馬胤村が遺言を残さずに急死したため惣領代を務めた後妻の阿蓮の居館跡とも云われます。その後、相馬氏は内紛により分裂。戦国期にはこの地は小金城の高城氏により支配されていました。近隣の増尾城が拠点となっていましたのでその支城として活用されたかもしれません。いずれにせよ古くからの城跡であることは間違いない様です。

見所
地主様のご好意と地域ボランティアの協力により、きつね山歴史公園として整備されています。主郭は方形の土塁囲みに南と東に虎口が開口。周囲は折れの伴う空堀が巡っていました。風化により土塁や堀は甘くなっていますが、主郭の食い違い虎口や土塁はしっかり残っています。住宅街に残る貴重な城郭遺構です。地主様、ボランティアの方々に感謝感謝。

2022年11月12日 大宰少弐ヒデキ
増尾城

城址の雰囲気があり行く価値あります。おすすめです。駐車場あります。

2022年05月30日 Maru姫22
増尾城

公園として整備されてますが、しっかりと遺構を確認することができます。関東ローム層の土塁を肌で実感できました。

2022年05月29日 mootze
増尾城

柏市郊外にあり、公園になってます土塁も、残ってます。堀の深さや土塁の高さより、防御力が、高いお城かなと思いました。

2021年07月09日 徐如林征夷大将軍やなんちゅ
増尾城



増尾城、松ヶ崎城、幸谷城(城めぐ未登録)の御城印は【道の駅しょうなん】で販売してます

2021年05月07日 織田上総介晃司
増尾城

増尾城址総合公園の一番南側の駐車場に停めて公園に行くとすぐ増尾城の櫓跡が見えます。
思ったより遺構が残ってました。

2021年05月04日 国府左京大夫城介
幸谷城[増尾城  周辺城郭]



下総相馬氏の居館

【歴史】
15世紀後半頃に下総相馬氏によって築城され、16世紀まで使用されたと考えられている。

【遺構】
増尾城の南600mに比高10mほどの高台に築かれており、地元では狐山との名称で呼ばれている。
主郭は方形で土塁と空堀で囲まれ、南北に郭や腰郭があり、主郭を中心とした連郭式城郭となっている。
遺構としては、主郭の土塁や空堀、喰い違い虎口が良好に残っている。また、北東部に物見台と腰郭、南東部に腰郭が残っている。

【感想】
この幸谷城は個人の所有地を公園として、開放しています。特に、北側の登城口は完全に個人宅の入口となっており、知らなければ絶対に入れません。事実、自分も「え、ここ?」と入るのに躊躇し、周囲を回り、別の個所から入りました。一応、西側と南側からも入ることが出来ます。
個人宅ということで、かなり綺麗に整備されており、更に説明版などがあり、ちゃんと見せるということを意識した公園となっています。土塁はかなりはっきりと残っており、2か所ある虎口は土塁が喰い違いになっている。特に、西側の二重土塁、南側の城内で最大規模の土塁が見所だと思います。一部の空堀は、かなり埋まってしまっているが、どのように掘られていたのかは分かります。
増尾城をリア攻めするのであれば、是非幸谷城も攻めてみるのもお薦めです。

【アクセス】
東武野田線の増尾駅から徒歩で10分程。
明確な駐車場はないので、車でリア攻めする場合は、増尾城の駐車場を利用し、そこから徒歩6分程。

【写真】
1:北側登城口は完全に個人宅入口
2:説明版
3:主郭西側の二重土塁と空堀
4:主郭南側の土塁
5:南東部の腰郭(入口)
6:南側虎口
7:物見台
8:主郭

2021年04月20日 みめぐり
増尾城



城址公園になっており、キレイに整備されています。遺構の保存状態もよく、主郭・副郭を囲むの高い土塁の上をグルっと歩く事ができますが、とても滑りやすい土壌なのでご注意を!!

2019年05月04日 椿下総守昌家
トイレ[増尾城  トイレ]

車椅子対応トイレもあります。

2016年11月15日 まー刑部卿
増尾城

芝浦工大柏高校側には駐車場はありません。城址公園ということであまり期待してませんでしたが副郭の土塁や空堀が明瞭に残っていましたが本郭のある四阿周辺は遺構と呼べそうなところはありませんでした。副郭に石碑と説明板がある程度でした。

2013年02月01日 野舘宮内少輔サラマンダー
増尾城

…続き2/2

 郭の構造は、東西約130m、南北45〜100mで東西に長い三角形状の縄張構成となり、台地東端の先端部に三角状の主郭(Ⅰ)と台地西側の方形の副郭(Ⅱ)が連続して並びます。それぞれの郭は、土塁、横堀(空堀)、切岸(崖)などの防御施設で取り囲まれ、虎口(出入り口)が2ヵ所設けられています。郭内の土塁の高さは2.5〜3mあります。主郭と副郭の北西辺の土塁がとぎれないこと、南西隅に大規模な張り出し櫓があるところが特徴とされます。
 城跡眼下の河川は分水嶺(郡境)とされ、この南側一帯には、鎌倉・南北朝時代に「相馬御厨」という伊勢神宮の荘園が置かれ、『相馬文書』によると千葉氏庶流の相馬氏が代々土地を伝領したことが知られ、増尾字本郷には相馬氏の守護神とされる妙見堂跡や相馬氏の居舘とされる幸谷城舘跡などが点在します。

平成十八年三月三十一日 柏市教育委員会



…以上、増尾城址総合公園管理事務所の許可を得て記載致しました。
一所懸命に記入しましたが、記載間違い等あるかも知れません…
その際はゴメンナサイ…

2013年02月01日 野舘宮内少輔サラマンダー
増尾城

増尾城址総合公園、管理事務所で頂いた紙面上の文章


増尾城跡

 増尾城址公園の一角には、約五〇〇年前の戦国時代後半代の築造形態を残す中世城郭が所在します。
 城跡の由来については、当時の資料が残されていない今、城主や築城の目的など詳しいことはわかりませんが、大正十一年刊行の「土村誌」には、土地ではこの山を「城山」と呼んでいたこと、同十二年に編纂された「東葛飾郡誌」には、戦国時代、当地は、小金領にあり小金城(松戸市)を本拠とする高城氏の家臣平川若狭守が城主であったと推測されています。
 城跡は、西側から東側へつきだした小規模な舌状の台地に立地し、南側眼下には手賀沼に注ぐ大津川の分流が流れ、北側から東側にかけてはゆるやかに下る谷とけわしい崖となり自然地形を取り込んでいます。台地郭面の標高は約20m、河川低地面は約9mで、高低差は約11mあります。


…続く1/2

2013年01月30日 野舘宮内少輔サラマンダー
増尾城

2013年1月30日15時25分(50分)

増尾城址総合公園から入りました
駐車場、トイレ有り
管理事務所で聞いてみた所、ここから5分程歩いた場所が城址だそうです
城址に関する書面も頂き、口コミに書き込んでも良いと了承して頂けました
因みに、此方の管理事務所と駐車場は9時〜17時迄です

教えて頂いた道を進むと、公園碑とトイレがあります
此方と先程の公園とは、ちょっと離れておりますので御注意ください
城址は公園の南側にあり、『←城址』の案内板もあります
先ずは腰曲輪を登ります(約20m)
登り切ると主郭で、南東は崖、他は土塁(2m位)に囲まれています
主郭を横切って虎口を抜けると、主郭より倍広い副郭で、こちらも南東が崖、他を土塁が囲っており、南の位置に櫓台があります
説明板有り
南側の虎口から抜けると、道路に行く道があり、城址に一番近い駐車場があります
副郭、主郭を北周りすると、幾つか『コ』の形の堀があり、興味深かったです
とても小さいのですが、アップダウン激しい良い城でした〜

2011年06月27日 GINTOKI
増尾城

増尾城址公園は芝浦工大柏中学、柏高校を探すと分かりやすいですよ!

2010年06月10日 徳川内大臣源朝臣康武
増尾城

大津川は、手賀沼に注ぐ川。中世から戦国時代の手賀沼は、下総台地の入り組んだ谷まで広がり、鬼怒川や霞ケ浦とも繋がっており、幾つもの津(港)が整備された、水陸交通の要衝であった。そのような場所を望む台地上には、多くの城館が築かれた。柏市域では、増尾城のほか、戸張城、松ヶ崎城などは遺構が良く残る。

小中学生の頃はよく行きました。昔はただの遊び場だったけど、今見れば、中世城館のお手本のような城です。

増尾城の周辺スポット情報

 櫓台(遺構・復元物)

 副郭(遺構・復元物)

 主郭(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 物見台(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 狐山案内板(碑・説明板)

 藤心陣屋説明版(碑・説明板)

 幸谷城(周辺城郭)

 藤心陣屋(周辺城郭)

 薮崎邸の長屋門(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

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