流山市立博物館

流山市立博物館([花輪城  関連施設])

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流山市立博物館の口コミ情報

2026年09月13日 マグロ常陸介祐平


本多正信の弟の正重に始まる田中藩本多氏の陣屋となります。幕末の田中藩7代藩主本多正訥は、文久3年(1863年)に田中藩の飛び地の管轄の為、流山郊外の加村に陣屋を建設し、江戸深川にあった下屋敷の人員を移転させています。元治元年(1864年)になると正訥は駿府城代に就任、戊辰戦争勃発後の慶応4年(1868年)には、東海道鎮撫総督府よりそのまま駿府警守を命じられ、尾張藩が派遣した使節に勤王証書を渡して、駿府城引渡しに同意しています。江戸開城後、徳川宗家が静岡に移封になると、東征大総督府の命により駿府城代を免じられ、徳川家達に駿府城を引き渡しています。本多氏も他の駿河の大名同様に安房・上総地区に代替え地を与えられ、安房長尾に移封となり、流山の陣屋も廃されています。

明治2年になると旧幕府領を管轄する葛飾県が設置され、陣屋が県庁として使用されますが、明治4年になると葛飾県と旧藩領を管轄する6県(佐倉県、古河県、関宿県、結城県、生実県、曾我野県)と国外の県の飛地領を統合し、9郡の区域をもって印旛県が発足し、県庁は行徳(市川市)の徳願寺になりますが、翌明治5年には交通の便の問題で、再び陣屋跡の旧葛飾県庁が県庁として復活します。翌明治6年になると印旛県と木更津県が合併して千葉県が誕生し、千葉(千葉市)に県庁が置かれ、旧陣屋は役割を終えています。慌ただしい時代ですね。

現在、陣屋跡地(旧県庁)は流山博物館(図書館)や宅地となり遺構は残っていません。博物館の入口前に「葛飾県印旛県史跡」の石碑と簡単な説明板が設置されています。

加村陣屋に口コミしたつもりが、博物館になっていました💦
場所は同じです!

2025年05月17日 ラッセル上総介【 】栗太郎
明治初期、印旛県や葛飾県の県庁があった地で、田中藩本多家下屋敷跡。博物館には縄文時代から現代に至るまでの流山の生活を展示している。

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