根戸城
根戸城([松ヶ崎城 周辺城郭])
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根戸城の口コミ情報
2024年07月31日 国府参議城介
太田道灌築城伝説が残る手賀沼を望む城
【歴史】
築城年代は不明だが、遺構から16世紀後半に築かれたと推測されている。
築城者も不明だが、太田道灌が築城したとの伝説も残っている。もし、太田道灌が築城したのであれば、文明10年(1479)に発生した境根原合戦の頃か? この合戦では、太田道灌が率いる扇谷上杉氏と千葉氏が境根原(現在の柏市酒井根)で激突し、扇谷上杉氏が勝っている。その後、引き続き臼井城攻めへと繋がり、千葉氏の内乱も終結へと向かっていくこととなります。
実際のところ、松ヶ崎城からも近いので、匝瑳氏の城と考えるのが妥当かと。
【遺構】
松ヶ崎城の南東約1.3kmに位置する台地上に築かれた城です。更に、手賀沼からも僅か300mほどと、水陸の交通の要衝の地に築かれた城でもあります。
台地の先端に主郭があり、台地側(西側)に二郭がある構造になっており、各郭を囲うように横堀が掘られている。主郭を囲う横堀はかなり深く、場所によって堀の中でも高低差があるように掘られている。南側は腰曲輪状になっているが、元々横堀であったが縁側が削られてしまったためだと推測される。主郭には、南側と西側に虎口があり、西側の虎口は二郭に繋がる土橋がある。主郭の南西側は横矢が掛けられるようになっている。また、主郭の先端には櫓台があり、そこから手賀沼を監視していたと思われる。
二郭の横堀はかなり浅くなってはいるが、形状はよく残っている。二郭の外側には、金塚古墳(五世紀後半の円墳)で、根戸城があるころには物見台として利用されていた。
【感想】
以前、訪城した際は、管理者に許可をもらって訪れたので、特に口コミは作りませんでした。しかし、現在は自由に訪れることができるということなので、久しぶりに訪城しました。
管理されているので、夏場でもほとんど藪がなく、遺構も見やすい状態です。また、駅からも近くお手軽にリア攻めが出来る上に、我孫子市ではほぼ唯一完存している城跡です。見所は主郭を囲う深い横堀です。場所によっては段差をつけることで更に深くしており、容易に主郭に取付かせないように工夫がなされています。
私有地なので、ルールを守って見学しましょう。(以下、北星照ラス管理委員会のサイトより抜粋)
・個人の訪問であれば、事前連絡は不要だが、団体の場合は管理者に連絡が必要。
・昼間の時間帯のみ利用可能。
【アクセス】
北柏駅から徒歩5分。
駐車場はないので、北柏駅周辺のコインパーキングを利用してください。
【写真】
①説明板
②二郭西側の横堀
③二郭
④~⑥主郭と二郭の間の横堀
⑦主郭
⑧金塚古墳
2024年02月18日 千葉相模守早雲【権六】
16世紀後半に築かれ、高城氏(小金城)、簗田氏(関宿城)、相馬氏(守谷城)が争ったとみられています。
手賀沼を見下ろす位置にある東西に二つの郭を連ねた連郭式城郭。東側の主郭は周囲を高さ約3mの土塁を巡らせ、更にその外側には深さ約3mの空堀で囲われています。主郭の南と西の2ヶ所に虎口があり、西側は2郭と繋がっています。(案内板より)
主郭と2郭間の空堀は折れを伴い、横矢が掛かり、そのまま竪堀となって落ちます。2郭の周囲にも土塁、空堀が認められますが、削られたり、埋まったりして、かなり甘くなっています。
2郭の西側には5世紀のものとみられる金塚古墳があり、盛り上がりがハッキリと見て取れます。城址内にあることから、物見台として使用されていたのではないかと考えられているそうです。
根戸城址・金塚古墳は「北星照ラス(ほくせいテラス)」管理委員会が整備する私有地にあります。個別に訪れる分には事前連絡は不要ですが、節度を持って見学しましょう♪
1.郭土塁と空堀。右手が2郭。
2.2郭土塁。空堀はかなり埋まっている。
3.左手の張り出しにより、空堀が折れ横矢掛けとなる。そのまま竪堀へ。
4.竪堀。
5.主郭の土塁。
6.主郭西側虎口。
7.主郭と2郭間の空堀。奥が主郭。
8.主郭の空堀。左手から右手へ、そこから奥へと巡っている。