東林寺城(とうりんじじょう)

東林寺城の基本情報

通称・別名

新地城

所在地

茨城県牛久市新地町149

旧国名

常陸国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

岡見氏

築城年

永禄年間(1558〜1570)?

主な改修者

主な城主

岡見氏、近藤氏

廃城年

遺構

土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板(東林寺城跡五輪塔)

周辺の城

牛久城(茨城県牛久市)[1.4km]
馴馬城(茨城県龍ケ崎市)[6.7km]
小坂城(茨城県牛久市)[7.0km]
高井城(茨城県取手市)[8.0km]
龍ケ崎城(茨城県龍ケ崎市)[8.5km]
谷田部城(茨城県つくば市)[9.3km]
中峠城(千葉県我孫子市)[10.3km]
守谷城(茨城県守谷市)[10.5km]
布川城(茨城県北相馬郡)[11.5km]
我孫子城(千葉県我孫子市)[12.9km]

東林寺城の解説文



東林寺城(とうりんじじょう)は、茨城県牛久市新地町にあった日本の城。

概要 

東林寺城は、牛久城を拠点に勢力を張った岡見氏によって築かれた平山城で、牛久城同様、岡見氏及び後北条氏方の拠点として用いられたものと考えられている。城の地積は大きく、南北150m、東西70mの規模を有する。同じく大規模な城郭である牛久城とは指呼の距離であり、また、牛久在番衆の一翼を担った井田氏の坂田城と構造が酷似していることから、牛久在番との関連を指摘する向きもある。

歴史・沿革 

  • 永禄年間(1558年〜1570年)、岡見氏により築城されたものと考えられている。
  • 1566年(永禄9年)のものと考えられる小田氏治味方地利覚書(上杉文書)がある。ここに、東林寺城の城主が近藤治部であったことが書かれている。
  • 天正10年代の岡見氏本知行等覚書写には、城主が岡見治広の城と書かれている。
  • 結城氏家来の野口豊前は、東林寺城攻めを書きとめている。
  • その後の東林寺城については詳らかではないが、小田原征伐の際に廃城になったものと考えられる。

構造 

牛久沼に向かって延びる半島状台地先端に占地し、先端部の一郭から四郭まで4つの郭を重ねる。

各郭の間には土塁及び空堀が設けられ、土塁は横矢掛りを備え、二郭及び三郭の虎口は前面に馬出しが設けられていた。外郭の四郭にも土塁及び空堀が存在するが、他郭のものと比べて著しく規模が小さい。

考古資料 

遺構

牛久沼岸の一郭の大部分が土採りにより失われているが、二郭から四郭までの遺構が良く残る。特に三郭の土塁及び空堀は保存状態が良く、虎口前面に設けられていた馬出しは失われているものの、横矢掛りを伴う土塁及び空堀が現存する。

東林寺城の口コミ情報

2024年06月05日 マグロ常陸介祐平
下岩崎古館城[東林寺城  周辺城郭]



Googleマップに古館城跡として位置登録されています。下岩崎地区には三つのお城がありますが、茨城県の中世城館では、このお城が多賀谷家譜に登場する「岩崎城」の可能性もあるとしています。お城は台地の先端に築かれ、二つの曲輪で構成されています。

城主は只越尾張守とされ(どの岩崎城かわかりませんが)、多賀谷重経による落城の際には、自分の命と引き換えに城兵の命乞いをして切腹したとされています。

お城の入口はホテルレイクサイドつくばの正門の向かいで、林に入って歩道を進むとすぐにⅡ郭の空堀(写真1,4,7枚目)が現れます。堀に沿って北に進むと、堀の中央部は直角的に張出していることが確認できます(写真5枚目)。曲輪内は薮化しており突入出来そうな場所が見辺りませんが、外周部分は人の入った痕跡があり、曲輪の内部に進むことが出来ます(数ヶ所ビンクリボンがあります)。空堀を越え軽い薮を進むとⅠ郭を囲む土塁を伴う空堀が現れます(写真2,3,6枚目)。もう少しで先端に辿り着きそうな場所で薮は激化しており、退散しました。

Ⅱ郭の外側(北西方向)は駐車場となっており、お城の規模はわかりませんが、付近のお城の中では遺構の残存状況はかなり良いように思われます。
薮城の為、写真は何がなんだかわからないと思いますが、一応遺構を撮っていますので心眼で読み取っていただけましたら幸いです。

2024年06月03日 マグロ常陸介祐平
岩崎城[東林寺城  周辺城郭]



2023年発刊の茨城県の中世城館の県内991件のリストには含まれていませんが、近くの「下岩崎古館城」の解説に触れられている変わった扱いのお城です。
Googleマップに、位置登録されています。

独立した感じをうける守徳寺(1534年に領主の岩崎勘解由左衛門が亡き母の菩提の為に創建)と中城の2つ並んだ台地の先端が城域のようです。守徳寺側の曲輪(写真1,2,3枚目)には明確な遺構は見られませんが、中城側には遺構が残ります。城の南東隅にある神社入口には土塁、南側には横堀が見られます(写真4,5,6,7,8枚目)。また、中城の西側には道路に沿ってやや広い三日月状の堀が確認できます。
確認した遺構は擬似構造とも思えないものなので、お城認定してあげないと可哀想に感じます。

2023年02月26日 RED副将軍
東林寺城



大規模な空堀が残る牛久城の支城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

永禄年間(1558年〜1570年)に、牛久城の支城として岡見氏により築かれたとされます。岡見氏の家臣である近藤治郎が在城していました。岡見氏は北条氏に属しており、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際に北条氏と共に岡見氏も滅亡し、東林寺城も廃城となりました。

見所
牛久沼に半島状に伸びた台地に築かれ、先端部の一郭から四郭まで四つの郭が連なる連郭式。各郭の間には土塁と空堀で遮断されています。農地化等で改変もされていますが、東林寺裏手の二郭と三郭を隔てる空堀、三郭と四郭を隔てる空堀は深さ10mほどの大規模なもので残存状態は良好です。一郭は半分削られていますが土塁と横堀が半分残っています。

2023年02月17日 vol012修理大夫
牛久市観光アヤメ園トイレ[東林寺城  トイレ]



東林寺城跡からは少し離れていますが、最寄りのバス停(三日月橋生涯学習センター)からは至近です。

屋上が展望台になっています。

2021年09月16日 つか征夷大将軍
三ノ郭空壕[東林寺城  遺構・復元物]



空堀、土塁があります。ここの空堀は降りることが出来ます。

2021年09月15日 つか征夷大将軍
ニノ郭空壕[東林寺城  遺構・復元物]



空堀や土塁、土橋が綺麗に残っています。東林寺のすぐ裏になります。

2020年10月21日 kazuyou大蔵大輔
東林寺城



河童の像がある橋を牛久方面から渡ると、右側に、駐車出来るスペースがあります☝️また、東林寺の駐車場🅿️もあります。この城は、東林寺からのコースと、本丸へ行く狭い道があります☝️案内板などはありません。本丸には土塁があり、城址碑(木製)も建っています。ここは民家の敷地らしいですが、見学できます。二の丸や三の丸には、深い空堀と土塁が残ります。見学には、声掛けすると良いと思います☝️

2017年07月25日 
東林寺城

牛久駅から、徒歩50分くらいでしょうか。テクテク、歩いて行きました。

途中、牛久城に寄りながら行くのもオススメ。かっぱ号も、本数は少ないが、近くまで来ていたはずです。

遺構の状態は必ずしも良くないですが、深い空堀が見られます。

東林寺城の周辺スポット情報

 ニノ郭空壕(遺構・復元物)

 三ノ郭空壕(遺構・復元物)

 東林寺址(碑・説明板)

 下岩崎館山館(周辺城郭)

 岩崎城(周辺城郭)

 下岩崎古館城(周辺城郭)

 牛久市観光アヤメ園トイレ(トイレ)

 東林寺跡五輪塔(関連施設)

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