馴馬城(なれうまじょう)

馴馬城の基本情報

通称・別名

馴馬沼田城、馴馬楯

所在地

茨城県龍ケ崎市馴馬町2507

旧国名

常陸国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

春日顕国

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

春日氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)、土橋

指定文化財

県史跡(馴馬城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

龍ケ崎城(茨城県龍ケ崎市)[1.9km]
牛久城(茨城県牛久市)[5.3km]
小坂城(茨城県牛久市)[6.0km]
東林寺城(茨城県牛久市)[6.7km]
布川城(茨城県北相馬郡)[7.3km]
大台城(千葉県印旛郡)[9.7km]
中峠城(千葉県我孫子市)[10.1km]
高井城(茨城県取手市)[12.2km]
塙城(茨城県稲敷郡)[12.8km]
江戸崎城(茨城県稲敷市)[13.7km]

馴馬城の解説文



馴馬城(なれうまじょう)は、茨城県龍ケ崎市にあった日本の城。

概要 

南北朝時代初期から常陸国河内郡の南朝拠点として築城された。歴代の城主は不明であるが、南朝方の武将が就任していたと推測される。古文書文献には暦応4年/興国2年(1341年)「河内郡馴馬楯引退」と記されていて北朝である足利氏から攻撃されている[1]。康永3年/興国5年(1344年)には近隣を治めていた小田氏・東条氏は高師冬の攻撃によって北朝方に制圧された。その動向を危惧した南朝方の春日顕国は各地に潜伏して北朝の攻撃から逃れた後に馴馬城を占拠して籠城したが、笠間宍戸荘の宍戸朝里の攻撃によって落城した。遺構は谷状の空堀・曲輪・土塁が残っている。1940年4月5日に茨城県指定史跡に指定された。

所在していた場所 

  • 常陸国河内郡馴馬 (現・茨城県龍ケ崎市馴馬町)

出典 

馴馬城の口コミ情報

2024年02月01日 昌幸近江守雪舟接収計画
来迎院・多宝塔[馴馬城  寺社・史跡]



来迎院は永正14年(1517年)創建の天台宗のお寺です。
そして境内には推定で500年前とされる関東地方に唯一現存する最古の多宝塔が建っています。
その間、多宝塔は定期的なメンテナンスを行なってきたのですが、常陸土岐氏も関わっています。

相輪と呼ばれる塔の最高所の鉄製の装飾物に刻銘されたものによると、父・土岐美作守治頼と嫡男・土岐大膳大夫治英(はるふさ)の名があり、弘治2年(1556年)治英は「この地域では珍しい多宝塔を施主として修理を行なった」と刻まれています。
同年は来迎院を中興したとして延暦寺覚仙の名があり、民心の掌握・安定を狙い、土岐氏が招き入れたと推測されます。

【余談】
1540〜50年代は常陸土岐氏にとって転換期でした。
⚪︎主だった関東管領上杉憲政が北条氏康に追われ、長尾景虎を頼って落ち延びる。
⚪︎本家の美濃守護土岐頼芸(よりのり)が斎藤道三によって美濃を追われ土岐本家は滅亡。養子に入っていた弟・治頼に土岐家惣領職を譲り、土岐原から土岐に名字を改める。

治頼はかなりのやり手で、養子に入るや否や小田領を次々と自分の勢力下にしていきます。寺院仏閣を修復し民心を掌握。そこに土岐家惣領職という権威を手に入れる。前述の延暦寺覚仙の招聘に関しても十分顔が利いたのが想像できます。

2023年03月26日 昌幸近江守雪舟接収計画
馴馬城跡[馴馬城  碑・説明板]



案内板が新しくなっていました。色褪せが激しかったので嬉しいです。

2023年01月09日 RED副将軍
馴馬城



南北朝期の南朝方の拠点🏯
幾度も攻防戦が行われた激戦の地⚔

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。
南北朝時代に南朝方の拠点として築かれたと伝わりますが築城主は不明。
1341年に北朝方の足利氏から攻撃を受け、1344年にも小田氏・東条氏からの攻撃により制圧されました。
同年に南朝方の春日顕国は馴馬城を占拠し籠城するも宍戸朝里の攻撃によって落城したとされます。

見所
南南東に伸びる舌状台地先端部に築かれています。堀切で区切られた郭が連なるプリミティブな縄張り。
土橋と堀切が残るも後世の改変を受けており、城域東側は消失し、残った郭もヤブでした。

行き方は、龍ケ崎市歴史民族資料館を目指して下さい。資料館裏の駐車場奥が城域です。

2022年03月27日 マグロ常陸介祐平
馴馬城



龍ケ崎歴史民俗資料館の裏が城址となります。駐車場奥の案内板の脇を登ると土橋がありますが曲輪部分は薮が凄く入城を拒みます。裏側から攻めようにも私有地となっており、断念しました。資料館は城址と隣接していますが馴馬城に関する説明はほとんどなく、発掘により全容が明らかな市内の屋代城のジオラマが展示してあります。近くの国指定文化財の多宝塔がある来迎寺には馴馬城のパンフレットがおいてあります(写真添付)。

2021年12月26日 弾正少弼しろし
馴馬城



資料館の奥の駐車場のそのまた奥に案内板があります。資料館で城跡の案内も貰えます。もう少し整備してもらえるとありがたいです。

2021年03月27日 大納言Z武蔵守369
馴馬城

龍ケ崎市歴史民俗資料館の奥の駐車場から石段が見えますので、それを上り、左に曲がるとY字に道が分岐しますので、左に行くと右手に馴馬城跡の看板が立っています。その道はあまり奥に進むと民家へ行ってしまうので注意。

Y字から右に曲がり、右側の土塁を登ると本郭跡のようですが、登り口がわからず強引に登りました。くれぐれも無理はしないように。あと、7~10月頃の間はリア攻めお勧めしない方がいいと思います。

2020年08月22日 kazuyou大蔵大輔
馴馬城



龍ヶ崎歴史民俗資料館の裏に存在する城で、南北朝時代のかなり早い時期に築城されたらしく、遺構は古式です。空堀や土橋、曲輪が残っていますが、本丸にあたる台地は削られて消滅しています。資料館にパンフレットがあります☝️

2019年08月25日 源陸中守@ポンコ2…
馴馬城



市歴史民俗資料館で馴馬城に関する資料をいただき、その際「主郭は東●ガス建屋でなくなり、裏の駐車場奥に案内書と空堀・土橋、碑がある」と伺いました。
ここは空堀で挟む土橋、堀切が見所でした。
土橋につながる道を上がっていくと住んではる民家につながり、現役の道ですのでお気をつけ下さい。投稿されてる碑はわかりませんでした。

市歴史民俗資料館前に、市内から移築の古商店や納屋があり、商店の中には古い看板や黒電話、納屋にも脱穀機など置かれ、これはこれでノスタルジックな気分になれました。


2016年11月15日 まー刑部卿
馴馬城

龍ヶ崎市歴史民俗資料館駐車場(無料)からすぐのところに城跡有り。ただし歴史民俗資料館内に馴馬城についての資料はありません。入場無料です。仙台藩龍ヶ崎陣屋の資料はありました。城跡は土橋とその両側にある空堀があるぐらいで観る価値はあまりないと思います。

2015年06月15日 道灌武蔵守?!
馴馬城

龍ケ崎市歴史民俗資料館を目印に行かれると直ぐ分かります(^^)

馴馬城の周辺スポット情報

 馴馬城跡(碑・説明板)

 来迎院・多宝塔(寺社・史跡)

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