布川城(ふかわじょう)
布川城の基本情報
通称・別名
- 府川城
所在地
- 茨城県北相馬郡利根町布川3004(徳満寺)
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 豊島頼継
築城年
- 永正16年(1519)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 豊島氏、松平氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 町史跡(布川城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
中峠城(千葉県我孫子市)[6.3km]
小森城(千葉県白井市)[7.2km]
馴馬城(茨城県龍ケ崎市)[7.3km]
龍ケ崎城(茨城県龍ケ崎市)[7.5km]
大台城(千葉県印旛郡)[8.9km]
小野田城(千葉県船橋市)[9.7km]
松虫城(千葉県印西市)[10.3km]
牛久城(茨城県牛久市)[10.6km]
我孫子城(千葉県我孫子市)[11.0km]
箕輪城(千葉県柏市)[11.1km]
布川城の口コミ情報
2024年11月18日 里のシロクマ侍従
布川城
9/15訪城 利根川沿い二の丸跡の役場に駐車。利根川を見下ろす事が出来る。二の丸と本丸の間の堀底の道路を横断、徳満寺へ。本丸と馬出し曲輪を分ける堀底道を進み、土橋の上に登る。土橋は本丸と馬出し曲輪を結ぶ土橋。櫓跡と土塁の間を抜け本丸(徳満寺)へ。境内は趣のある静かな雰囲気。山門の下には腰曲輪と思われるスペースが!「土の城」雰囲気が感じられる城です。
2024年05月26日 佐藤刑部丞健一
一里塚[布川城 碑・説明板]
中華料理のお店の近くの草原の中にあります。
2024年05月25日 佐藤刑部丞健一
相馬郡衙正倉跡[布川城 碑・説明板]
相馬郡衙正倉跡(日秀西(ひびりにし)遺跡)は、千葉県立湖北高等学校の建設に伴い発掘調査が行われ、その中心部分の様相が明らかになった遺跡です。
郡衙とは古代(奈良・平安時代)の郡の役所全体を指す名称で、正倉とは徴収した税である稲などを納めた倉庫群を指す名称。かつての相馬郡は現在の我孫子市、沼南町と柏市の一部、さらに利根川を挟んだ茨城県取手市、利根町、藤代町に相当すると考えられています。
相馬郡衙正倉跡は、東群・北群・西群・南群というように、方位にあわせてきれいに列をなす建物群によって構成されている。検出された建物の大半は、掘立柱を側柱(がわばしら)だけでなく内側にも立てて床を支える「総柱(そうばしら)建物」といわれるもので、倉庫として使われた「高床建物」であると考えられ、このことからもこの遺跡が郡衙正倉跡であると推定された。相馬郡衙正倉跡からは、当時の貨幣である和銅開珎(銀銭)、瓦などの他におびただしい量の炭化米が見つかっている。炭化米の存在は、米を納めていた倉が故意か事故かは別にして、火災に遭ったことを示している。
相馬郡衙正倉跡は、出土遺物から考えて8世紀初頭から9世紀半ば過ぎまでの期間、郡の正倉としての機能を果たし続けていたと考えられている。
2024年05月25日 佐藤刑部丞健一
大平船着場跡[布川城 その他]
利根町の鎌倉街道は、布川を経由し、大平の船着場、奥山、奥戸船着場へのるーとで陸路だけでなく、船運をも利用した街道であつたと推測されます。
2024年05月25日 佐藤刑部丞健一
来見寺[布川城 寺社・史跡]
布川城主豊島頼継(とよしまよりつぐ)により、永禄三年(1560)に創建されました。はじめは頼継寺(らいけいじ)と言いましたが、家康公の上意により名が改められました。
2024年05月14日 マグロ常陸介祐平
布川城
柳田国男が民俗学に興味を持つきっかけとなった「間引き絵馬」のある徳満寺が城址となります。
豊島氏の城でしたが、小田原合戦後に、後に土浦藩主となる松平(藤井)信一が五千石で入っており、土の城ですが近世城郭の雰囲気を感じます。
本堂のある本丸の北西には、独立した曲輪のようにも感じられる広さのある櫓台(写真2枚目)があり、本堂裏まで土塁が続きます。櫓台いっぱいに三階の櫓でもあれば、麓からは権威の象徴としてかなり目立ったと思われます。地蔵堂の裏(西側)の土塁(写真3枚目)と櫓台の間に虎口が開口し、堀切(写真5枚目)を渡る土橋(写真1枚目、正面は虎口)、その先には金刀比羅神社が鎮座する馬出し曲輪、その西には腰曲輪(写真4枚目)が見られます。
本丸の北西側には、道路となっている堀の先に町役場となっている二ノ丸がありますが、入口は坂虎口状(写真7枚目)になっています。
本丸の北東・東側も城域だったようですが、保育園や駐車場となり遺構はよくわかりません。
戦国期の城主豊島氏の墓(写真8枚目)は、200m程東にある来見寺にあります。
2023年06月18日 弾正一秀
布川城
布川城の御城印ですが現在は和菓子店では無くて酒屋さんに売ってますね😁
2023年05月05日 そうたー下総守
布川城
クルマで向かうなら千葉県側から栄橋を渡ってすぐのお寺を目指すといいと思います。その先からも行けますが道が狭いです。
2023年01月10日 昌幸太閤耳川の戦い
北方平野館[布川城 周辺城郭]
北方(きたかた)平野館。龍ケ崎市の南の一部は下総国でした。近くに利根川や小貝川が流れており、沼もしくは湿地に囲まれた台地に居を構えたと思われます。現在も子孫の方がお住まいになられているようです。館下の崖(当時は腰郭か船着場でしょうか)の写真をアップします。
2022年05月16日 パジェロ
布佐城(和田城)[布川城 周辺城郭]
幼稚園になっています。御城印が出たので標柱でも建てたかと思い行きましたが、有りませでした。
2021年02月24日
布川城
利根町役場に駐車し、すぐ裏手の布川城址を訪ねました。現在の徳満寺がほぼそのまま城址のようです。小さいながら、見所のある立派なお寺でした。
2020年02月24日 さと左近衛少将けんさん
布川城
小林一茶の句碑があります。
2019年06月09日 さと左近衛少将けんさん
布川城
昔は【府川】と書いていたそうです。
豊島家の領有で千葉氏に属していました。
江戸時代は一帯の丘山を背後に
前方は利根川に臨み、
街並みが連なっていたそうです。
橋のたもとのたかつやさんは
何代か前は、お茶や🍵さんだったそうです。
2018年08月02日 さと左近衛少将けんさん
布川城
空堀の跡が良くわかりますね!
2016年11月15日 まー刑部卿
布川城
徳満寺と利根町役場の間の道路は空堀跡です。
2016年11月13日 まー刑部卿
布川城
駐車場は利根町役場へ。ニノ郭が利根町役場となっているが遺構なし。本郭になっている徳満寺にある縄張り図ですが山門の正面にあるのが図では本堂となっていますが現在は客殿、地蔵堂と表記されているのが本堂。昔は説明板にある通りに呼んでいたが現在は変わったと清掃していた方から聞きました。駐車場は利根町の駐車場利用。