新堂向山城

新堂向山城([竹田城  周辺城郭])

竹田城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「新堂向山城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

新堂向山城の口コミ情報

2024年03月31日 tracer_azu


向かいの磯部氏館と街道を挟む形で築かれたお城で古くは南北朝期から機能していたようです。街道の押さえとして長く機能しており、織豊勢力による但馬侵攻のころに改修された城跡が今も残っているように感じました。

2024.3.30の攻城時点で南の畝状竪堀群周辺でマダニが大量発生していたので行かれる際にはお気をつけください。

城址の遺構は見どころ満載です。

2023年10月28日 RED副将軍


鋭く高い切岸、深い堀切、明瞭な畝状竪堀群を備えた但馬東部の境目の城🏯

オススメ度 ★★★★★

寿永年間(1182年~1184年)に佐藤主膳督に築かれたとされます。
南北朝時代には佐藤氏は南朝方に付き、1333年に佐藤掃部頭は大改修をして拠点としました。
しかし、佐藤掃部頭の子である佐藤新左衛門の頃に北朝方の足利氏に攻められて落城し、廃城となったとされます。

縄張りは南北朝時代の城跡とは思えないものであり、戦国時代にも使用されたのは確実視できます。
近隣には山名氏の重臣である磯部氏館があり、竹田城の北東を押さえる支城として機能したとも考えられます。
また、山名氏の重臣で竹田城の太田垣氏は下剋上を目指して山名氏と対立するようになったため、磯部氏は新堂向山城を竹田城に対する拠点として利用したとも考えられます。
織田信長による但馬攻略に際しては、磯部氏は織田信長に従属しています。
やはり山名氏による改修があったと考えるのが妥当と思います。

見所
但馬と丹波の境目に位置し、磯部川南岸の標高約230mの山陵に築かれています。近世山陰道と中世山陰道の合流地でもある交通の要衝です。
東西に伸びた尾根筋に四つの郭が連なる連郭式で、それぞれの郭は深い堀切で遮断されています。周囲に畝状竪堀群を配して固められています。
特に緩斜面の南側に畝状竪堀群を多用していますが日当たりが良く下草に覆われています。畝状竪堀群は北東部が最も明瞭です。

行き方は、案内板等は一切なく登城路も整備されていませんが城域北東部に取り付き口があります。
国道9号から市道新堂和賀線に入り、山陰本線の高架を越えると直ぐに右手に入る道があります。
この辺りで駐車し歩いて右手の道を下ると左手に登城口があります。踏み跡に沿って尾根に取り付いて下さい。
比高は110mほどで大したことはありませんが、登城ルートが未整備なため、鋭い切岸、堀切と急峻な斜面でモロに堅固な城造りに体力を消費しました。

写真
①②北東部の畝状竪堀群
③東端の大堀切
④南東部の畝状竪堀群
⑤⑥主郭と二郭を隔てる大堀切。二重になってます
⑦主郭の鋭過ぎる切岸
⑧西端の堀切

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore