豊永城(とよながじょう)
豊永城の基本情報
通称・別名
- 粟井城、阿波井城、豊永下土居城
所在地
- 高知県長岡郡大豊町粟生字城山
旧国名
- 土佐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 正平年間(1346〜1370)
主な改修者
- 豊永(小笠原)資宜
主な城主
- 豊永氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 町史跡(粟井城址)
再建造物
- -
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-
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豊永城の解説文
豊永城の口コミ情報
2019年06月30日 HappySachi宮内卿
豊永城
地元の人で豊永さんと言う人から聞いたのですが、豊永の祖先は源氏だったと言うのです。祖谷の方には平家が落ちていったようですがそれを追ってきた源氏はこの地にとどまったようです。
遺構
徳島県との県境に近い山間部、JR土讃線豊永駅のすぐ南側にある豊永山の山頂に位置する山城である。豊永山は北を吉野川、西と南を南小川に囲まれた天険の地で、東側だけが尾根続きとなっている。
狭い山頂部を主郭として、南北に土塁が築かれ、土塁の下にはそれぞれ堀切が残っている。
歴史
豊永城主であった豊永氏は、本姓は小笠原氏である。諸説あるものの、南北朝時代に南朝方に属した阿波国の小笠原頼忠は、懐良(かねよし/かねなが)親王に従って九州に下向し、肥後国玉名郡の豊永庄に拠ったという。しかし、南北朝の合一がなされたために頼忠は九州より帰国し、土佐国の粟井城に土着した。その後、小笠原氏は豊永氏と称すようになり、粟井城の名を豊永城に改めたといわれる。
豊永氏は、その後在地領主としてこの地を治めていたが、戦国時代に長宗我部氏の勢力が及ぶとその傘下に入った。
長宗我部氏が関ヶ原の戦いの後に改易されると、豊永氏はその後土佐に入った山内氏の家臣に組み込まれ、土豪としては異例の上士となって豊永郷を治め続けたという。
交通
・JR土讃線豊永駅から徒歩約15分参考文献
・『日本城郭大系 第15巻』新人物往来社、1980年。・真言宗智山派定福寺公式サイト(http://www1.quolia.ne.jp/~jofukuji/)。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。