香宗我部城(こうそかべじょう)

香宗我部城の基本情報

通称・別名

香宗城

所在地

高知県香南市野市町土居

旧国名

土佐国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

中原秋家

築城年

建久4年(1193)

主な改修者

主な城主

香宗我部氏

廃城年

遺構

土塁

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

姫倉城(高知県香南市)[2.9km]
山田城(高知県香美市)[6.5km]
吉田城(高知県南国市)[9.2km]
萩野城(高知県香美市)[9.8km]
介良城(高知県高知市)[9.9km]

香宗我部城の口コミ情報

chotarogai様[2016年10月29日]
香宗我部城跡には、現在土塁しか残っていませんが、城跡の南には香宗我部親泰の墓が残っています。手入れがなされておらず、雑草が繁茂しています。機会があれば、行政に働きかけて史跡の保護をうったえていきたいと思います。

清水若狭守龍親様[2013年11月14日]
(香宗我部泰親) 天文3年(1543年)、長宗我部氏第20代当主・長宗我部国親の3男として生まれる。幼名は弥七郎。弘治4年(1558年)に父の命によって香宗我部親秀の養子となった。永禄12年(1569年)に安芸城主となる。その後は兄・元親に従って各地を転戦、天正10年(1582年)の中富川の戦いで十河存保を破り、天正11年(1583年)には木津城を攻略するなど、兄の四国統一に尽力した。また、外交にも秀でており、天正3年(1575年)に長宗我部信親の烏帽子親を織田信長が務め、以後織田氏と同盟を結んだこと、信長の死後も柴田勝家や徳川家康と通じて四国平定を有利に進めたことは、全て親泰の手腕によるものである。天正13年(1585年)の豊臣秀吉の四国征伐では阿波牛岐城を守備したが、木津城が豊臣軍に落とされたため、城を放棄して土佐に帰国した。しかし天正20年(1592年)、文禄の役に赴く途上にあった嫡男・親氏が急死、自身も朝鮮半島に赴く途上の文禄2年(1593年)に長門で兄に先立って急死した。享年51。跡は次男・貞親が継いだ。吉良親貞同様、その死は長宗我部氏にとって大きな痛手であった。

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