来島城(くるしまじょう)

来島城の基本情報

通称・別名

所在地

愛媛県今治市来島

旧国名

伊予国

分類・構造

海城

天守構造

築城主

村上吉房

築城年

応永26年(1419)

主な改修者

主な城主

村上氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、石垣、岩礁ピット、井戸

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

今治城(愛媛県今治市)[7.1km]
怪島城(愛媛県今治市)[9.6km]
能島城(愛媛県今治市)[12.5km]
高仙山城(愛媛県今治市)[12.9km]
小頃子城(広島県豊田郡)[16.0km]

来島城の解説文

来島城(くるしまじょう)は、愛媛県今治市波止浜沖の来島にある日本の城(島城)である。村上水軍の根拠地の一つ。

概要
周囲約1kmの来島全土を水軍要塞化した城で、南北約220m・東西約40mに広がった南北一列の梯郭式の中世城郭である。最北部に本丸があり、二ノ丸・三ノ丸が南に続いている。本丸直下の島中央部に来島氏の居館がある。また島の東南には出城が存在し、島周囲の岩礁にはかつての桟橋柱跡が多く残っている。

築城は15世紀中頃とみられる。村上義顕の三男吉房が来島に分家した際に築いたものである。吉房子孫の来島村上氏(のち来島氏・久留島氏)は、6代約160年にわたって来島城を本拠地とした(戦時の防衛拠点としての居城であり、平時の居館は対岸の波方浦に存在した)。

天正10年(1582年)、来島氏は因島氏とともに河野氏を裏切り織田信長側についたため、毛利氏、河野氏や能島氏による攻撃を受け、村上(来島)通総は備中国にあった羽柴秀吉の下に逃走した。来島氏の来島復帰は本能寺の変後の天正12年(1584年)で、秀吉と毛利氏の和睦の結果である。その後四国征伐に通総が先鋒として伊予を攻め、通総は秀吉から風早郡1万4千石を与えられた。

関ヶ原の戦いの後、西軍に属した来島長親は所領を没収された。のちに来島氏は豊後国玖珠郡森で大名に復帰したが来島に戻ることは無く、来島城は廃城となった。

参考文献
愛媛県教育委員会文化振興局編 『愛媛県中世城館跡分布調査報告書』 愛媛県教育委員会、1987年。

来島城の口コミ情報

とくちゃん様[2017年05月04日]
波止浜港から来島まで船が出ています。
便が少ないので時刻表は要チェックです。

波止浜港の観光待合所に復元図と縄張図の入ったパンフレットがありました。

小さい島ですが見学時間は少なくとも1時間は欲しいです。本丸から海を見ていたらすぐに時間が経ちます(笑)

岩礁ピットの遺構は干潮時のみ見れます。

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