本山城(もとやまじょう)
本山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛媛県松山市小浜大串
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 忽那兼平
築城年
- 文治3年(1187)
主な改修者
- -
主な城主
- 忽那氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、石塁、竪堀、犬走り、武者走り、烽火台、水ため井戸
指定文化財
- 市史跡(本山城跡)
再建造物
- -
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本山城の解説文
本山城の口コミ情報
2026年03月01日 エドワード黒太主水正子
本山城
忽那島への懐良親王巡りのついでに訪れました。
高浜港から大浦港へのフェリー片道910円(高速船だと片道1620円)。高浜港での駐車料金660円。およそ1時間の船旅です。大浦港フェリー受付でレンタサイクル200円。
本山城の南西の姫ヶ浜から回り込んで、南側の海沿いに近付きました。ウロウロしながら山に入れそうな場所を探したのですが、どうにも見つけることができず、困り果てて近くで作業をされている方に声をかけてみましたら、昔はお城の海に面した南側の斜面中腹にこの方の家の畑があり、ジグザグに城跡まで登れる道があった。しかし今は放棄され荒れ果てていて、崩れている箇所もあり、どの方向からも登る手段は無いとのことでした。残念。
頂上にあった一族の祠だけは下に降ろし、150mほど北に行ったところに移してあると、教えていただきました。
下から山を見上げて、こんな斜面にどうやって畑を作っていたんだろう、と思いました。しかしそう言われれば、下からある程度の高さまでは果樹園を作るためにか、一度切り払われた跡のようにも見えてきました。別の方向からは、ミカン類運搬用のレールがそこそこの高さまで見えます。山の上の方は、強そうな樹木が密生していて、よほどの腕自慢でないと掻き分けて登るのは本当に無理そうでした。
お城についての案内板はOkushiAgriculturalParkのところにありました。
「東側山麓の船隠しと呼ばれる深い入り江」というのは、現在のこの大串農業公園になっている場所だと思います。
「本山城は忽那氏の最初の拠点となった」とのことですが、このお城はこの島最大の集落である大浦に向いていません。隠れ港というべき神浦港の側にあります。神浦は南北朝時代の忽那義範の居館があった場所でした。大浦の方には忽那氏初代が建てた菩提寺がありましたが。後ほど神浦にも行ってみましたが、神浦からは、別の山が邪魔して本山城は見えませんでした。中島は島の多い海の真ん中にあるので、どの方向からも近付き放題なのですが、このお城は大浦や神浦の里を守るためではなく、純粋に海を見張るための城だと思いました。城から真下に見える久兵衛小島や高島は、小舟をうまく隠せそうです。
結局、懐良親王とは全く関係なかったですが、四国からいくつかの港を経由して来る船旅は楽しく、忽那諸島はしまなみ海道とは別の感じで素晴らしかったです。離島の雰囲気大好きです。島には飲食店が全くなさそうに見えましたが、探せばありました。










概要
中島・小浜の大串海岸に面した標高106mの本山山頂に築かれた中世城跡である。城郭は、山の傾斜面を活用して南に延びる連郭構造で、南面は頂上部の第1郭(12m×31m)から小刻みな段差を備え、郭は12段に構築されている。第2郭と第3郭は、上下の郭に連絡を保つ構えで、それぞれ幅10m、全長25mから30mの規模である。
第2郭と第3郭の法面は石積で、段差は2.5m、南北に連絡する武者走りがある。北部は大きく5段の石積が波型に積まれ、その外側基部に幅60~70センチメートルの一段積犬走りがある。また、東側山麓に船隠しと呼ばれる深い入江をもつ。
本山城は、文治3年(1187)、忽那兼平が水軍活動の根拠地として、初めて築いた城である。興国3年(康永元年-1342)には北朝方の道後湯築城主・河野通盛が来襲したが、3夜の大激戦にのち、これを撃退したと伝えられる。本山城は忽那水軍雄飛の拠点であったが、豊臣秀吉の四国攻略で、天正13年(1585)、小早川軍が来襲し、落城した。
歴史・沿革
・文治3年(1187)忽那兼平が本山城を築く。・興国3年(1342)北朝方の河野通盛が南朝方の中島を征討すべく来襲。忽那義範、重勝は一族を集結しこれを迎い討つ。
・天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の時に小早川隆景に攻められて落城する。
・昭和43年(1968)10月 旧中島町指定文化財史跡本山城跡に指定される。
・平成17年(2005)旧中島町は松山市に編入され松山市指定文化財となる。
参考文献
・中島町文化財保護委員会1981「中島の文化」第二集 中島町教育委員会・愛媛県教育委員会1987「愛媛県中世城館跡―分布調査報告書―」
・長山源雄1982「伊予の古城跡」伊予史談会双書第4集 伊予史談会