本山城(もとやまじょう)

本山城の基本情報

通称・別名

所在地

愛媛県松山市小浜大串

旧国名

伊予国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

忽那兼平

築城年

文治3年(1187)

主な改修者

主な城主

忽那氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、石塁、竪堀、犬走り、武者走り、烽火台、水ため井戸

指定文化財

市史跡(本山城跡)

再建造物

周辺の城

鹿島城(愛媛県松山市)[12.1km]
港山城(愛媛県松山市)[12.1km]
恵良城(愛媛県松山市)[15.7km]
横山城(愛媛県松山市)[16.5km]
松山城(愛媛県松山市)[17.3km]

本山城の解説文

概要
中島・小浜の大串海岸に面した標高106mの本山山頂に築かれた中世城跡である。

城郭は、山の傾斜面を活用して南に延びる連郭構造で、南面は頂上部の第1郭(12m×31m)から小刻みな段差を備え、郭は12段に構築されている。第2郭と第3郭は、上下の郭に連絡を保つ構えで、それぞれ幅10m、全長25mから30mの規模である。

第2郭と第3郭の法面は石積で、段差は2.5m、南北に連絡する武者走りがある。北部は大きく5段の石積が波型に積まれ、その外側基部に幅60~70センチメートルの一段積犬走りがある。また、東側山麓に船隠しと呼ばれる深い入江をもつ。

本山城は、文治3年(1187)、忽那兼平が水軍活動の根拠地として、初めて築いた城である。興国3年(康永元年-1342)には北朝方の道後湯築城主・河野通盛が来襲したが、3夜の大激戦にのち、これを撃退したと伝えられる。本山城は忽那水軍雄飛の拠点であったが、豊臣秀吉の四国攻略で、天正13年(1585)、小早川軍が来襲し、落城した。

歴史・沿革
文治3年(1187)忽那兼平が本山城を築く。
興国3年(1342)北朝方の河野通盛が南朝方の中島を征討すべく来襲。忽那義範、重勝は一族を集結しこれを迎い討つ。
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の時に小早川隆景に攻められて落城する。
昭和43年(1968)10月 旧中島町指定文化財史跡本山城跡に指定される。
平成17年(2005)旧中島町は松山市に編入され松山市指定文化財となる。

参考文献
中島町文化財保護委員会1981「中島の文化」第二集 中島町教育委員会
愛媛県教育委員会1987「愛媛県中世城館跡―分布調査報告書―」
長山源雄1982「伊予の古城跡」伊予史談会双書第4集 伊予史談会

情報提供:松山市教育委員会文化財課

本山城の口コミ情報

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