松前城(まさきじょう)

松前城の基本情報

通称・別名

正木城、真崎城、松崎城

所在地

愛媛県伊予郡松前町筒井

旧国名

伊予国

分類・構造

平城

天守構造

不明

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

加藤嘉明

主な城主

合田氏、大森氏、河野氏、粟野氏、加藤氏

廃城年

慶長8年(1603)

遺構

消滅

指定文化財

町史跡(松前城跡)

再建造物

石碑、説明板

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松前城の解説文



松前城(まさきじょう)は、伊予国伊予郡(愛媛県伊予郡松前町)にあった日本の城。

概要 

築城年月は不明。 南北朝時代には、合田貞遠、大森彦七らが城主になった。 戦国時代には河野氏の拠点の一つであったが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で、河野通直は敗れ、松前城は粟野秀用が城主となった。 しかし、粟野秀用は、豊臣秀次事件に連座し除封され、文禄4年(1595年)、加藤嘉明が城主となった。 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは、加藤嘉明は、東軍に従い城を留守としていたが、西軍の毛利軍と、河野氏の残党が松前城を襲ったが、佃十成らが撃退した(三津浜夜襲)。

戦後、慶長8年(1603年)に嘉明は、松山城に移ったため、城は廃城となった。

松前城の口コミ情報

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