松前城(まさきじょう)
松前城の基本情報
通称・別名
- 正木城、真崎城、松崎城
所在地
- 愛媛県伊予郡松前町筒井
旧国名
- 伊予国
分類・構造
- 平城
天守構造
- 不明
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- 加藤嘉明
主な城主
- 合田氏、大森氏、河野氏、粟野氏、加藤氏
廃城年
- 慶長8年(1603)
遺構
- 消滅
指定文化財
- 町史跡(松前城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
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松前城の解説文
[引用元:Wikipedia「松前城」の項目]
松前城(まさきじょう)は、伊予国伊予郡(愛媛県伊予郡松前町)にあった日本の城。
概要
築城年月は不明。 南北朝時代には、合田貞遠、大森彦七らが城主になった。 戦国時代には河野氏の拠点の一つであったが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で、河野通直は敗れ、松前城は粟野秀用が城主となった。 しかし、粟野秀用は、豊臣秀次事件に連座し除封され、文禄4年(1595年)、加藤嘉明が城主となった。 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは、加藤嘉明は、東軍に従い城を留守としていたが、西軍の毛利軍と、河野氏の残党が松前城を襲ったが、佃十成らが撃退した(三津浜夜襲)。
戦後、慶長8年(1603年)に嘉明は、松山城に移ったため、城は廃城となった。
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