恵良城(えりょうじょう)

恵良城の基本情報

通称・別名

惠良山城、冠山城

所在地

愛媛県松山市上難波

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

難波長浦

築城年

不明

主な改修者

主な城主

河野氏、得居氏、来島氏

廃城年

遺構

曲輪、帯曲輪、石積、井戸

指定文化財

県史跡(恵良城跡)

再建造物

周辺の城

鹿島城(愛媛県松山市)[3.8km]
日高山城(愛媛県松山市)[5.9km]
横山城(愛媛県松山市)[8.1km]
高仙山城(愛媛県今治市)[8.4km]
怪島城(愛媛県今治市)[11.7km]

恵良城の解説文

概要
築城年代は不明である。治承5年(1181)、河野一族のよる所という記録があり、築城はそれ以前である。

浅海原と難波との境302mの惠良山上を中心とした城で、湯築城の控え要地として河野氏盛衰に直接的な役割を果たした城である。

惠良城は天嶮を巧みに利用した石積みや、延長130mの帯状の腰曲輪、各所に張り出した桝形郭、その他貯水井戸の遺構など貴重な資料が残存する。さらに、山の西南方の斜面には三段の土塁跡があり、腰折山へ向かう鞍部高地に作戦上貴重な拠点を構えて敵を谷間や尾根に誘い込み前後あるいは左右から挟撃する水軍戦法をめざした構え、また一度に多くの兵が殺到できないよう地形の利用などのかためをしていたようである。

これはあたかも来島水軍が越智郡波方に群郭複合式城砦群をつくったが、その砦方式に似ているように思われる。

歴史・沿革
治承5年(1181)備後の奴可入道西寂が来攻。河野通清が惠良城を守らせる。
正平23年(1368)河野通直(通尭から改名)は九州より帰国をはかって松前浜に上陸する。つづいて大空城・花見山城などを攻略し、惠良城も奪ったのち、府中を制圧することに成功する。
寛正6年‐文正元年(1465‐1466)河野通生・忽那通光は惠良城で安芸国武田氏の侵攻を防ぐ。
元亀3年(1572)毛利氏が伊予に侵攻すると、河野氏の家臣平岡・土居氏は二神氏と協力して惠良城の攻防戦で撃退する。
天正13年(1585)得居通之は四国征伐の戦功により3000石と惠良城を与えられる。
慶長6年(1601)来島康親は関ケ原の戦いで西軍に参加したことにより、豊後国森に転封され惠良城は廃城となる。
昭和52年(1977)4月15日 愛媛県指定文化財史跡惠良城跡に指定される。

参考文献
北条市教育委員会2002「北条市の文化財」北条市教育委員会
愛媛県教育委員会1987「愛媛県中世城館跡―分布調査報告書―」
長山源雄1982「伊予の古城跡」伊予史談会双書第4集 伊予史談会

情報提供:松山市教育委員会文化財課

恵良城の口コミ情報

修理大夫ののの様[2011年09月24日]
折れ曲がってるような山が、腰折山
その右、尖っている山が恵良城。
山頂に神社があります。

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