星ノ岡城

星ノ岡城([荏原城  周辺城郭])

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星ノ岡城の口コミ情報

2024年04月04日 龍馬備中守【】


愛媛県の松山市にある【星ノ岡城】♪雲門寺の背後にある独立丘陵地に、城郭は存在しました♪眼下には小野川が蛇行し、天然の濠を成しています♪

元弘の変(1331年)次第に衰微していく鎌倉幕府を倒し、王政復古を目指した後醍醐天皇の皇子である護良親王の令旨を受け、宮方に付いたのが、久米郡の河野一族である土居通増、桑村郡得能の得能通綱(河野通信の子通俊の孫)、忽那重清越智郡大三島の大祝安親らです☆この戦いは幕府から天皇が政治を取り戻し、実権を握る事を目的とした王政復古の戦いであります☆

往時、楠木正成は河内国の赤坂に、あるいは千早城に拠って奮戦を続けていて、また諸国にも反幕府的な気運が充満していき、鎌倉幕府の権威が崩壊する時期でもありました☆

瀬戸内の宮方の取り締まりとして、長府に長門探題が置かれ、長官職に北条時直がいました☆
元弘3年 (1333年)幕府方の北条時直は今治市近見に上陸し、宇都宮氏と共に土居氏・得能氏と戦い敗退。。越智郡の石井浜(今治近見)に上陸するも敗退しています☆

その直後に北条時直は再び幕府軍を立て直して、宮方の中心である石井に攻め込んでいます☆北条時直は7千余の軍船を率いて、第1軍を今出に、第2軍を三津浜に上陸させて、伊予国の反幕府軍制圧の為に星ノ岡城を占領し、拠点としました☆この合戦は宮方に属した土居氏館から、2Km離れた星ノ岡山を中心に、石井・久米・小野となかなか広範囲で戦いがあり、結果的に伊予国の宮方軍が勝利しています☆
かなりの激戦だったと伝わり、北条時直は身1つで逃げ出したと伝わります。。

反幕府派のこういった戦いは全国に波及し、各地で戦闘が勃発☆朝廷に応じる武士がドンドン出現し、建武新政と呼ばれる王政復古が成立し、遂には鎌倉幕府は滅亡しちゃいました…。。

戦国時代にも星岡は重要な戦略地域の1つとなっていて、相継ぐ戦乱の地となっています☆

星ノ岡城の山頂・薬師堂(延久年間1073年の築造)の横には、土居氏・得能氏の功績を讃えた石碑が立ちます♪コレは明治17年、陸軍大学校一期生の仙波太郎が中心となり『星岡表忠之碑』が建立されました♪

5つの峰で成り立つ丘陵地、星ノ岡城ですが、この丘陵地全体を城塞化していたのかもしれません♪鞍部は堀切とも動線とも取れる様な窪地を残し、ピーク周辺はシッカリと削平されていました♪

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