新張城

新張城([荏原城  周辺城郭])

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新張城の口コミ情報

2024年04月07日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


愛媛県の松山市にある【新張城】♪舌状台地上(現在は畑)に城郭は形成されています♪北西側には荏原城、上野城があり、城主名を見ると、荏原城の平岡氏の支城群の1城なのでしょう♪
恵原町の字、新張♪地元では『新張さん』とも呼ばれている場所です♪北側は御坂川が流れ、断崖が自然の防壁となっています♪今でこそ農道が通り、コンクリートで固められていますが、往時は崖下までが御坂川だったのでしょう♪西側の直下には土佐街道が走り、交通の要衝地となります♪平岡氏は、道後・河野氏の家臣ですから、松山平野に入る、新張城、荏原城、或いは上野城は、街道監視の目的を持つ城郭だった事でしょう♪

この城郭もまた大きな遺構は残しませんが、南東端にのみ土塁と堀を残しています♪
元々、単郭の城郭だった様です♪
造りは荏原城の様な方形型の単郭で、土塁と水濠で囲い込み、周囲を守っていたのかもしれません♪今現在、土塁上には土岐神社(諏訪神社)が祀られています♪

築城年代等、不明な点が多い城郭ですが、城主として名前が上がっているのが、土岐油井、土岐頼高、平岡左近と云われています♪

記述には『恵原町字新張に三反歩ほと地面の小高き所あり是れ『城の内』と呼ふ 即ち当城の跡なり 土岐山城守浮穴郡徳川城主手勢五騎とあり』とあります♪

土岐氏に関しては、鎌倉幕府第15代目の執権・北條貞顕の書状の一部に『土岐左近大夫殺害せらるの事候やらん 御沙汰候の躰にては候とも 罪名をも付けられ…』とあり、伊予国の守護が、有力御家人である土岐左近大夫に殺害されたとあり、この頃すでに土岐氏が伊予国に入部しています♪鎌倉時代には、土岐氏が美濃国から荏原の里に、地頭として来ていたのでしょう♪その後の伊予における土岐氏ですが、権益は不安定だった様です☆土岐氏は上浮穴郡の大野氏に対して、荏原郷に関する合力を要請したりしています☆
平岡氏が荏原・久万山地域に進出して土岐氏の領主権を脅かした事により、細川政元は大野、宇都宮、森山氏たちに平岡退治の協力を求めていた様です☆平岡氏が力を付けて台頭してきます☆その後の平岡氏は、湯築城の河野家に属し、このエリアを牛耳りました☆

戦国末期の土岐氏は、浮穴郡から野間(今治)に移っています♪今治市、本町円浄寺には今治藩士としての土岐氏の墓が代々残されています♪

鎌倉時代に伊予国に土着した、土岐一族の子孫♪戦国期には縫針(中世の新張は縫針と書きます♪)を拠点とし、浮穴郡の国人領主に成長した土岐氏の話でした♪

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