土居城
土居城([荏原城 周辺城郭])
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土居城の口コミ情報
2024年04月06日 龍馬備中守【】
愛媛県の松山市にある【土居城】♪北には小野川、南側に内川が流れ、2つの河川に挟まれた松山平野に立地♪更に内川よりも南側は、切り立った赤石山系の山々が連なります♪現在は閑静な住宅地の中に、土居城は存在しました♪萬福寺がある場所が、その土居城の中心部とされています♪四国中央市にある土居とは異なります☆
地名の土居とは?鎌倉時代の土豪・武士の屋敷は土塁や堀に囲まれており、その一廓を土居とか堀之内と呼んでいるので、その名残でしょうか?内川を南側の濠とした事でしょうから、その内にという事で土居になったのかもしれません♪
土居城は南北朝時代に、南朝方の中心的存在であった、土居氏の居城となります♪この土居氏は河野通有の弟である河野通成が、文永年間頃(1264年〜1275年)に築城し、その後に土居姓を称したとされています♪
土居氏の活躍として以下の文章が残ります♪
『石井村萬福寺の在る所なり。勤王家土居通増の居城なりと云う』
『土居城、南土居村字五丁目にあり。此村は旧浮穴郡の内なりしが近頃久米郡に属せり。河野四郎通信の六男河野弥九郎通継の四男孫九郎通成、浮穴郡井門郷土居庄に住す。因って土居を以て氏とす。其子次郎通胤、其子彦九郎通増、後醍醐天皇より北条追討の綸旨を賜ひ、元弘三年二月得能又太郎通綱と謀り兵を挙げて官軍に応ず。其の後通綱と共に長門探題北条時直を星岡に撃てこれを破り、遂に兵を携て京都に入衛し数々戦功を顕す。云々』
とあり、松山市の星ノ岡城のある小高い丘陵上に砦を築き、鎌倉幕府方の長門探題北条時直を撃破した事が書かれてあります☆
星岡合戦ですね♪
現在、城郭の南西側には、土居通成の子で懐良親王の令旨を得て鎌倉幕府倒幕の兵を挙げた、土居通増を顕彰する石碑と、宝篋印塔が残ります♪