大宰府(だざいふ)

大宰府の基本情報

通称・別名

太宰府

所在地

福岡県太宰府市観世音寺4

旧国名

筑前国

分類・構造

都城

天守構造

なし

築城主

天智天皇

築城年

7世紀後期

主な改修者

主な城主

大宰帥

廃城年

遺構

道路跡

指定文化財

国特別史跡(大宰府跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

岩屋城(福岡県太宰府市)[1.4km]
水城(福岡県太宰府市)[2.1km]
大野城(福岡県大野城市)[2.9km]
有智山城(福岡県太宰府市)[4.6km]
阿志岐山城(福岡県筑紫野市)[5.5km]

大宰府の解説文

大宰府(だざいふ)は多くの史書では太宰府とも記され、7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関。和名は「おほ みこともち の つかさ」とされる。現在でも地元は太宰府「だざいふ」を使っている。

名称
大宰(おほ みこともち)とは、地方行政上重要な地域に置かれ、数ヶ国程度の広い地域を統治する役職で、いわば地方行政長官である。大宝律令以前には吉備大宰(天武天皇8年(679年))、周防総令(天武天皇14年(685年))、伊予総領(持統天皇3年(689年))などあったが、大宝令の施行とともに廃止され、大宰の帥のみが残された。

『続日本紀』文武天皇4年(700年)10月の条に「直大壱石上朝臣麻呂を筑紫総領に、直広参小野朝臣毛野を大弐(次官)と為し、直広参波多朝臣牟後閇を周防総領と為し」とあるように「総領」とも呼ばれた。

大宝律令(701年)によって、九州の大宰府は政府機関として確立したが、他の大宰は廃止され、一般的に「大宰府」と言えば九州のそれを指すと考えてよい。また、その想定範囲は、現在の太宰府市および筑紫野市に当たる。遺跡は国の特別史跡。

平城宮木簡には「筑紫大宰」、平城宮・長岡京木簡には「大宰府」と表記されており、歴史的用語としては機関名である「大宰府」という表記を用いる。都市名や菅原道真を祀る神社(太宰府天満宮)では「太宰府」という表記を用いる。「宰府」と略すこともある。

なお現在、地元では史跡は「都府楼跡」(とふろうあと)あるいは「都督府古址」(ととくふこし)などと呼称されることが多い。

概要
外交と防衛を主任務とすると共に、西海道9国(筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅)と三島(壱岐、対馬、多禰(現在の大隅諸島。824年に大隅に編入))については、掾(じょう)以下の人事や四度使の監査などの行政・司法を所管した。与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれる。

軍事面としては、その管轄下に防人を統括する防人司、主船司を置き、西辺国境の防備を担っていた。

外交面では、北九州が古来中国の王朝や朝鮮半島などとの交流の玄関的機能を果たしていたという背景もあり、海外使節を接待するための迎賓館である鴻臚館(こうろかん)が那津(現在の博多湾)の沿岸に置かれた。

長官は大宰帥(だざいのそち)といい従三位相当官、大納言・中納言クラスの政府高官が兼ねていたが、平安時代には親王が任命されて実際には赴任しないケースが大半となり、次席である大宰権帥が実際の政務を取り仕切った(ただし、大臣経験者が左遷された場合、実務権限はない)。帥・権帥の任期は5年であった。また、この頃は、唐宋商船との私貿易の中心となった。...

大宰府の口コミ情報

五瓜ニ唐花紋大納言や〜きみ様[2017年05月08日]
駐車場あり。
広い遺構があります。
地元の人は散歩したりしてました。

大宰少弐ためぞう様[2012年02月12日]
いわずと知れた遠の朝廷ですが、あるのは草原と礎石だけです。
礎石から建物を想像しつつ古代に思いを馳せるのみ!

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