都城(みやこのじょう)
都城の基本情報
通称・別名
- 都之城、都城城、鶴丸城
所在地
- 宮崎県都城市都島町
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 北郷義久
築城年
- 天授元年〔南朝〕/永和元年〔北朝〕(1375)
主な改修者
- -
主な城主
- 北郷氏、伊集院忠棟
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板、櫓門、城郭風建造物(資料館)
周辺の城
-
祝吉御所(宮崎県都城市)[5.3km]
龍虎城(鹿児島県曽於市)[6.1km]
安永城(宮崎県都城市)[7.2km]
樺山城(宮崎県北諸県郡)[8.2km]
山田城(宮崎県都城市)[11.0km]
月山日和城(宮崎県都城市)[12.4km]
黒棚城(鹿児島県曽於市)[13.3km]
山之口城(宮崎県都城市)[15.1km]
松山城(鹿児島県志布志市)[15.4km]
恒吉城(鹿児島県曽於市)[20.0km]
都城の解説文
[引用元:Wikipedia「都城」の項目]
都之城(みやこのじょう)は、宮崎県都城市都島町にあった日本の城である。都城市指定史跡[1]。都城とも表記する。別名を鶴丸城。形式は山城。
概要
天授元年/永和元年(1375年)、島津氏の支族である北郷氏(都城島津氏)第2代当主北郷義久が築城し、以後北郷氏の本城となった。
都島に築城されたために都之城と名付けられ、後に一帯の地名の由来となった。『庄内十二外城[2]』と呼ばれる支城群を備え、都城盆地全体を守る構えとなっていた。
築城後の天授5年/永和5年(1379年)、宗家で従兄の島津氏久が室町幕府の九州探題今川了俊と争い、北朝から南朝方についたため、了俊の5男満範が率いる南九州の国人衆の大軍(南九州国人一揆)を迎え撃つこととなるが、辛くもこれを撃退している(蓑原の合戦)。
伊集院氏が支配していた慶長4年(1599年)には庄内の乱の本拠地となった。庄内の乱後、再び北郷氏支配となるが、元和元年(1615年)、一国一城令により廃城となり、北郷氏は現在の都城市役所敷地内にあった領主館に移る。
現在の城址は城山公園として整備され、本丸跡には城郭風建築の都城歴史資料館が建てられている。また、本丸から掘割を渡った西城跡地には、神武天皇を祭る狭野神社が建立されている。なお、南側は日豊本線により分断されており、さらに南まで城域を有していたが、現在では住宅地となっている。
都之城は大淀川の突き出す台地にあり、壮大な空堀と水堀で多数の曲輪を作り出す、いわゆる南九州タイプの典型例である 。また、城の北西に「取添」と呼ばれる外郭があるが、伊集院氏が取添をつくった時期は文禄4年(1596年)から慶長5年(1600年)に限定され、その早い時期に島津氏との抗争がありうるとの判断で、城郭本体部の外で最も危険な場所に最前線の曲輪をつくったと考えられる。
参考文献
- 【書籍】「都城」
- 【書籍】「梶山城と庄内合戦」
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都城の口コミ情報
2021年12月17日 四間飛車内蔵助とみー
都城
2021年12月13日、日向攻略その2
あるイベントを無事に終えた翌日、帰京前にもう一丁!とばかりに宮崎市から電車で約1時間、都城に向かいました。
今回は攻略に自転車の力を借りました。西都城駅から自転車で約10分で着きました。大淀川の近くのもこっとした丘城です。
城郭内には、神武天皇を祭る狭野神社や都城歴史資料館(当日は休館日)があります。
大淀川を堀として利用していたのでしょう。鉄道で分断されているようですが、当時の城郭はもう少し大きくかなりの高低差がある城のように感じました。
本城攻略後、自転車を駆って龍虎城に向かいましたが、帰りのバスの時間に間に合いそうもなく徹底を余儀なくされました。無念( ; ; )南日向の攻略はまだまだ時間がかかりそうです。
*今回お借りしたレンタサイクルの写真も入れました。受付のせとやま弁当さんの前で一枚!
2017年05月08日 京楽秋水.摂政
都城
歴史資料館ゴールデンウィーク中にも関わらず空いていました。休館日は毎週月曜日と12/29~1/3、入館料は大人210円 高校生160円 小中学生100円です。
資料館そばに茶室があり無料でお抹茶をいただけました。(平日は無いかも?)
2011年08月16日 天神
都城
立派な大手門がありますが資料による復元なのでしょうか?解説が見当たらないので違うのかな?
2010年08月04日 渡島右兵衛尉勇
都城
今は、歴史資料館になっています。都城は、島津家発祥の地として有名で、この資料館内には島津家関係がたくさん展示してあります。ここは何度いっても歴史を感じますね
都城の周辺スポット情報
トイレ(トイレ)