祝吉御所(いわよしごしょ)

祝吉御所の基本情報

通称・別名

祝吉館

所在地

宮崎県都城市祝吉町

旧国名

日向国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

惟宗忠久

築城年

建久8年(1197)

主な改修者

主な城主

島津氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

県史跡(祝吉御所跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

樺山城(宮崎県北諸県郡)[3.9km]
都城(宮崎県都城市)[5.3km]
月山日和城(宮崎県都城市)[7.7km]
安永城(宮崎県都城市)[8.8km]
山之口城(宮崎県都城市)[10.0km]
山田城(宮崎県都城市)[10.2km]
龍虎城(鹿児島県曽於市)[10.7km]
黒棚城(鹿児島県曽於市)[18.0km]
松山城(鹿児島県志布志市)[18.8km]
田野城(宮崎県宮崎市)[22.9km]

祝吉御所の解説文

元暦2年、源頼朝は惟宗忠久(初代島津氏)を島津荘下司職に補任。その後、忠久は、薩摩・大隅・日向の守護と島津荘の地頭となる。祝吉御所は、地頭となった忠久が建久7年(1196)に構えた館跡と伝わる。

江戸時代後期に編さんされた『庄内地理志』に収載されている『祝吉御所跡の図』には、近世後期におけるこの一帯の様子が描かれている。それによると、この付近に「表御門跡」・「裏御門跡」・「御馬乗馬場跡」などの遺構が残されていたというが、現在それらを確認することはできない。

遺構 

平成5年(1994)の調査で、東西方向に走る道路状遺構や円形の浅い土壙、小規模な柱穴とみられるピット群などを確認。

遺物 

12世紀後半の青磁と、13世紀から14世紀にかけての土師器をはじめ、東播系須恵器の片口鉢、常滑焼の甕、備前焼の擂鉢などの国産陶器や鉄滓などが出土(一部は歴史資料館に展示)。

現況 

公園。「祝吉御所旧跡」、「島津家発祥之地」の石碑が建つ。タイル製の説明板有。

情報提供:都城市教育委員会


祝吉御所の口コミ情報

2024年02月16日 陸奥守新九郎
祝吉御所



ここが島津が最初に・・・と思うと感慨深い。でも、実際に来て立地環境を見ると、本当にここ?と思わなくもありません。

2024年01月09日 ゆーき
祝吉御所



特に遺構が残っているわけではありません。都城島津家発祥の地といわれてるので島津家好きな方は訪れると良いかもです。
それにしても都城はお城がたくさんあります。遺構は藪で見えませんが名残が残る箇所はありますのでゆっくり見たい方は巡るのもアリですね。

2023年08月17日 薩摩相模守義弘維新斎
祝吉御所



ここは、島津発祥の地。鎌倉時代に源頼朝公から惟宗忠久が島津荘園の下司職に任命され、屋敷を構えたところ。後に忠久が島津と名乗ったのが、島津氏の始まり。

場所は、早水公園、早水神社の近くにあり、島津発祥の石碑が建立され、植え込みに囲まれている。特に土塁、堀等の遺構はありません。住宅地内にあるので、少し寂しい感じがします。島津氏の聖地でもあるため、都城へ城攻めに来た際は訪ねてみて下さい。

2019年04月29日 ⏰信州の風雲児⚜️信濃守
祝吉御所



祝吉御所のすぐ近傍には早水神社があり、仁徳天皇の妃となった髪長姫の生誕地とされる。公園にもなっていて、いま時期はアヤメが咲き誇る。


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