山之口城(やまのくちじょう)

山之口城の基本情報

通称・別名

亀鶴三石城

所在地

宮崎県都城市山之口町山之口438

旧国名

日向国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

平景清

築城年

不明

主な改修者

主な城主

土肥実重、伊東氏、北郷氏、伊集院氏(倉野七兵衛・樗木主水)

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、櫓台、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(池の城・内の城)

再建造物

周辺の城

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山之口城の解説文

城域は南北約150m、東西約250mを測り、2本の大きな空堀で区切られた3つの曲輪からなる。主郭は中央の曲輪と推測され、北東部には櫓台が認められる。各曲輪を区切る空堀は幅約30m程の大規模なもので、台地立地型の城郭の典型といえる。

『名勝志御糺方ニ付取調帳』によると、山之口城は平景清が築城し、建武の頃に土肥平三郎実重が居城したという。

明応4年(1495)11月、守護島津忠昌が伊東氏との和睦に際し、三俣院を伊東氏に譲渡した。その際、山之口城も伊東三俣八城(梶山・勝岡・野々美谷・下ノ城・松尾・山之口・高城・小山)の一つとなった。

その後、三俣院回復に北郷氏が乗り出し、天文3年(1534)正月、高城が北郷氏の手に落ちると山之口城も落城した。

文禄4年(1595)に北郷氏が祁答院(鹿児島県さつま町・薩摩川内市の一部)に転封されると、伊集院氏の持城となる。

慶長4年(1599)の庄内合戦においては、伊集院方の十二外城の一つとして機能していたが、同5年2月29日に落城した後は再び北郷氏のものとなった。

元和元年(1615)の一国一城令により廃城となる。

遺構
土取りにより一部破壊。

情報提供:都城市教育委員会

山之口城の口コミ情報

岩剣左兵衛佐石塁様[2016年07月07日]
多くの方があじさい公園の松尾城跡を山之口城と思われていらっしゃるようですが、実際の山之口城跡は、Google地図で表示される場所から国道10号線方向の川沿いに養殖場が有り、その裏山周辺にかけてのようです。標識は養殖場の川向かいにあります。

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