紙屋城(かみやじょう)
紙屋城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 宮崎県小林市野尻町大字紙屋字城原
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 紙屋氏
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 紙屋氏、米良氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(紙屋城第二の空堀跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
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紙屋城の解説文
紙屋城の口コミ情報
2023年08月13日 薩摩安房守義弘維新斎
紙屋城
伊東氏の伊東48城の一つで、要害を利用し南北へ形成された5個の郭からなり、S状の連郭式山城だったらしい。
城跡には車で行くと、その周辺が畑一面にあって、まさかここに城があったと思えない状況であるため、主郭がよく分かりません。
第二の空堀跡は看板が設置しているため、その隣に空堀跡があると分かります。ちょうど行った時が夏真っ盛りで草が繁茂し、その空堀(薬研堀)の大きさがはっきり確認できませんでしたが、ここに一度は入り込むと這い上がるのに大変だと思います。
近くの野尻城跡を攻めた際には、こちらも攻めてみては如何でしょう。
構造
5つの郭と10層からなる堀から成り立っていた。北側から1~3段目の堀は東西の谷を結び人工的に造られたものであるが、それ以外は天然の地形を利用して最小限の普請で造られている。北側5段目と6段目の堀の間に鐘撞堂が存在し、6段目と7段目の堀の間にあった4番目の郭が本丸と考えられる。築城者は紙屋氏であるという。
歴史
天正5年(1577)12月7日、伊東家家臣の福永丹波守祐友が島津氏に寝返ると、その縁戚であった紙屋城主の米良越後守主税助重方も、これに呼応したため、その翌日、紙屋城も島津氏の城に帰した。元和元年(1615)江戸幕府の一国一城令によって廃城となった。