木脇城(きわきじょう)
木脇城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 宮崎県東諸県郡国富町大字木脇
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 伊東氏
築城年
- 応永年間(1394〜1428)
主な改修者
- -
主な城主
- 木脇氏、福永氏、平田氏、秋月氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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木脇城の口コミ情報
2025年07月08日 順☆散歩征夷大将軍358+47
木脇城
まずは写真①をご覧ください。説明板の左側に水路がありますよね?ネット上ではここが登城口として紹介されているものの、
・現状どう見てもここは道じゃない
・しかもすぐ行き止まりになり、山中に入るには激薮の斜面に無理やり突撃する必要がある
ので、こんなところに侵入してガサゴソしていたら両脇の家の方に通報されるかもしれず、少なくとも自分はここを進もうとは思えませんでした。
というわけで、右側に写っている建物のさらに右隣の家のご主人がたまたま外にいらっしゃったので「登城できますか?」と聞いてみたところ、大変ありがたいことに「ウチの裏から道が出てるよ」と裏庭に案内してくださいました。
で、ご主人曰く、
・以前はさっきの水路のところからも入れたが今は薮で埋まっているからここから登るのが1番よい
・自分らが子供の頃は山頂まで楽に登れたが今はどうなっているか全くわからない
・最初は西へ、その後はUターンする感じで東へ道が続いている
・ただし数年前の台風で崩れているところもあるから登れるかわからない
・見ての通り薮も酷い(写真②)
とのことでした。
ご主人にお礼を言って登城開始してみると、最初は倒竹があって進みにくいものの何とか道がわかります。ただ途中からは薮に埋もれたり崩れたりして道がわからなくなるのでGPSで方向を確認しつつ進めそうなところを見つけて進んでください。運良く虎口を発見できればあとはわかりやすいかと思います。(小さな水路を辿って進んでもいいかも)
この辺りは棘のある樹木が多くて傷だらけになりながらも山頂にはわずか15分ほどで到着できました(もし道が整備されてたら5分で登れそうなほど近いです)。山頂には東西2つの郭(土塁付き)と、それらを分ける堀切があります。東郭のほうが土塁がしっかりしており、かつ櫓台のようなものがあるのでこちらが主郭でしょうか。
また、周囲を散策してみたところ、北側には帯郭、東西にもそれぞれ腰郭、南側にも帯郭や広い郭がありました。南側の郭には折れを伴う虎口もあり、小規模ながらも十分魅力ある山城だと思います。(なお、他にも平場がいくつかありますが、この辺りはかつてミカン畑だったそうなので平場の全てが郭というわけではないと思われます)
麓の家のご主人には下山してから再度お礼を伝え、写真を見せながら現状報告。ご主人は遠くから攻城に来てくれたということで喜んでくださり(しかも「登城したい」と申し出てきたのはオイラがはじめてだそうで笑)、なんだかんだで30分近くいろんなお話を聞かせていただきました。曰く、
・城には全く詳しくないが、それでも城のすぐ下に住んでいるのは誇りに感じる
・知り合いの県会議員に整備してもらえないかと伝えたらとても乗り気だったので数年後には公園として整備される可能性もある
・公園になれば遠くからでも見え、観光資源として活用もできるし、街も盛り上がると思うから、これをきっかけに商業施設も誘致できたらいいな
とのことです。
城内の写真も口コミも投稿ゼロだったので行ってみるまでは不安でしたが、実際リアしてみると忘れられないお城となりました。下手に公園化されちゃうのも問題ですが、もし上手く整備された暁には必ずまた訪れたいと思います。
写真
①説明板付近
②登城口(薮にしか見えませんが道あります)
③南側の広い郭
④山頂の2つの郭を分ける堀切、兼、堀底道
⑤西の郭の土塁
⑥さっきの堀切を北側から
⑦東の郭の土塁
⑧櫓台?