佐土原城(さどわらじょう)
佐土原城の基本情報
通称・別名
- 田島城、田島之城、鶴松城、松鶴城
所在地
- 宮崎県宮崎市佐土原町上田島追手
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- 型式不明[3重/築年不明/破却]
築城主
- 田島休助
築城年
- 建武年間(1334〜1336)
主な改修者
- -
主な城主
- 田島休助、伊東氏、島津氏
廃城年
- 明治3年(1870)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、天守台
指定文化財
- 国史跡(佐土原城跡)
再建造物
- 復元御殿、碑、説明板
周辺の城
-
都於郡城(宮崎県西都市)[4.7km]
富田城(宮崎県児湯郡)[5.0km]
那珂城(宮崎県宮崎市)[5.7km]
広瀬城(宮崎県宮崎市)[6.0km]
木脇城(宮崎県東諸県郡)[8.0km]
宮崎城(宮崎県宮崎市)[9.0km]
丹後城(宮崎県宮崎市)[9.1km]
八代城(宮崎県東諸県郡)[10.2km]
穂北城(宮崎県西都市)[10.8km]
三納城(宮崎県西都市)[10.8km]
佐土原城の解説文
[引用元:Wikipedia「佐土原城」の項目]
佐土原城(さどわらじょう)は、宮崎県宮崎市佐土原町上田島にあった日本の城。伊東四十八城の一つ。江戸時代には佐土原藩の藩庁となった。
佐土原城跡の名称で2004年(平成16年)9月30日に国の史跡に指定された。
概要
14世紀半ばごろに伊東氏の一族田島休助によって田島城(たじまじょう)として建てられた。
1427年(応永34年)頃、田島氏に代わり日向国に勢力を伸ばしていた本家筋の伊東氏の伊東祐賀が入城。佐土原氏を名乗る(このころから通称として佐土原城とよばれだした)。さらに1480年(文明12年)に伊東本家筋から伊東祐国が佐土原氏の養子に入り、正式に伊東氏が田島城(佐土原城)を支配。伊東四十八城の一つに位置づけられた。
1536年(天文5年)に焼失。(1542年(天文11年)から1543年(天文12年))に、田島城(佐土原城)の跡地に新しく鶴松城(かくしょうじょう)として建てられた(通称は佐土原城)。西(現在の宮崎県西都市都於郡)にある伊東家の居城都於郡城と並ぶほどの城に整備される。
その後、伊東氏は島津義久の侵略により豊後国に一時的に退去した際、義久の実弟島津家久が城主として入った(高城の合戦)。
1587年(天正15年)に豊臣秀吉の島津氏に対する九州平定により、島津義久は秀吉に完敗し降伏する。その直後に家久は急死(死因については暗殺などの諸説ある)、息子豊久が城主となる。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで島津家は西軍に参加。豊久は討死し、徳川家康の家臣、庄田三太夫が預かるという形になった。その後1603年(慶長8年)に島津以久が3万石を領して入封、以後明治まで領した。
1625年(寛永2年)に2代藩主島津忠興の代に、山の上の建物を壊して、山の下へ城を移した。その理由は、城郭の老朽化による修繕費増大により、藩の財政では維持ができなくなったことと、1615年(元和元年)の武家諸法度の発令による大名の城郭に対する規則(新規築城禁止・居住補修の届け出)が考えられる[1]。この際に正式名称が本家の鶴丸城と同様に「鶴」の文字をおいた松鶴城(しょうかくじょう)となる(通称は佐土原城)。
1870年(明治3年)に広瀬(現・宮崎市佐土原町広瀬)に移転したため、建造物は全て破却された。ちなみに移転先の広瀬城も廃藩置県のため未完のまま取り壊された。
1993年(平成5年)、発掘調査の成果をもとに二の丸御殿の一部が復元された。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(196番)に選定された。
2018年(平成30年)、台風24号により佐土原城跡登城路で大規模崩落が発生[2]。2021年(令和3年)3月7日に再開放される。
天守
江戸時代に書かれたと思われる佐土原城を描いた屏風には、二の丸とおぼしき場所に立派な鯱を持つ三重の櫓が見られる。「南九州には天守のある城は無い」「天守は本丸にある」というのが常識と思われていたため、この屏風の信憑性が疑われていたが、1996年(平成8年)の発掘で天守台跡と金箔瓦の破片が見つかり、佐土原城には天守に当たる建物があったことが確実となった[3]。日本最南端の天守台として確認された[4]。
島津忠興が佐土原藩政庁を城の麓に移したときに廃棄された。
天守は、伊東義祐が城を整備した頃に作られたという説もあるが、豊臣政権下の島津豊久の時代であるという説も、徳川政権下の佐土原藩の時代ではないかという説もあり、今後の出土物の調査や文献の発見に期待がかけられている。現在の天守台跡からは伊東時代の瓦や、それよりも新しい時代の瓦が混在して出土しており、はっきりしたことはわかっていない。
参考文献
- 【書籍】「佐土原城跡について : 日本最南端の天守台が現存する山城 」 - 『陣城・臨時築城をめぐって(https://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/chujoken/seminar.html)』[第22回 全国城郭研究者セミナー(2005年8月6日開催)]における同タイトルの報告を活字化したもの。
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佐土原城の口コミ情報
2024年10月14日 山下相模守正成
城の駅 佐土原いろは館[佐土原城 スタンプ]
平日は宮崎市佐土原歴史資料館が閉館しているので、こちらの城の駅で続日本100名城のスタンプの押印が可能です。
2024年07月08日 毛利のクマ弾正少弼
佐土原城
鶴松館の女性ガイドさんとお話をさせていただいたのですが、鎌倉期から明治まで丁寧に解説いただき勉強になりました。
2024年06月17日 おかぴー
佐土原城
4年ぶりに訪れましたが、本丸まで歩いて行けます。1部通行禁止がありますが、早い全面復旧をして欲しいです。
2024年05月04日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
佐土原城
正直あまり知らず、佐土原城=鶴松館というイメージでそこまで興味がありませんでした^^;
最初はGWキャンペーンの1000両&続100名城スタンプ欲しさに行きたいなぁという感じでした。
がしかし、少し調べてみると高城川(耳川)の戦いの際に島津義久が着陣し軍議を重ねた城であることがわかり興味が湧いてきました。
しかも大城郭の山城です。
平城の鶴松館は土日祝のみの開館でしかも午後4:30まで。こちらは時間が間に合いませんでしたが、それを遥かに上回る山城の佐土原城❗❗
大手道の雰囲気はYouTubeや写真で観た志布志城のようでまさにTHE島津の城❗
がもともとは伊東家の居城。築城は田嶋氏で、後ほど島津家久の城となるので、伊東義祐時代と比べてどれほど改築されたかはわかりませんが、城攻めが苦手な島津が果たして落城させることが出来たのか、なぜ逃げるという選択肢を選んだのか疑問に思うほど難攻不落の城だと思います。
この頃は島津に寝返る家臣が多かったので仕方ないとは思いますが、もし木崎原での敗戦後比較的直ぐのタイミングで姻戚の大友に援助を求めていれば日向を失うことはなかったのではないかと思いました。それが容易に想像できる難攻不落の城です。
しかしそう考えると島津は戦よりむしろ調略の方が長けていたのかもしれません。
どちらにせよ都於郡城といい、この佐土原城といい、伊東氏は城取や縄張りに関して実はかなり長けていたのではないでしょうか。
残念なのは台風の被害以降復旧が進んでない点です。山城の素晴らしさを伝える為の見本のような城だと思いますし、傾斜もあまり無く廻りやすいので、復旧工事や草刈りなどの整備を進めると、より多くの方が来城されると思います。
山城好きな方には特におすすめの城です❗
ちなみに向かい側に城の駅がありそこでもスタンプを押せてパンフも貰えます。
お店は小さな道の駅という感じなので、もっと佐土原城に関連したものを売って欲しいなぁと感じました。
2024年03月11日 下総守あかね局
佐土原城
資料館の方が台風の影響で入ることが出来ない箇所を丁寧に教えて下さいました。資料館は(土)(日)(祝)開館です。
大手道から本丸まで登って中の道で降りてくるルートだと45分位でした。
2024年01月08日 tower428太閤
佐土原城
台風の影響で入れなかった本丸に入る事ができました。まだ途中にいくつか立ち入り禁止の箇所があります。
佐土原城到着が遅くなる方へ
→本丸には夕方でも入れますが鶴松館の駐車場は17:30閉鎖のため、向かいの城の駅に駐車する事をおすすめします。
2023年12月10日 徳にぃ図書頭銀座のすずめ
佐土原城
大手道からも本丸に行けましたので情報上げます。
以前は途中までしか行けなかったようですが(工場箇所にはブルーシート)、この手前に木製階段を作って頂き曲輪に上がる事が出来、曲輪を進むとまた階段があり大手道に戻れます。
写真①は、工場箇所
写真②は、工場箇所の先で曲輪を降りた所。こんなに綺麗な階段です。感謝〜🙌
2023年11月16日 RED副将軍
佐土原城
日向国を支配した伊東氏の居城🏯
続日本100名城
築城年代は不詳。建武年間(1334年〜1338年)に田島休助によって築かれたと云われます。
田島氏は、伊東祐時の子である伊東祐明が田島庄の代官として居住し田島氏を名乗ったことが始まりとされます。
1427年、勢力を拡大してきた本家である伊東氏の伊東祐賀が田島氏に代わって入城し、佐土原氏を称しました。
1480年には、伊東本家である伊東祐国が佐土原氏に養子入りし、伊東四十八城のひとつとして伊東氏の支城となり、その後、伊東義祐の時代に日向の政治経済の中心地として栄えました。
1572年、島津氏との木崎原の戦いが勃発するも伊東氏は大敗。その後、大友氏を頼り豊後に落ち延びました。
佐土原城は島津家久が入城。豊臣秀吉による九州征伐において島津氏は勝利するも、翌1587年に島津家久は急死し、嫡男の島津豊久が城主を引き継ぎます。しかし1600年の関ヶ原の戦いにおいて島津豊久は、退却戦で殿を務めて討死します。
天領を経て、1603年に島津以久が入封。
1625年、二代当主の島津忠興は山上の城郭を廃し、麓に御殿が建造して居城を移したとされます。
1870年、島津忠寛は広瀬城を新たに築いて移ったため廃城となりました。
見所
標高75mの丘陵上に築かれた山城と、麓に築かれた平城で構成されています。
国史跡に指定されており、麓の御殿が復元されています。
山上へは切通しの登城路が続いていますが、曲がりくねった横矢掛かりが随所にあり、絶えず上部から狙われている気がします。
南九州の城には天守が無い事が定説でしたが、天守跡と金箔鯱瓦の破片が見つかったことで日本最南端の天守があったとされます。
2023年05月04日 noble権中納言弥勒菩薩
佐土原城
大手道の入り口、見事な切岸です。まるで、鎌倉の朝比奈切通しを彷彿とさせる!しかし、崩落、未整備のため、大手道はこの先登城不可となります。『中の道』が現在登城可能な道ですので、そちらから攻城しませう!
2022年11月15日 さ.たま
佐土原城
22年9月の台風の影響により、今もって城跡には入れません。鶴松館は営業してますので、スタンプ押印は可。
2022年06月17日 ( *¯ ³¯)っ旦
佐土原城
石垣が幾十にも回らされた素晴らしい城です。駐車場が搦手口らしいですが、駐車場近くの堀切というのがわかりませんでしたが、駐車場自体が堀切なのかなぁという感じでした。説明板を見る限り小ぶりな城かと思いましたが、じっくりと見て回ると1時間は簡単に過ぎてしまいます。
じっくりと全てを見て回る方は90分から2時間はかかると思われる方が良いと思います。
2022年01月04日 【配龍】美海(ミミ)安房守
佐土原城
大手道①からの登城は、途中で②の看板とトラロープで現在通行止めです。
気を取り直して中の道から登り直します(④の赤色立体図参照)
倒竹、倒木は多いですが通路はきれいに整備されており主郭まで直ぐに登れます♬
南の城は立入禁止でした(入口から倒木だらけ)。
その後松尾丸を目指して③を上がっていきます。するとS字クランクさせた虎口⑥が❣️(写真の順番が上手く出来ずすみません🙇♀️)
その先に赤色立体図で大きな竪堀があったので探すと、藪でわかりにくいですが肉眼ではハッキリとわかる大きな竪堀⑤を発見ღ✨
もう一つ、赤色立体図で見えてなかなか見つからなかったのが大手道沿いの小さな堀切💦
ウロついて探しますが、倒木と藪が凄くなかなか見つからず。再度大手道から登り探したところ立入禁止の看板より手前の土塁に踏み跡発見!(⑧の左側)
ここから入ったら可愛い堀切⑦がありました♬。ただし藪と倒木がけっこうあり、城塁も急峻なので気をつけてください😊
2021年12月21日 久松胆振守西門左衛門️
佐土原城
12/19 本丸まで登れました。大手道はまだ通れないようですが、海鼠壁の建物のあたりから山に入る別ルートで上がれます。コロナ影響なのか、草刈りはされているものの礎石などわかりづらい状態でした。竹林の城といった感じで、冬場の方がいいのではないでしょうか。
2021年12月13日 四間飛車左衛門佐とみー
佐土原城
2021年12月11日、日向攻略その1
あるイベントのため、日向の国、宮崎県に乗り込み、その足で佐土原城に向かいました。
宮崎市からバスで約45分、のどかな田園風景の中にある山城です。
到着が夕方になってしまい、薄暗くなっていく中、戦国の雄、島津氏の支城として整備された城の攻略に足元の不安もあり、少し苦労しましたがなんとか本丸にたどり着き、そこで写真撮影!帰りのバスの時間の関係もあり、そこで撤収となりました。続100名城のスタンプは歴史資料館・鶴松館の道を挟んだ向かいの城の駅で押せます。次の機会があればじっくり堪能したいです。
2021年03月12日 大一大万宮爺
佐土原城
佐土原城鶴松館(歴史資料館)は平日は閉館してますので注意が必要です。
2021年02月22日 のり巻き麦
佐土原城
3月7日(日)~登城路解放になります。
天守台跡まで上がれますので、ぜひ上がってみてください。
2019年06月07日 ありす・みー
佐土原城
土日祝日のみしか開いていない佐土原城。
山城になっているので、本丸跡まてばめっちゃ距離があると思います。この日は去年の台風で山が崩れたり別ルートにはイノシシがでたり…と、本丸跡にはたどりつきませんでしたが、資料館の職員の方から島津家・伊東家の話、歴史や戦などの話を詳しく聞くことができました。←歴史大好きな男性職員。気になる方は声をかけてみると詳しく教えてくれますよ‼︎
2019年05月21日 みず
佐土原城
5/15~6/14まで休みなしで平日も入館できます。ちなみに6/1,2と佐土原 花しょうぶまつりがあります。菩提寺の高月寺にも寄ってみて下さいね
2019年05月02日 ミルク右近衛大将
佐土原城
鶴松館にお伺いしました
閉館の時間にもかかわらず親切に対応してくださり、登城路復旧の目処がたっていないことも教えていただきました
登城口からほんの少しだけ進むことができるとのことでそこまで行ってみました
最近は猪がよく出てくるとのこと少し注意が必要らしいです
2019年05月01日 田上太閤久兵衛
佐土原城
本日、伺った所。令和元年よりGW等の連休中には、鶴松館の営業時間外(早朝、深夜等)は続百名城のスタンプは道路挟んで向かいの城の駅に臨時設置しておくとの事です。
とはいえ
お盆や年末年始、来年以降にはどうしているかは未定の様なので、事前に問い合わせてみる事をオススメします。
これから行けれる方の参考になれば幸いです。
2018年11月14日 Marky武蔵守
佐土原城
立入出来ないのは本丸であって、鶴松館のある二の丸も佐土原城内ですので、「城跡は立入禁止」と書くのは控えましょう。
なお被害は登城路のみで、本丸自体は無事だそうです。
2018年11月12日 城とハト征夷大将軍登山⛰️
佐土原城
本丸までの登山道、3本ありますが、そのすべてで崩落、倒木、また崩落の可能性があるそうです。
また、国の史跡なので、現地調査、対策、費用見積り、着工なので、完成まで、相当期間がかかりそうです。
ですが、復元御殿の出土資料には、金箔のついた瓦もあり、面白いです。良かったら、お立ち寄りください。
ちなみに、続100名城スタンプでの訪問者939人目、11月10日情報です。
2018年10月27日 ぴろり対馬守
佐土原城
本丸までの登山道改修は、国史跡でもあるので国と対応中って係りの方が仰ってました。時間がかかりそーですね。残念です。
2018年10月22日 みやび姫
佐土原城
鶴松館ですが、特別企画展が始まっており、22日〜26日は平日でも観られます!既出の通り、城跡は暫く立ち入り禁止だそうです。
2018年10月13日 徳にぃ図書頭銀座のすずめ
佐土原城
↓フーさん口コミ追加情報です。
台風24号の影響で10ヵ所で大崩落、小さな崩落は100位あるかも知れないとの事です。残念ながら復旧にはかなりの時間が必要なようです。
ただ、スタンプのある歴史資料館の鶴松館で待機しているおじさんは皆さん気の良い人達。また館の中にはジオラマがありますので開館日には是非お立ち寄りください(無料です)。
2018年10月08日 フー甲斐守
佐土原城
10/8現在佐土原城は台風の影響で倒木酷く登城全面禁止になっています。
ご計画の際は現地にご確認下さい(^o^)
2018年07月17日 織田上総介晃司
佐土原城
鶴松館と呼ばれる御殿の前に駐車場があります。
鶴松館は土日祝日は開いてますが平日は閉まっているので注意。
佐土原城に来たら御殿だけでなく本丸目指して山を登る事をお薦めします。
本丸にある天守台は日本最南端だそうです。
2018年05月07日 馬秀のすけ
佐土原城
平日だったので、向かいの道の駅いろは館でスタンプ押しました。バック預かってくれて感謝です。夕方18時で閉まります。
2018年04月13日 近江守TOMO
佐土原城
続100名城スタンプについて。資料館閉館日は、道路向かいの佐土原いろは館で押すことができます。資料も頂けるので、登城前に立ち寄ることをおすすめします。
2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
佐土原城
駐車場あり。
城の前には道の駅みたいな施設もあり。
敷地には資料館と遺構があります。
資料館の裏山が遺構になります。
2017年05月07日 いつかやる征夷大将軍やなんちゅ
佐土原城
平成29年4月より開館日が土曜、日曜、祝日のみとなりました。
菖蒲の季節の5/15〜6/14は特別開館期で休館日無しだそうです。
続百名城に選ばれた事にガイドさんは困惑してました。
そのため開館日の変更がまたあるかもしれません。
2016年05月27日 カーネル
佐土原城
宮崎交通佐土原小前バス停から徒歩10分で歴史資料館
山城へは、建物の左脇から案内板に沿って畑を進むと山城入口の看板があります
道中では、図入りでわかり易い説明板があるので、楽しく歩けます
山道は1周することができます。一番奥では本丸への往復路があるので、本丸跡までピストンしてから、周回道へ戻る
40分くらいで1周できます。ここへ来たのは2回目なので資料館はパスして、バス停まで戻って1時間半
バスが時刻どおり来ないので、地元のおばさんと、平日ダイヤか土曜日ダイヤかで激論を交わす
結論は、土曜でも祝日なら、祝日ダイヤだそうです。お気をつけください
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2016年02月15日 柴崎権大納言幸助
佐土原城
駐車場は歴史資料館にありますが資料館が閉まる16:30には閉鎖されるようなので、ご注意ください。
2015年06月29日 城爺
佐土原城
平山城なのと2日間晴れだったので長ズボンと帽子はかぶったんだけど、
スニーカーに半袖ポロシャツで登城しました。
結果、梅雨どきの山城をなめてました(−_−#)‼️
2012年08月19日 大宰少弐ためぞう
佐土原城
資料館となっている二の丸御殿は、なんと無料!門のあたりの詰所(?)にいる方がパンフをくれて、懇切丁寧に説明してくれました。
2011年02月20日 クック矢沢匠守
佐土原城
山城だった本丸跡には10分ほど坂道登れば着きます、
2011年01月15日 クック矢沢匠守
佐土原城
伊藤家のかぶとや遺品が保存してあります
佐土原城の周辺スポット情報
天守台(遺構・復元物)
本丸枡形虎口(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
大手道(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
松尾丸(遺構・復元物)
中の道(遺構・復元物)
南の城(遺構・復元物)
虎口(遺構・復元物)
御普請所跡(碑・説明板)
御馬繋場跡(碑・説明板)
御代官所跡(碑・説明板)
「従是南西 佐土原領」の碑(碑・説明板)
天昌寺跡(島津家久・豊久公の墓)(寺社・史跡)
高月院(寺社・史跡)
宮崎市佐土原歴史資料館 鶴松館(スタンプ)
城の駅 佐土原いろは館(スタンプ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
東屋(関連施設)