三納城(みのうじょう)

三納城の基本情報

通称・別名

平城

所在地

宮崎県西都市大字三納平城

旧国名

日向国

分類・構造

山城

天守構造

-

築城主

飯田祐恵

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

-

主な城主

飯田氏(伊東氏家臣)

廃城年

-

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

-

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

穂北城(宮崎県西都市)[6.1km]
都於郡城(宮崎県西都市)[7.1km]
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三納城の口コミ情報

2026年10月04日 イカ天相模守リーダー
三納城



口コミゼロの中、あえて初投稿㊗️

平成三年と八年に西都市にて城址公園化された模様で、トイレ・駐車場・看板・柵などが整備されており、主廓まで迷うことなく5分あれば辿り着けます。
ただ、整備後30年経っており、言うて特段の見どころもなく…廃墟化が…ジワリジワリ進行中😭
頑張れ西都市!

以下、案内板の文字起こしです

史跡 三納城跡
西都市街地の西方五・四キロ、九州山地が南に延びた、標高ハ七メートルの断崖台地上に位置しており、西側は断崖絶壁で三納川が南流し、東側は渓谷、北側は馬背綾線が続いて山地に接する堅固な構えである。南側には曲折登坂の追手口を配し、その眼下には三納の町並みを有する三納平野が広がっている。
築造年代等は不詳であるが、南北朝時代の正平一九年(一三六四)南朝方三納蜂起とある。
日向記による伊東氏四八城に含まれ、飯田肥前守が城主とあり、天正五年(一五七七)伊東氏豊後落ちのあと、最後の砦となって、島津氏と対決した有名な城である。
落城後は佐土原藩の外城となるが、元和元年(一六一五)一国一城の制によって廃城される。
本年度、三納城の公園整備事業が行われることになり、事前調査を宮崎県児湯農林振興局の委託を受けて、市教育委員会が主体となり実施した。
調査の綺果、虎口(入口)と推定される遺構三ヶ所や掘立柱建物跡二棟及び多数のピット群が、検出されたが、なかでも虎口は本丸西側中央部分に集中し、「L」あるいは「UL字状の形をしており、両脇に排水用の溝を有しているものも見受けられた。
遺物は、土師器・須恵器・陶磁器・青磁・古銭などが出土したが、土師器が最も多い。器形的には杯・皿類が多く、高台付椀などが含まれている。また、注目されるものとして、中国からの輸入銭「元祐通宝」「開元通宝」のほかに、東北地方の仙台藩で鋳造されたと推定される正方形の「仙台通宝」(天明四年一七八四)が土坑から出土した。いずれも市内ではじめての出土である。以上、本丸の中心的な建物跡と思われる遺構は検出されなかったが、虎口や堀立柱建物跡及び土坑・ピット群などが検出され、城の機能及び性格を小しでも解明できる資料になったことは、大きな成果であった。

平成八年三月 西都市教育委員会

三納城の周辺スポット情報

 石碑(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 山路城(周辺城郭)

 平野城(周辺城郭)

 平群城(周辺城郭)

 駐車場とトイレ(駐車場)

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