富田城(とんだじょう)
富田城の基本情報
通称・別名
- 上ノ城
所在地
- 宮崎県児湯郡新富町大字上富田字後迫
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 伊東氏
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 湯地五郎九郎、新納武久(島津氏家臣)
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
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-
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富田城の口コミ情報
2024年06月03日 順☆散歩征夷大将軍443+23
富田城
上ノ城と下ノ城があり、アプリに登録されているのは前者です。下ノ城のほうは少し離れた新富町文化会館の裏に位置し、出城かもしれないとか。
ネット上でもここをリアした方は極めて少なく、アプリ内の写真も事実上偉大な先人様が投稿された虎口の写真1枚のみ。ちゃんとした縄張図は教育委員会の報告書89ページに掲載されているのでこちらが参考になります。奈文研のサイトからDL可能です。
さて、予め調べておいたところ、登城口はGoogleマップに「富田城(上ノ城)跡」と表示されている辺りらしいのですが、行ってみるとここは民家のすぐ裏だし、超絶ハイパーな激藪だし、ここをガサゴソしてると通報される可能性もあります。
というわけで自分は少し離れた家のご主人(たまたま庭作業なさっていた)に話しかけてみました。結果、とても親切にいろいろと教えてくださいまして…
「我々が子供の頃はすぐ行けた。石積もあった。けど今は荒れ放題で、遺構も埋もれて確認もできないだろう。」「入っていけそうな場所も道もないので辿り着けないと思うよ。」
という回答をいただきました笑
ただ、立入禁止ではないとのことなので「どんなに藪がひどくても構わないので侵入できそうなルートを教えてください」と図々しくもお願い。すると、う~んとかなり長時間悩んだ末に教えていただいたのは、やはり例の民家の裏。その辺から進むのが1番斜面が緩やかなんだそうです。
やはりここしかないのかと意を決して突入すると、もう窒息するレベルの藪、しかも竹があるため極めて進みにくいですが、溺れそうになりながらも進んで行くと突然藪がなくなり、重機が通る道が現れました。実は登城口から少し東に行くと木材切り出しのために藪が切り払われた工事現場みたいな場所があるんですけど、その奥から道が続いていたようなのです。あくまでもショベルカーなんかが通る道であって、危険なので勝手に歩くのはダメだと思いますが、作業してない日なら…
で、誰もいなかったためその作業道を少しだけ城マークとは反対側に進み、城域西端と思われる場所から急斜面を直登するとすぐに広い郭が現れました。ただし、1m進むのにも苦労するハイパー竹藪です。
郭の北東側にはさらに上へと続く高い切岸があり、それを登ると主郭。距離的には麓からそんなに遠くありません。かなり広く、東西に50mはありそうです。藪はややマシなので先ほどに比べると歩きやすいです。この西端(櫓台?)に手製の碑が、中央南側には虎口があって、道が折れながら下方に続いています。おそらくここが本来の登城道なんでしょうが、藪が酷すぎて詳細は確認できませんでした。
主郭を東に進むとかなり高くて鋭い切岸が出現、これをおりると二の丸に相当する郭があります。ただ藪が酷くて進むのにかなり苦労しますし、GPSで確認しなければ自分が進んでいる方角さえわかりません。主郭以上に広いため、探索にはかなりの時間を要しました。なお、さらに進むと三の丸に相当する郭もあります。
今後リアしやすいよう枯れた竹はバキバキにしてきましたが、まあ焼石に水。そんな感じで激藪の中を1時間半ほど散策したものの、それでも確認できたのは全体の6割ほど。縄張図によると三の丸相当の郭の先にも小さな郭群や堀切がいくつかあるようですが、いろいろと限界だったのでこれ以降は確認できませんでした。
到達するのが難しいというより、散策するのが難しいという意味ではこれまでの中でもトップクラスのキツさでしたが、それだけに遺構を確認できたときはガッツポーズもの。自分もいつかまたリベンジしたいと思います。竹藪マニアの方には大変オススメです。
①重機道の奥のここから直登
②主郭南西の郭
③主郭切岸
④藪の少ない主郭
⑤虎口
⑥主郭と二の丸相当の郭の間の切岸
⑦二の丸相当の郭
⑧主郭の土塁っぽいところ
2011年01月16日 クック矢沢匠守
富田城
城跡はなくちく公民館があります、地区名で城元と残っている