高岡城(たかおかじょう)

高岡城の基本情報

通称・別名

天ヶ城、内山城、麓城

所在地

宮崎県宮崎市高岡町内山2375-2(天ヶ城公園)

旧国名

日向国

分類・構造

平山城

天守構造

複合式望楼型[3重4階/1993年築/RC造模擬]

築城主

島津義弘

築城年

慶長5年(1600)

主な改修者

主な城主

比志島氏(島津氏家臣)

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪

指定文化財

市史跡(天ヶ城址)

再建造物

模擬天守(郷土資料館)、碑、説明板

周辺の城

穆佐城(宮崎県宮崎市)[4.3km]
綾城(宮崎県東諸県郡)[6.2km]
倉岡城(宮崎県宮崎市)[6.3km]
八代城(宮崎県東諸県郡)[7.2km]
木脇城(宮崎県東諸県郡)[7.5km]
石塚城(宮崎県宮崎市)[8.1km]
紙屋城(宮崎県小林市)[9.5km]
蓬莱山城(宮崎県宮崎市)[10.8km]
宮崎城(宮崎県宮崎市)[10.9km]
田野城(宮崎県宮崎市)[12.2km]

高岡城の解説文



天ヶ城(あまがじょう)は、宮崎県宮崎市高岡町内山にあった日本の城(山城)。別名高岡城(たかおかじょう)・麓城(ふもとじょう)。旧名内山城(うちやまじょう)。伊東四十八城の一つ。宮崎市指定史跡。現在は天ヶ城公園として整備され、城郭風建築物の「宮崎市天ケ城歴史民俗資料館」が開設されている[1][2]

概要 

かつて「久津良名(くつらみょう)」と呼ばれた旧高岡町中心街の北東に位置する丘陵上に立地し、遺構は破壊を受けているが、本丸・二の丸など大きく6つの曲輪群で構成されていた[3]。また日向伊東氏の伊東四十八城であった当時は「内山城」と呼ばれていた。1577年(天正5年)末に城主・野村氏が伊東氏から造反すると、島津氏が当地を掌握する。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い以後、支配地域東端部の防衛を重要視した島津氏当主・島津義弘は、当城を「天ヶ城」と改名して比志島国貞を地頭に任命し、防衛にあたらせた。また山麓に島津氏ゆかりの地域からの武士730余戸を集住させたが、これが薩摩外城制における高岡郷の起源となった。この後、1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となり、防城の武士たちは高岡の街に移り住んだ。高岡の麓(ふもと)地区には現在も武家屋敷の門や石垣など、当時の街並みが残されている[4]

城跡は1979年(昭和54年)1月24日に当時の高岡町の史跡に指定され、現在は天ヶ城公園となりサクラの名所として知られる[5]。また高岡地域の歴史を紹介する天守風建築の歴史博物館「宮崎市天ケ城歴史民俗資料館」がある。

「天ヶ城運動公園のさくら広場」が、平成2年度手づくり郷土賞(花と緑の手づくりふるさと)受賞(https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/list/pref/list_45miyazaki.html)。

参考文献 

  • 宮崎県教育庁文化課 1998「地名表」『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書1(地名表・分布地図編)(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/7790)』宮崎県教育委員会 p.18
  • 宮崎県教育庁文化課 1999「天ヶ城」『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書2(詳説編)(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/7573)』宮崎県教育委員会 p.121

高岡城の口コミ情報

2023年06月24日 もと弾正大弼
高岡城



資料館がカッコ良い模擬天守でした!中には土日祭日に入れますよ。

2022年05月09日 
高岡城



高岡城は、天ヶ城公園の上部にあり、大淀川を見下ろす展望の良い立地に4階建ての復元天守が建っています。天守内は高岡藩の営みや歴史を感じる品々が陳列され、最上階からは360度のパノラマを遠望出来ます。

2021年11月10日 みそしる筑前守道雪
高岡城



今日は火曜日、宮崎県へ前日入り車中泊した私は朝6時から公園開門との事で、島津義弘公に関わりあるこちらの城から巡ろうとした矢先オーマイゴッド!大手門の前に張り紙が。。。土日祝日のみ営業です、準備足りない私が悪いのです。しかし朝のキリッと冷えた空気は気持ち良かぁ(゚∀゚)発声練習してたお爺さんも元気よかぁ(笑)

2019年06月06日 ふるさと歴史探索
北の城[高岡城  遺構・復元物]



現在は公園になっており子供達の笑顔溢れる憩いの場である。
遺構等は見つけられなかった。

2019年05月23日 ふるさと歴史探索
高岡城

高岡城は、宮崎県宮崎市高岡町に所在する山城で、高岡城、内山城とも呼ばれる。島津義弘により築城、命名されたと言われているが、それ以前には内山氏の居城であったとも言われている。しかし現地案内板では義弘命名以降の説明が大半であった。

関ヶ原で敗れ、命がけの敵中突破、島津の退き口を遂げた義弘一行は船にて宮崎県日向市の細島に上陸、国富町の八代にて一泊する。その日の夜、伊東氏の家臣で清武城主、稲津掃部助が宮崎城を攻撃、義弘宿泊の集落一帯を放火する。この事態に際して義弘は命からがらの帰薩を果たし、方々からの救援により稲津の攻撃も撃退するに至った。この事件で国境警備の重要性を悟った義弘は宮崎市高岡町に城を築き、天ケ城と名付けた。

古来高岡町は鹿児島へ通じる主要な幹線道路が交わる要衝の地であり、高岡町から都城を経て鹿児島に至る道筋は「高岡筋」と呼ばれていた。天ケ城の麓には関所が置かれ、徳川幕府成立後も厳しい出入国管理がなされた。薩摩は琉球や中国との密貿易で巨額の利益を上げていたので、幕府にそれを悟られぬように国外からの入国者には監視のため薩摩藩の役人が同行したほどである。

天ケ城が廃城となった後も、高岡外城(郷)として重厚な塀、生垣に囲まれた武家屋敷群が城下に並び、郷士が居住してその支配体制は明治まで続いた。

ー現在の天ケ城ー

曲輪は空堀で区画されていたが、現在は公園化によりその面影は全く確認できない。曲輪の一つを駐車場に利用しており、そこへ至る道路も充実してはいるが、その道路を開発するため山を大きく削ってしまっている。本丸付近には二重の深掘があったが現在はパークゴルフ場となっており、その地下に遺構が保存されている。(埋められているのか?)また石垣、城門、そして模擬天守が建設され、天守内部は民俗歴史資料館となっている。島津義弘の等身大人形、高岡外城のジオラマ等展示物自体は結構充実している。花見シーズンには桜が咲き乱れ、高岡町の市街地からみると、桜の中に模擬天守がそびえる様が本当にきれいである。園内も花見客でごった返すほどの盛況ぶりである。

2019年03月14日 本田左兵衛尉家吉
高岡城

模擬天守は、歴史民族資料館になっていて、開館日は、(土)(日)(祝)と3月15日~4月14日とのこと。今日は3月14日(木)だべ!残念~天ヶ城公園は、たくさんの桜の木があるので、桜のシーズンは、賑やかで、桜見に良さそう。模擬天守前には、駐車場やトイレ、天ヶ城茶屋があり、ベンチもたくさんあり、そこから高岡の町が一望できます。

2018年07月16日 織田上総介晃司
高岡城

公園として整備されてるので広い駐車場があります。
地元では天ヶ城と呼ばれてます。

遺構を見つけるのは難しく、模擬天守を眺めるくらいかと思います。

2016年12月26日 権大納言土佐っ子
高岡城

城郭としての寿命の短さからか遺構を期待すると厳しいですが、模擬天守はかなり立派です。まわりは公園として綺麗に整備されており、標高も高く街を臨む景色が良いです。静かで落ち着ける場所です。

2013年02月25日 獅子丸城玄蕃頭
高岡城

宮崎駅または宮交シティからバスで高岡方面行きで高岡小入口下車です。城は山の上にあり、30分くらい歩きます。私は、都城、月山日和城のあとに寄りましが、燻蒸作業の為、臨時休館でした。都城から行く場合は西都城駅または都城駅から雀ヶ野行きに乗り、終点下車、そのバス停から宮崎駅行きに乗り換え高岡小入口下車です。月山日和城は都城と雀ヶ野間の高城上町下車です。バス本数は少ないので注意です。

2010年08月16日 渡島右兵衛尉
高岡城

別名を天ケ城(あまがじょう)。※歴史資料館になっていて入ることができます。白塗りの天守で格好いです。また公園から見える高岡市街も絶景です。画像では醜いですが、実際は綺麗です

高岡城の周辺スポット情報

 大手口地(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 北の城(遺構・復元物)

 模擬天守閣(関連施設)

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