須木城(すきじょう)
須木城の基本情報
通称・別名
- 鶴丸城
所在地
- 宮崎県小林市須木大字下田字唐池(城山公園)
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 肝付兼重、米良氏(伊東氏家臣)、島津氏、宮原氏(島津氏家臣)
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪[松尾城・荒神城・肥田木城]、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
小林城(宮崎県小林市)[11.7km]
野尻城(宮崎県小林市)[13.1km]
高原城(宮崎県西諸県郡)[16.1km]
紙屋城(宮崎県小林市)[16.3km]
綾城(宮崎県東諸県郡)[17.3km]
飯野城(宮崎県えびの市)[20.3km]
小川城(宮崎県児湯郡)[22.4km]
八代城(宮崎県東諸県郡)[22.8km]
高岡城(宮崎県宮崎市)[23.2km]
加久藤城(宮崎県えびの市)[24.6km]
須木城の解説文
須木城の口コミ情報
2024年12月05日 昌幸近江守更に吉
野首城[須木城 周辺城郭]
小林市東方にある野首城。
別名を野久尾城・野頸城ともいいます。
築城年、築城者は不明ですが、日向伊東家最盛期に領内に存在した「伊東四十八城」の1つです。
永禄11年(1568)飫肥での戦いにおける戦後交渉の尽力により、米良重方が賜りました。
しかし木崎原の戦いで重方が戦死すると、伊東祐青の弟・新納伊豆守が新たな城主となりました。
島津家の攻勢が強くなっていくなか、天正4年(1576)米良重方の弟・矩重が本城・須木城だけでなくこの野首城も手土産として島津家に寝返ってしまいます。(新納伊豆守と確執があった?)以降島津の城として、元和元年(1615)の一国一城令の発令まで存在しました。
岩瀬川の岩峡に築かれた野首城の縄張りは、主副の郭を中心にかなりの土木量を用いた城になっています。
まず副郭は、兵の駐屯もしくは政務を行う場所と想定できる広さで井戸跡があります。尾根は岩瀬川に向かっていき、堀切を入れることにより侵攻を困難にしています。
主郭は腰郭からの進入が大手だったでしょう。腰郭の南にも尾根が伸び、多くの堀切が入っています。そして陸続きだった北側と西側は相当量の土木工事の二重堀が覆っていて主郭をガードしており、ここが見どころです。
車は標柱の近くに停めさせてもらいました。
リア攻めマップの野首城・標柱を参考にしてください。降りたら目の前はもう二重堀です。
遠方から訪れた者からすると、南九州の城=シラス台地の城のイメージを持ってしまいがちですが、やっぱり一緒くたでにはできないし、この地域の土木量と土の城の気合いをまざまざと見せつけられた気持ちでした。
【写真の説明】
①主郭-副郭間の堀
②副郭にある井戸跡
③副郭から伸びる尾根の堀切
④二重堀の真ん中の土塁から
⑤二重堀(外)。登り始めてすぐ、この土木量の遺構が見られる。
⑥二重堀(内)。左側が主郭、それと同等の高さを持つ土塁。
⑦カーブする二重堀(内)1
⑧カーブする二重堀(内)2
2023年08月11日 薩摩大隅守義弘維新斎
須木城
須木城(鶴丸城)
小林市にある須木城跡は、「すきむらんど」に向かって国道265号線を車で行くと、特に目標とする案内板がありませんが、河野酒店の近くにある小高い山です。
小高い山の入口付近には、左側に肥田木城跡の標柱があり、右側に荒神城跡の標柱がそれぞれ設置されています。また、荒神城跡を更に行くと松尾城跡があります。
松尾城跡には、石積、曲輪、土塁等の遺構があって、城跡だとはっきり確認ができます。しかもここには、ちゃんと広い駐車場があって、ゆっくり散策できるのが良いと思います。
2023年02月20日 気分爽快根室守
須木城
松尾城、肥田木城、荒神城の総称のようで、各城間は道路になるほどの広く深い堀で仕切られています。荒神城の南には外郭的な広い郭があり、横堀と土塁が確認できました。中心は松尾城のようで、1郭入口は石積みの虎口があり、周囲の各郭も土塁で囲まれています。駐車場は広すぎるので、安心して車を停められます。
①松尾城の郭と土塁
②松尾城の堀切
③松尾城1郭手前の郭と土塁
④松尾城1郭の石積み
⑤松尾城1郭内部
⑥松尾城1郭の入口
⑦右が松尾城で左が外郭の深い堀切
⑧荒神城と外郭間の堀切
概要
須木城址は、戦国時代の特徴を持つ城壁が周囲4㎞を取り巻く要害の地に築かれた山城である。大きく5つの郭(堀で区切られ、平坦に造成された空間)から構成されている。『日向地誌』によれば、そのうちの3区画は、西南に位置する郭を「本丸(松尾城)」、その東に位置するのを「荒神城(庚申城)」、その北に位置するのを「肥田木城」と呼んでいる。歴史
築城の年代は不明であるが、延元年間(1336~1340)に南朝の臣、肝付兼重が須木城にたてこもったといわれており、その歴史はかなり古いものと思われる。構造
また、この城は洲山、おどの、鳶の巣、小城等の出城を持つとともに、本城の備えとして、北西方面は蛇の口から目関蛇まで本庄川の岩壁、東南方面は目関蛇と冷水の湿田に囲まれ、唯一南西だけが蛇の口まで約300mの間が陸路となっている。したがって、須木城周囲の4分の3が人馬を寄せ付けない自然の要害となっていたのである。一説に、この城の守護神は大蛇であるとも言われている。