須木城(すきじょう)
須木城の基本情報
通称・別名
- 鶴丸城
所在地
- 宮崎県小林市須木大字下田字唐池(城山公園)
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 肝付兼重、米良氏(伊東氏家臣)、島津氏、宮原氏(島津氏家臣)
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪[松尾城・荒神城・肥田木城]、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
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須木城の解説文
須木城の口コミ情報
2023年08月11日 薩摩安房守義弘維新斎
須木城
須木城(鶴丸城)
小林市にある須木城跡は、「すきむらんど」に向かって国道265号線を車で行くと、特に目標とする案内板がありませんが、河野酒店の近くにある小高い山です。
小高い山の入口付近には、左側に肥田木城跡の標柱があり、右側に荒神城跡の標柱がそれぞれ設置されています。また、荒神城跡を更に行くと松尾城跡があります。
松尾城跡には、石積、曲輪、土塁等の遺構があって、城跡だとはっきり確認ができます。しかもここには、ちゃんと広い駐車場があって、ゆっくり散策できるのが良いと思います。
2023年02月20日 気分爽快陸奥守
須木城
松尾城、肥田木城、荒神城の総称のようで、各城間は道路になるほどの広く深い堀で仕切られています。荒神城の南には外郭的な広い郭があり、横堀と土塁が確認できました。中心は松尾城のようで、1郭入口は石積みの虎口があり、周囲の各郭も土塁で囲まれています。駐車場は広すぎるので、安心して車を停められます。
①松尾城の郭と土塁
②松尾城の堀切
③松尾城1郭手前の郭と土塁
④松尾城1郭の石積み
⑤松尾城1郭内部
⑥松尾城1郭の入口
⑦右が松尾城で左が外郭の深い堀切
⑧荒神城と外郭間の堀切
概要
須木城址は、戦国時代の特徴を持つ城壁が周囲4㎞を取り巻く要害の地に築かれた山城である。大きく5つの郭(堀で区切られ、平坦に造成された空間)から構成されている。『日向地誌』によれば、そのうちの3区画は、西南に位置する郭を「本丸(松尾城)」、その東に位置するのを「荒神城(庚申城)」、その北に位置するのを「肥田木城」と呼んでいる。歴史
築城の年代は不明であるが、延元年間(1336~1340)に南朝の臣、肝付兼重が須木城にたてこもったといわれており、その歴史はかなり古いものと思われる。構造
また、この城は洲山、おどの、鳶の巣、小城等の出城を持つとともに、本城の備えとして、北西方面は蛇の口から目関蛇まで本庄川の岩壁、東南方面は目関蛇と冷水の湿田に囲まれ、唯一南西だけが蛇の口まで約300mの間が陸路となっている。したがって、須木城周囲の4分の3が人馬を寄せ付けない自然の要害となっていたのである。一説に、この城の守護神は大蛇であるとも言われている。