須木城(すきじょう)
須木城の基本情報
通称・別名
- 鶴丸城
所在地
- 宮崎県小林市須木大字下田字唐池(城山公園)
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 肝付兼重、米良氏(伊東氏家臣)、島津氏、宮原氏(島津氏家臣)
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪[松尾城・荒神城・肥田木城]、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
小林城(宮崎県小林市)[11.7km]
野尻城(宮崎県小林市)[13.1km]
高原城(宮崎県西諸県郡)[16.1km]
紙屋城(宮崎県小林市)[16.3km]
綾城(宮崎県東諸県郡)[17.3km]
飯野城(宮崎県えびの市)[20.3km]
小川城(宮崎県児湯郡)[22.4km]
八代城(宮崎県東諸県郡)[22.8km]
高岡城(宮崎県宮崎市)[23.2km]
加久藤城(宮崎県えびの市)[24.6km]
[大きい地図で開く]
須木城の解説文
須木城の口コミ情報
口コミがまだ投稿されていません。
概要
須木城址は、戦国時代の特徴を持つ城壁が周囲4㎞を取り巻く要害の地に築かれた山城である。大きく5つの郭(堀で区切られ、平坦に造成された空間)から構成されている。『日向地誌』によれば、そのうちの3区画は、西南に位置する郭を「本丸(松尾城)」、その東に位置するのを「荒神城(庚申城)」、その北に位置するのを「肥田木城」と呼んでいる。歴史
築城の年代は不明であるが、延元年間(1336~1340)に南朝の臣、肝付兼重が須木城にたてこもったといわれており、その歴史はかなり古いものと思われる。構造
また、この城は洲山、おどの、鳶の巣、小城等の出城を持つとともに、本城の備えとして、北西方面は蛇の口から目関蛇まで本庄川の岩壁、東南方面は目関蛇と冷水の湿田に囲まれ、唯一南西だけが蛇の口まで約300mの間が陸路となっている。したがって、須木城周囲の4分の3が人馬を寄せ付けない自然の要害となっていたのである。一説に、この城の守護神は大蛇であるとも言われている。