飯野城(いいのじょう)
飯野城の基本情報
通称・別名
- 亀城、鶴亀城
所在地
- 宮崎県えびの市大字原田
旧国名
- 日向国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 日下部重貞
築城年
- 永暦元年(1160)
主な改修者
- 北原氏
主な城主
- 日下部氏、北原氏、島津義弘、島津久保
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(飯野城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
加久藤城(宮崎県えびの市)[4.4km]
小林城(宮崎県小林市)[12.5km]
栗野城(鹿児島県姶良郡)[17.0km]
赤池城(熊本県人吉市)[17.0km]
高原城(宮崎県西諸県郡)[19.1km]
人吉城(熊本県人吉市)[19.9km]
須木城(宮崎県小林市)[20.3km]
大口城(鹿児島県伊佐市)[23.6km]
横川城(鹿児島県霧島市)[23.9km]
野尻城(宮崎県小林市)[24.7km]
飯野城の解説文
[引用元:Wikipedia「飯野城」の項目]
飯野城(いいのじょう)は現在の宮崎県えびの市飯野にあった日本の城(山城)。別名を亀城、あるいは鶴亀城。現在は亀城公園。えびの市指定史跡。
概要
比高50メートルの河岸段丘上にあり、城の南方は川内川に面して、また東方と西方もその支流が流れいずれも険崖になっており、北方は押建山が壁の役割を果たす要害の城。
本丸・二の丸・三の丸に加え、見張り台・桝形・弓場と呼ばれる郭が存在した。また、10メートルほどであるが石垣が遺構として残されている。
歴史
永暦元年(1160年)に日下部重貞が真幸院司に就任し、真幸院守護の目的で築き居城としたが、その日下部氏が没落すると、康永4年(1345年)に北原兼幸が真幸院司に就任し居城とした。
永禄7年(1564年)、その北原氏も滅ぶと今度は島津氏の所有となり、島津貴久の次男・島津義弘の居城となった。
天正15年(1587年)に義弘の嫡男・島津久保の居城となるが、久保は文禄の役に参加中の文禄2年(1593年)に病死する。
元和元年(1615年)の一国一城令により廃城。
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飯野城の口コミ情報
2023年02月20日 気分爽快信濃守
飯野城
亀城公園となっており、駐車場もあるので、登城は容易だが、本丸と西の物見曲輪以外は、2月でも藪が酷く遺構の確認は難しかった。二之丸はなんとか登ってみたが、三之丸は遠くから眺めるのみであきらめた。
①城址入口の冠木門
②二之丸内部
③三之丸
④本丸入口
⑤本丸
⑥西の物見曲輪
⑦二之丸
⑧搦手口から見上げた本丸
2021年02月24日 征夷大将軍こうちゃん播磨の守
飯野城
R268とR221の重複区間「飯野中学校入口」交差点を北に行き、川内川渡って左折して飯野城跡へ行けます🤚写真の門、車でくぐれて駐車場有ります🅿トイレ無し😑
駐車場から本丸跡迄5分以内で行けます☝️
ここも「木崎原の戦い」の舞台になった城跡です☝️
2017年05月30日 マイ兵庫助リバ【扇に月丸】
飯野城
本丸を1分かからずに「秒殺」できる駐車場まで車で行くことができます。
その前に、大手門まで行く途中の民家に「史跡 飯野城」の解説板が設置されています。
駐車場から本丸へのルートの冒頭部分に島津義弘公が飯野城に入った頃に植えられた杉の木があり、本丸跡には「亀城址」の石碑と「飯野城と島津義弘」&「本丸跡」の解説板が揃い踏みしています♪
物見曲輪からは南側に眺望が開けていて、木崎原合戦の際には、伊東軍の動きを素早い察知できたことでしょう。
コンパクトにまとまっていて、リア攻めしやすい城跡です。