人吉城(ひとよしじょう)

人吉城の基本情報

通称・別名

繊月城、三日月城

所在地

熊本県人吉市麓町

旧国名

肥後国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

築城主

相良長頼

築城年

元久年間(1204〜1206)

主な改修者

相良義陽、相良頼寛

主な城主

相良氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

国史跡(人吉城跡)

再建造物

櫓、塀、石碑、説明板

周辺の城

赤池城(熊本県人吉市)[2.9km]
渡利城(熊本県球磨郡)[5.9km]
鍋城(熊本県球磨郡)[17.7km]
加久藤城(宮崎県えびの市)[17.9km]
高尾城(熊本県葦北郡)[18.1km]
飯野城(宮崎県えびの市)[19.9km]
大口城(鹿児島県伊佐市)[22.1km]
久多良木城(熊本県八代市)[25.7km]
佐敷城(熊本県葦北郡)[26.8km]
栗野城(鹿児島県姶良郡)[28.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

93 人吉城

設置場所

人吉城歴史館 東側駐車場(「ふるさと歴史の広場」側駐車場)[地図

人吉城の解説文



人吉城(ひとよしじょう)は、熊本県人吉市麓町(旧・肥後国球磨郡人吉村)[1]にあった日本の城(平山城)。相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。

概要 

人吉城は市内中央部を流れる球磨川の南側に位置し、球磨川とその支流胸川の合流点の山に築かれており、北側と西側は球磨川と胸川を天然の堀とし、東側と南側は山の斜面と崖を天然の城壁として、巧みに自然を利用している。球磨川沿いに三の丸を配し、その南に二の丸、さらに丘陵上に本丸が配されている、梯郭式の平山城である。本丸には天守は築かれず護摩堂があったといわれる。 中世には本丸から谷を挟んで、南・南東・東の丘に上原城・中原城・下原城という支城もあったとされるが、現在の城跡公園には含まれていない。

幕末に築かれた御館の石垣の一部には、ヨーロッパの築城技術である槹出工法(はねだしこうほう)を応用した「武者返し」と呼ばれる独特の石垣がある。この武者返しは城壁最上部に平らな石がやや突き出して積んであり、ねずみ返しのように城壁越えを阻止すると共に、上からなら割合簡単に落下できるようになっており、城壁に張り付いた敵への攻撃にも使えるようにしている。この城壁は日本の城では他に函館の五稜郭龍岡城にしかない(城以外も含めればお台場にも見られる)珍しいもので、いずれも人吉城の石垣程の規模ではない。 この武者返しは球磨川に面した面が最も高く大きくなっているが、これは球磨川対岸の火事が飛び火した「寅助火事」で城郭が炎上したために、防火の意味ももたせたためである。

現在の城跡は「人吉城公園」として整備され櫓や塀が木造復元されている。また、城址の西側には相良護国神社がある。またかつては城内に野球のグラウンドと人吉市役所、市民会館があったが、熊本地震の被害を契機に移転、現在は人吉城歴史館と駐車場になっている。

歴史・沿革 

鎌倉時代

源頼朝に仕えた遠江国相良荘国人の相良長頼は元久2年(1205年)肥後国人吉荘の地頭に任ぜられた。この地は平頼盛の家臣の矢瀬主馬佑が城を構え支配する所であった。主馬佑は長頼に反抗したため、鵜狩りと称して主馬佑を誘き寄せ謀殺した。これを悲しんだ主馬佑の母・津賀は恨みをもって自害し、亡霊となって祟ったという。後に三の丸には鎮魂の為に「お津賀の社」が建立された(現在は残っていない)。

長頼は主馬佑の城を拡張し人吉城の基礎を造った。築城の際、三日月型の模様の入った石が出土した。このため、この城の別名を「繊月城」「三日月城」とも言う。

戦国時代・安土桃山時代

戦国時代になると相良氏は球磨地方を統一する。しかし、家督問題で内訌が生じた後の大永6年(1526年)7月14日、日向真幸院を治める北原氏が率いた大軍(一向宗を率いていたともいわれる)により人吉城は包囲される。相良義滋は策を用いて北原氏を追い返し事なきを得たが、これが相良氏入城後の人吉城が他家に攻められた唯一の出来事となった。

その後、19代当主の相良義陽によって天正年間(1573年 - 1593年)より城の大改修が始められた。途中に度々改修の中断があり、22代頼寛の寛永16年(1639年)漸く近代城郭に生まれ変わった。

戦国時代の相良氏は南の島津氏や北原氏、北の名和氏や大友氏などに絶えず脅かされよく耐えていたが天正9年(1581年)に島津氏に降伏し臣従する。その後、義陽の子・相良頼房は天正15年(1587年)羽柴秀吉の九州征伐の際に奮戦するもこれに降伏、家臣・深水長智の交渉により再び独立領主として人吉城と領地を安堵された。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは当初は石田三成方(西軍)に付き伏見城などを攻めるが、本戦で石田方が敗れると徳川方(東軍)に内応し戦功を挙げ、徳川家康より2万2千石の領地を安堵された。

江戸時代

享和2年(1802年)には城内から出火、文久2年(1862年)2月には城下町の鍛冶屋から出火があり「寅助火事」と呼ばれる大火となった。この2度の火災で城は全焼した。その後、一部の建物が再建された。

近現代

明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となった。1877年(明治10年)に起こった西南戦争では西郷隆盛軍の拠点となり戦闘が行われた。この際に幕末に再建された建造物も全焼したが、焼け残った堀合門が市内の民家に移築され現存する。

その後、城跡は人吉城公園として整備され、1961年(昭和36年)9月2日、国の史跡に指定された。

1989年(平成元年)隅櫓が復元された。1993年(平成5年)には大手門脇多聞櫓と続塀が復元された。

2005年(平成17年)人吉城歴史館が開館。施設内に石造り地下室の遺構が保存されている。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(93番)に選定された。

2020年(令和2年)7月3日からの大雨(令和2年7月豪雨)のため、城址でも被害を受け、「施設設備復旧のため」人吉城歴史館が休館している[2]

交通アクセス 

  • JR九州肥薩線人吉駅より九州産交バス頭地ゆき・湯前駅行きなどに乗車し「五日町」下車、徒歩9分(740m)。もしくはじゅぐりっと号に乗車し「新町」下車徒歩8分(資料館などにはより近い)もしくは「二日町」下車 徒歩10分。
  • 九州自動車道人吉インターチェンジよりじゅぐりっと号に乗車し「新町」下車もしくは「二日町」下車。

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」

人吉城の口コミ情報

2024年10月13日 かめ左京大夫ゆみ
人吉城

さすが100名城でした。川あるところにお城ありの典型パターン。石垣もそりたっている武者返し、立派。令和2年末の球磨川氾濫の傷が全て癒えきっていない様子、頑張れ!

2024年05月22日 武蔵守与作兵衛
人吉城



全国的にも珍しい武者返しの石垣があります。水害の影響で2022年12月には近付けなかったようですが、2024年5月には球磨川沿いの水ノ手門跡周辺から見上げることができました。確かにこのオーバーハングは効果がありそう(防御力が高そう)です。この他の石垣もよく残っていて見応えがありました。人吉城歴史館はまだ休館中ですが、100名城のスタンプは押せます。駐車場もありアクセスも良いので是非リア攻めしていただきたい城の一つです。

2024年02月12日 マー坊右近衛中将
人吉城



二ノ丸から降りて来るところの枡形虎口非常に良かった。

2023年09月18日 武景式部大輔
人吉城

石垣や舟入がとても良い状態で訪れて良かったなと思えるお城ですね。資料館はまだ閉鎖中だったのが残念ですが、見ごたえは充分あるので近くを通られるようなら是非寄ってみて下さい。

2023年05月05日 noble権中納言弥勒菩薩
人吉城



狭く何重にも折れた枡形です。厳重なり。歴史館長期お休み中。一日も早く復興が済みますよう、祈ります。

2023年04月29日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
人吉城



さすがは100名城です。You Tubeでupされた人吉城の動画を幾つか視聴して赴いたので大きさや広さを何となく理解してたつもりでしたが、実際は想像以上の広さでした。

車で五木村がある445号線を南下しつつ行軍し、球磨川沿いから人吉城の石垣を観た時は感動しました。水の手橋を渡り右折して人吉城歴史館でまずは100名城スタンプ。それから大手門前の駐車場(無料)に駐車。
西外曲輪の広さに驚きました。

本丸までの道のりは正直それほど疲れないと高を括っていましたが、勾配がそれなりに急なのと、それ以上に石段が思いの外高さがあったりして軽く筋肉痛になりました、油断大敵です(笑)

縄張りがある種独特なものとなっています。多くの城と同じように、本丸、二の丸、三の丸がありますが、本丸ではなく二の丸に御殿があったので実質二の丸が本丸で、本丸は他の城でいう天守台となるようです。しかし天守は建てられてません。

二の丸、三の丸はかなり広いので多くの兵を駐屯でき、立地も球磨川と胸川が合流する丘陵上に築かれているので難攻不落の城と言っても過言でなはないと思います。

ただ前述した通り石段の高さがあったりバリアフリー化はされてないので、状況や境遇によっては足腰への負担は城の見た目以上にあるかもしれません。

2022年12月19日 関白 大神信貫
人吉城



現在、立入ができるのは東屋の一部と三ノ丸、二ノ丸、本丸のみ。武者返しの石垣はかろうじて横から見れる程度。

2022年06月01日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
原田城[人吉城  周辺城郭]



熊本県の人吉市にある【原田城】♪石水寺の背後(北側)標高170mに聳える山に城郭は存在しました♪
父の実家が人吉にあるのですが、僕も小学2年まで人吉に住んでいました♪
石水寺にも思い出があって、通っていた保育園の園長先生が、この石水寺の和尚様でした♪お泊まり保育でお寺の境内に泊まり、遠足やイベントの際に登っていた山がこの原田城なんです♪
山の事をどんぐり山と呼んでいて、幼い頃に何度も登ってました♪ふと人吉の城郭を調べていた際に…原田城の事を知り、居ても立っても居られなくなり、登城wまさか小さい時、自分が登っていたあのどんぐり山がw城郭だったなんて…♪
ビックリ‼️しました♪

この原田城は東の尾根に東城、中央の尾根に西城と2つの尾根を利用した城郭になります☆西城、主郭と思われる場所は自然地形を利用した削平の甘めな郭が残ります☆この郭の北側に、堀切一条が残り、そのまま竪堀となって山麓へ落ち込みます☆
東城に向かう途中にも、一条の竪堀、尾根上は土塁で仕切られ郭を区画しています☆
更に東城には大堀切が残り、西城へ向かう尾根を分断しています♪

築城年代は定かではありませんが、豊永氏、馬場園氏が城主と伝わります♪

相良家文書108相良祐長軍忠状には『一. 以同廿日(興国元年六月)、原田城大宰少弐頼尚若党以下凶徒等楯籠之間、押寄、致合戦、焼払了』と残っていて、興国元年(1340年)六月に少弐頼尚の軍勢が押し寄せ合戦があったと云う事が残っています☆
石水寺の南西側には中世の五輪塔と思われる石塔が数基残ります☆

このどんぐり山は今は人が入っていないのかな〜??幼い頃の写真に写っている遊具が、年をとっていましたw

石水寺の直ぐ下には馬氷川♪コレを天然の堀としたのでしょう♪馬氷川の門前には眼鏡橋が掛かっています♪嘉永7年江戸時代に石工・太次郎によって架橋されています♪
この石水寺は室町時代に相良・9代目の相良前続の開基で永国寺を開いた実底超真和尚の隠居寺として建てられたお寺さんになります♪原田城は相良氏の支城群の1つなのでしょうね♪うっすらと幼い時の記憶が甦りました♪

2022年05月05日 くっしー治部大輔尚人
人吉城



700年間、城として使われていたらしく歴史を感じます。現在は総石垣の近世段階の遺構が残っています。石垣は野面乱積みですが、場所によって石の大きさや積み方が違うので見ていて面白いですよ。

令和2年の豪雨災害の影響で立ち入り禁止の所があり、資料館も休館中でした。

2022年04月29日 三上駿河守
人吉城

高速バスの人吉IC下車、そこから徒歩約30分です。復旧工事中のため立入禁止が多くリア攻めはできませんでした。少なくとも雨の日はぬかるみが多いので、あまりオススメはしません。

2022年04月21日 かてきん
人吉城

歴史舘は休館でしたがスタンプは押せます❗復旧作業中のため立入禁止区域が多かった

2022年04月15日 くろねこ駿河守⛩️【】
人吉城



歴史館道路側の倉庫に100名城スタンプとQRコードがあります(24h可)但し夜間はライト必須です。

2022年04月03日 ふみ
人吉城



歴史館は、休館でした。城跡も、立ち入り禁止の所が多く、復旧がまたれます。

2021年10月31日 もっこす肥後守
人吉城



水害後初めて訪れました。いつも通り御下門跡から入り中の御門跡を抜けて本丸へと思っていたのですが、御下門跡へ行く道が通行止めでした。ただ、相良護国神社の方から本丸へは行けます。

土曜の昼過ぎに訪れたのですが、本丸までの往復誰とも会いませんでした。たまたまかも知れませんが、早く活気のある人吉に戻って欲しく思います。

2021年09月20日 なべびー能登守
人吉城

令和二年の豪雨のため崩れた石垣の復旧してますが立ち入り禁止は限定されてますので一通り見学可能です。一般道は復旧のため片道通行など規制が多いようなので高速を利用された方がよいかな。

2021年09月19日 トビー対馬守
人吉城



2020年度の豪雨災害で損傷した、球磨川沿いの石垣が修復中の為、2021年9月現在、そちらに近づく事が出来ません。災害は致し方無いとはいえ、例の少ない跳ね出し石垣を間近で見れないのは、大変残念でした。

2020年11月24日 ザキ佐渡守
人吉城



2020/11/24に突撃しました。
令和2年7月の豪雨災害の為一部立入禁止でしたが本丸まで登る事は可能でした。
歴史館はまだ閉まっておりましたが百名城のスタンプは歴史館入口の外に置かれてあり無事スタンプゲット出来ました♪

2020年07月07日 十和大炊助邦花
人吉城

○人吉市役所 Facebook
 7月4日 15:07 記載の情報を転載。

【人吉城歴史館 臨時休館のお知らせ】
施設設備復旧のため、当分の間、臨時休館いたします。
百名城スタンプの押印もできません。
皆様にはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

人吉城歴史館(市歴史文化課)
電話 0996-22-2111

2019年07月30日 織田上総介晃司
人吉城

城内に駐車場があります。

「武者がえし」と呼ばれる石垣があるのが人吉城の最大の特徴。
球磨川沿いの復元櫓から本丸まで全部見ようとすると1時間はかかると思います。

リア攻めの後は人吉温泉で汗を流し、人吉駅で駅弁「鮎ずし」を食べてビールを飲めば最高でしょうね。

人吉駅にはお城の形をしたからくり時計があります。

2019年05月26日 衣谷太閤其土
復元された地下室[人吉城  遺構・復元物]

スタッフに声をかけて見学可能

2019年05月26日 衣谷太閤其土
原城跡(人吉城の前身)[人吉城  遺構・復元物]

曲輪らしきところに海軍の記念碑が2つ。入り口に簡単な案内板はあるけどもう少し城の説明と整備を。

2019年05月15日 摂津守くるっク
トイレ[人吉城  トイレ]



比較的、新しいトイレです。中もキレイでした

2019年05月15日 摂津守くるっク
人吉城



水ノ手門跡 河原までどうなってるかみたかったが草が茂りすぎで断念

2018年12月09日 和泉守yukinezumi
人吉城

年末年始(12/29~1/3)は人吉城歴史館は休館のため、100名城スタンプの対応は2パターンで、歴史館入口にシールを置き、市役所別館守衛室にスタンプを設置するそうです。

2018年08月03日 徳にぃ図書頭銀座のすずめ
人吉城

人吉ICから行けば城跡に向かう橋を渡って右手にある人吉城歴史館にお立ち寄り下さい。
館内見学し、気の良いおじさんに「地下室が見たい」と言えば屋敷下で見つかった地下室を目の前にして説明をしてくれます。
人吉城の案内図も受付の先に置いています。(スタンプだけ!の方はこの建物の入口すぐの所にあり入館せずに押せます)

武家屋敷跡も只今発掘中。今後が楽しみです。

城跡も整備されています。石垣に興味のある方は是非リア攻めして下さい。


2017年10月18日 雅昌 備前守朱龍
人吉城

タクシーの運転手さんの話…
ここに天守閣が残っていれば、西郷隆盛達の仮の住処になっていたはず。天守が無いから、城下町に一ヶ月住む事になったようだと(^^)
しかし、もし天守閣が残って彼らの隠れ家となっても戦争時は狙い撃ちは間違いないから、結局は天守台しか残らない…(>_<)
そんな事を考えながら、この石垣群や二の丸からの街並みをゆっくり見てやって下さい!
また、人吉温泉にゆったりと浸かってこの街並みをノンビリと巡って下さい! …と(^^)

はい、是非次回はプライベートで再訪すると決めました(^^)

皆さまも是非(*^^*)


2017年05月15日 惟新斎北見守かなえ
人吉城

時間がなかったのでざっくり見ましたが、城は綺麗に手入れが行き届いていて見やすかったです。桜がまだ咲き始めの頃に行きましたが石垣と水路の水面に桜が映えて大変綺麗でした。どうして桜って「和」のものにこんなに似合うのでしょうか(笑)

2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
人吉城

駐車場あり。

石垣その他遺構あり。

石垣には返しみたいな石がてっぺんについてて特徴ありますね。
川も印象的な城です。



2014年11月08日 かおりん
人吉城

⬇資料館のことです!あと物産館に併設された足湯が気持ちよい♪隣の酒屋では相良藩の家紋入りのおちょこ買いました。

2014年11月08日 かおりん
人吉城

平成25年に行ったときロッカーとかないので困ったけど受付で預かってもらえました~。地下は一言断って専用のドアから階段で下りるけど怖かった…館内の方がちゃんと説明してくれますけど。

2014年11月08日 柳生兵庫助如雲斎
人吉城

平成9年に見つかった謎の地下室は必見です。

2013年08月31日 若旦那和泉守
人吉城

人吉温泉は150ぐらいで入浴できる銭湯が多数あります。時間があるかたは是非ともお立ち寄り下さい。

2011年01月04日 June02
人吉城

城内は、公園として整備され、また、復元された櫓、塀及び遺構である石垣等、それぞれに説明プレートが有り、時間を忘れ、散策が楽しかったです。
掲載写真は、堀合門(復元)と『武者かえし』の石垣です。
石塔には、『史蹟人吉城趾』と彫られ、堀合門は、2度の大火と西南戦争を乗り越えた人吉城唯一の建造物は、移築?され武家蔵【土手町・大手門より徒歩西に10分】に現存。『武者かえし』は、2度目の大火で長櫓を焼失、復旧せずに石垣の高さを増し、頂部に平石を設置したそうです。
また、来訪したいと思います。

人吉城の周辺スポット情報

 本丸跡(遺構・復元物)

 多聞櫓跡(遺構・復元物)

 原城跡(人吉城の前身)(遺構・復元物)

 復元された地下室(遺構・復元物)

 角櫓(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 大手門跡(遺構・復元物)

 渋谷家屋敷跡(遺構・復元物)

 犬童市衛門屋敷跡(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 水ノ手門跡(遺構・復元物)

 大井戸遺構(遺構・復元物)

 御館跡庭園(遺構・復元物)

 二の丸跡説明板(碑・説明板)

 史跡人吉城跡(碑・説明板)

 御下の乱供養碑(碑・説明板)

 西南の役薩軍台場跡(碑・説明板)

 御館入口(碑・説明板)

 原田城(周辺城郭)

 大村平家城(周辺城郭)

 於津賀社跡(寺社・史跡)

 人吉城歴史館(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 観光客専用駐車場【無料】(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 観光専用駐車場【無料】(駐車場)

 観光客専用駐車場【無料】(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 本丸入口(その他)

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