大口城(おおくちじょう)

大口城の基本情報

通称・別名

牛山城、牟田口城

所在地

鹿児島県伊佐市 大口里上ノ馬場

旧国名

薩摩国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

平元衡

築城年

保元3年(1158)

主な改修者

主な城主

牛屎氏(平氏)、菱刈氏、新納忠元(島津氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

栗野城(鹿児島県姶良郡)[15.8km]
横川城(鹿児島県霧島市)[19.1km]
加久藤城(宮崎県えびの市)[19.3km]
渡利城(熊本県球磨郡)[21.1km]
赤池城(熊本県人吉市)[21.6km]

大口城の解説文

※この城郭は2017年4月6日に名称と位置が変更となりました。

大口城は、別名牛山城、牟田口城ともいわれる、島津氏の外城である。鹿児島県伊佐市大口里字上ノ馬場にあった。古典的な山城形式だった。この城は、江戸時代の間に取り壊されてしまい、2016年11月現在では空堀や土塁が多少見受けられるのみとなっている。

築城の経緯
大口の地は、もともと日向国都城、肥後国人吉、肥後国水俣、薩摩国出水、大隅国横川など、交通の要衝や日向路、肥後路などの主要道路に近く、付近の各村も地政学的に有利な土地が多かったので、重要な薩摩・大隅・日向の三国間の交通の要衝であった。

大口城は、保元3年、保元の乱で勝者となったことによって平信基が薩摩国牛屎院と祁答院を与えられ、その4男である平元衡が築城したという。

ただし、この「平元衡」を「太秦元衡」とする書き方もあり、「牛屎院」には「うしくそいん」、「ねばりいん」など読み方に多数の説がある。

城のその後
この城の城主はもともと島津家家臣だったが、室町時代には、近隣の相良氏や蒲生氏と協力して島津氏に抵抗した菱刈氏によって奪われる。

その後、永禄年間になると島津氏は薩摩半島の全域を掌握するために菱刈氏と激しく争うようになり、永禄12年にはとうとう菱刈氏が島津氏に敗れた。大口城はそれ以降島津氏の外城となった。

大口城の口コミ情報

甑岩摂津守正頼様[2017年05月05日]
登城口は2つあります。
①北東側
私は地元の方に許可し得て城山の北東の山神水天神社と水ノ手公民館の駐車場に車を停めました。鳥居から出て右手の細い道を進むと左手に秋葉神社の看板があり、それが登城口です。(写真を投稿しておきました。参考になると幸いです。)急な階段を上りきり、左手の展望台を背に堀底道を少し進むとそこが大手口です。
②大口小学校側
小学校のグランド奥に登城口があります。私はたまたまグランド脇で草刈りをしていた方に断って校門前の駐車場に駐車して入らせてもらいました。登城口から南に向かってすぐの脇道に入ったら大手口まで行けます。これを見落としてそのまま進むと城の主要部には行けません。
大手口の正面、東側の秋葉神社のあるところに上がると主郭と思しき曲輪で、東端は土塁があり、土塁上には秋葉神社の祠が地元の方に大切に維持されてます。
地元の方が親しみを込めて火の神様に呼んでいるのが印象的でした。
大手口から南北に横堀があり堀底が歩道になってます。これを挟んで主郭?の向かい側の曲輪には虎口がありました。堀はしばらく北に行くと自然地形を活かした堀切様の谷で終わってました。

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