出水城(いずみじょう)

出水城の基本情報

通称・別名

和泉城、亀ヶ城、花見ヶ城、城山

所在地

鹿児島県出水市麓町

旧国名

薩摩国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

和泉兼保

築城年

建久年間(1190〜1199)頃

主な改修者

主な城主

和泉氏、薩州島津氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(城山)、市史跡(出水市麓武家屋敷)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

木牟礼城(鹿児島県出水市)[9.0km]
阿久根城(鹿児島県阿久根市)[14.8km]
水俣城(熊本県水俣市)[16.3km]
虎居城(鹿児島県薩摩郡)[19.6km]
鶴が岡城(鹿児島県薩摩川内市)[22.1km]
大口城(鹿児島県伊佐市)[24.3km]
堂崎城(鹿児島県出水郡)[24.7km]
平佐城(鹿児島県薩摩川内市)[29.0km]
佐敷城(熊本県葦北郡)[29.3km]
清色城(鹿児島県薩摩川内市)[30.0km]

出水城の解説文

出水城(いずみじょう)は、鹿児島県出水市麓町にある平山城

遺構 

2020年現在、大半が立入禁止となっている。城山墓地公園の一帯が城跡で、住吉ヶ城、捨殿ヶ城、小松ヶ城、水夫ヶ城、梅ヶ段などの曲輪が堀切で区画された城だったようだ。城山墓地公園の西側、現在の西之口団地一帯にも、花見ヶ城という曲輪があった。

出水城の北麓には、出水麓武家屋敷群がある。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、風情ある観光地となっている。

「麓」とは、島津家の外城制度における防御拠点で、藩内外から派遣された郷士が居を構えた武家屋敷などの集中地のことだ。出水麓は麓の中でも最大規模で、周囲に石垣や生垣がめぐる家々が整然と並び、区画ごとに曲輪や砦のような性格を兼ね備えていた。出水は薩摩の鹿児島城と肥後の熊本城を結ぶ薩摩街道出水筋が通り、肥後との国境付近にある。参勤交代のルートのひとつでもあったため、重要視されたのだろう。

歴史 

元暦2年(1185)に島津荘下司職に補任された島津忠久が、木牟礼城を築城。建久年間(1190~99)頃に、和泉兼保が出水城を築いたといわれている。

享徳2年(1425)に島津用久が薩州島津家(薩州家)を興すと、出水城を拠点とした。以後、約140年間、出水と阿久根を治めた。

7代・島津忠辰が文禄2年(1593)の朝鮮出兵で病気と称して上陸しなかったため、豊臣秀吉の怒りを買って改易。忠辰は病死し島津薩州家は断絶したが、出水は朝鮮出兵の功として島津義久に返還された。

元和元年(1615)、一国一城令により廃城。

江戸時代になると、北麓に薩摩藩により出水麓が構築された。

交通 

・南九州自動車道出水ICから車で約10分

参考文献 

・『出水市埋蔵文化財発掘調査報告書(26)出水麓遺跡(3)-出水ふもと資料館(仮称)の建設に係る埋蔵文化財発掘調査報告書--出水小学校 6 号棟改築事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書-』出水市教育委員会、2018年
・『出水城(亀ヶ城)跡 中世山城跡探検会報告書』出水市教育委員会生涯学習課、2015年
・特定非営利活動法人出水麓街なみ保存会 ホームページ

文:萩原さちこ


出水城の口コミ情報

2023年10月22日 KOKO.H
出水城



登城路は通行止め。残念。市役所ニ連絡すれば通行可能かも。

2023年09月18日 SHIN
出水城

2023.7.18リア攻め。出水駅にてレンタサイクルを利用。まずは出水麓歴史館に行き、出水城跡見学案内図をゲット。自転車はここに停めたまま、城攻めを開始。出水小学校東から林道に入ります。入口は狭いものの、城郭エリアに入ると道幅は広く歩きやすいです。

東側に位置する「桜の段(出水城跡見学案内図より)」、空堀(林道)を挟んで南側の「水夫ケ城」、南西部の「住吉ケ城」には、登れそうな道の跡があったので、何とか上に行けました。木が茂ってはいますが、広大な郭を確認できます。🏯マークは水夫ケ城の南にある「小松ケ城」を指していますが、竹林の奥になり、帰り道をロストしそうだったので諦めました。城郭エリアを時計周りに一周するだけなら30分程度でしょう。林道で造成されてしまっているところもあると思いますが、シラス台地削り出しという薩摩の城の特徴かよく残されていて良い城だと思います。ぜひ整備して、誰でも郭に登れるようになったらいいな、と思います。出水麓武家屋敷群も、しっかり維持管理されていますので一見の価値ありです。駅から少し距離がありますがレンタサイクルをおすすめします。

2023年03月01日 龍馬備中守【】
野間ノ関(薩摩街道)[出水城  その他]



鹿児島県の出水市にある野間ノ関(薩摩街道)薩摩街道の出水筋に存在しました♪薩摩3代関所(大口筋・小川内関、高岡筋・去川関と、この出水筋・野間ノ関)の1つであり江戸時代には、薩摩国と肥後国の国境の関所となります♪

野間之関が設けられたのは、関ヶ原の戦い(1600年)前後と云われています♪
島津4兄弟の次男・島津義弘(17代目島津家当主)は国境の警備を出水の地頭達に任せています♪

江戸時代は、各藩の自由な通行を禁止して、国境には関所を設けているのですが、徳川幕府の時代は年を経る毎に全国の関所の警備は次第に緩やかになっていったとされています☆戦が無くなっていく、即ち徳川幕府の力が全国に行き渡っていったという、裏付けです☆が、しかしここ野間之関というと通行の取締りを緩めない事で、その厳しさは全国に知られていました☆

ここで足止めされた人の中には江戸時代の後期、尊王思想家・高山彦九郎や、歴史学者の頼山陽もいます♪高山彦九郎は『薩摩びと,いかにやいかに,刈萱の関もとざさぬ世とは知らずや』と約3週間も入国を許されなかった関所の厳しさを歌に書き残しています☆

薩摩街道は筑紫平野から熊本平野、八代平野を抜け八代海に出た後に九州山地、国見山地、出水山地東端の山間を通る街道です♪江戸時代には薩摩藩、八代藩、人吉藩、肥後藩、柳川藩、久留米藩の各藩の参勤交代の道として利用されました♪

時が進み、明治維新で廃藩置県がおこなわれると、野間之関も廃止となっています♪薩摩国と肥後国の国境地は薩摩国にとって要となる、関所でありました♪

因みに…石碑にある文字『野間之関趾』は、東郷平八郎元帥の書となります☆

2023年02月28日 龍馬備中守【】
出水城下武家屋敷群[出水城  遺構・復元物]



鹿児島県の出水市にある【出水麓武家屋敷】♪米ノ津川、西側には平良川と、2つの川が合流する扇状地南側の台地上に出水城、その麓に城下町は形成されています♪

『麓』とは鹿児島独特の外城制度です♪
薩摩といえば鹿児島城ですが、本城であるこの城下に全ての武士を集結させる事が出来ず、江戸時代に独自の外城制度として、薩摩内の山城の麓に城下町、武家屋敷を造り薩摩内の各地を強化しています♪
この『麓』はシラス台地の端にある山城跡と近くを流れる川に挟まれ防御に適した場所に多く造られていて、その数は、江戸時代末の薩摩藩領内には何と!120カ所もありました♪平和な時代に向かって行く江戸時代ではありますが、薩摩国の強さや、周到さは、この『麓』からも見て取れます♪

約400年前に薩摩藩最大の武家屋敷群だったと伝わる出水麓武家屋敷群です♪麓の中でも隣藩である肥後藩との国境に位置していた出水麓は、古くから薩摩藩の国境を防御する重要な要衝地でした♪防衛の要となる出水に力を注ぎました☆薩摩藩の最大の麓に集結された武士達も、さぞ強者揃いだった事でしょう☆

周囲より一段高い台地上に形成された武家屋敷群は上竪馬場、竪馬場、諏訪馬場、上山崎、山崎の5つの集落で構成されました♪
石垣と生垣で囲まれた屋敷は、現在も残っています♪

武家門を通れば枡形となり防御体制も整っていました♪敵が攻め入った際に妻子を逃す為の隠し通路の工夫等もあり平和な時代になっていく江戸時代ですら薩摩国は警戒感を緩めませんでした♪陣地をも兼ね揃えた武家屋敷群という訳であります♪

出水小学校には御仮屋門が設置されています♪この御仮屋門は戦国時代に島津義弘が居城していた帖佐城から出水へ移し、隠居して薩摩北辺の守りを強化する為に移築したと伝わっています♪

2017年05月31日 大膳大夫マイリバ
出水城

先の口コミを見て「?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、本日投稿した「しょうがん炊き」の画像は削除対象になってしまいました。
「気に入った」してくれた皆様、申し訳ございません。
マイナーな城にも先祖から語り継がれる伝承があり、現代に生きる私達がそれを具現化し、まちおこしに活かし、次代に引き継ぐ…そんな素晴らしさが少しでも伝わればと思い綴った口コミだけが残ってしまいましたが、興味のある方は現地を訪れてみてください。
なお、出水小学校では島津義弘公が出水城で隠居しようと考えて居館から移築した御仮屋門が校門として児童を迎え入れています。
また、御仮屋門の目の前には出水麓歴史館が2017年5月1日にオープンしました。
大河ドラマ・篤姫のロケでも使われた武家屋敷・竹添邸とセットで、是非お立ち寄りください。

2017年05月31日 大膳大夫マイリバ
出水城

画像投稿した「しょうがん炊き」は日向・高城の英雄、山田有信の子・山田昌厳(有栄)が出水地頭に就いた時に、民から宴席に招待されたときに供されたカ○ルの吸物をアレンジしたものです。
知らずにオーダーすれば一歩退いてしまいそうですが、カ○ル型のブツはエソとアマダイのすり身で作った薩摩揚げで、とても美味しい薩摩汁ですので、ご安心を!
出水城下の仲町食堂のご主人が、町の長老達から「誰かまちおこしに作ってくれないか」と言われてメニューを開発したそうで、出水を愛する気さくなご主人と話し込んでしまいました。
縁もゆかりもないB級グルメを無理矢理創るよりもはるかに素敵な取組だと思い、めぐらーの皆さんに発信します。

2016年07月27日 立花左近将監統虎
出水城

鹿児島県出水市は鶴の渡来で有名ですが、JR九州出水駅から徒歩で南へ約25分の出水城の麓に薩摩藩の出水武家屋敷群があります。

出水麓の武家屋敷群は今から400年前の関ヶ原合戦前から徳川家への対抗拠点として30年の歳月をかけて起伏の多い丘を整地し道路を掘り川石で石垣を築いて作られたそうです。
現在も武家屋敷群は住宅街として使われており石垣や武家門も残っているため歴史的にも貴重な建造物が通りに居並んでいます。
また、同地域の出水小学校には仮屋門が校門として現存しています。
この門は島津義弘が隠居していた帖佐館の大手門を出水に移し薩摩北辺の守りに任じたいとの思いから移築されたそうですが、島津家と徳川家との和睦が成立し国境が平和になったため義弘の出水城入城は実現しなかったようです…。

武家屋敷群の「竹添邸」、「税所邸」は一般公開されておりガイドの方が親切に邸内と当時の様子を説明をしてくれます。
また、NHK大河ドラマ「篤姫」のロケ地として竹添邸と宮路邸が使われました。

出水城の周辺スポット情報

 武家屋敷-竹添邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-税所邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-武宮邸(遺構・復元物)

 出水御仮屋門(遺構・復元物)

 武家屋敷-三原邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-宮路邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-松本邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-二階堂邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-志賀邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-二宮邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-瀬戸山邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-阿多邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-伊牟田邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-旧宗像邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-班目邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-川内邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-溝口邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-川俣邸(遺構・復元物)

 五万石溝跡(水路跡)(遺構・復元物)

 出水城下武家屋敷群(遺構・復元物)

 武家屋敷-野村邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-石塚邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-池田邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-伊藤家(遺構・復元物)

 武家屋敷-阿多邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-二宮邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-山口邸(遺構・復元物)

 武家屋敷-旧二宮邸(遺構・復元物)

 護国神社(寺社・史跡)

 龍光寺(寺社・史跡)

 諏訪神社(寺社・史跡)

 出水麓歴史館(関連施設)

 歴史民俗資料館(関連施設)

 野間ノ関(薩摩街道)(その他)

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