出水城下武家屋敷群
出水城下武家屋敷群([出水城 遺構・復元物])
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出水城下武家屋敷群の口コミ情報
2023年02月28日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
鹿児島県の出水市にある【出水麓武家屋敷】♪米ノ津川、西側には平良川と、2つの川が合流する扇状地南側の台地上に出水城、その麓に城下町は形成されています♪
『麓』とは鹿児島独特の外城制度です♪
薩摩といえば鹿児島城ですが、本城であるこの城下に全ての武士を集結させる事が出来ず、江戸時代に独自の外城制度として、薩摩内の山城の麓に城下町、武家屋敷を造り薩摩内の各地を強化しています♪
この『麓』はシラス台地の端にある山城跡と近くを流れる川に挟まれ防御に適した場所に多く造られていて、その数は、江戸時代末の薩摩藩領内には何と!120カ所もありました♪平和な時代に向かって行く江戸時代ではありますが、薩摩国の強さや、周到さは、この『麓』からも見て取れます♪
約400年前に薩摩藩最大の武家屋敷群だったと伝わる出水麓武家屋敷群です♪麓の中でも隣藩である肥後藩との国境に位置していた出水麓は、古くから薩摩藩の国境を防御する重要な要衝地でした♪防衛の要となる出水に力を注ぎました☆薩摩藩の最大の麓に集結された武士達も、さぞ強者揃いだった事でしょう☆
周囲より一段高い台地上に形成された武家屋敷群は上竪馬場、竪馬場、諏訪馬場、上山崎、山崎の5つの集落で構成されました♪
石垣と生垣で囲まれた屋敷は、現在も残っています♪
武家門を通れば枡形となり防御体制も整っていました♪敵が攻め入った際に妻子を逃す為の隠し通路の工夫等もあり平和な時代になっていく江戸時代ですら薩摩国は警戒感を緩めませんでした♪陣地をも兼ね揃えた武家屋敷群という訳であります♪
出水小学校には御仮屋門が設置されています♪この御仮屋門は戦国時代に島津義弘が居城していた帖佐城から出水へ移し、隠居して薩摩北辺の守りを強化する為に移築したと伝わっています♪