木牟礼城(きのむれじょう)
木牟礼城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 鹿児島県出水市高尾野町江内小字尾崎
旧国名
- 薩摩国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 本田貞親
築城年
- 文治2年(1186)
主な改修者
- -
主な城主
- 本田氏、総州島津氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀跡
指定文化財
- 市史跡
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
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木牟礼城の口コミ情報
2023年02月24日 龍馬備中守【】
木牟礼城
鹿児島県の出水市にある【木牟礼城】♪現在は土壇のみ残ります♪城郭詳細が無い為、記載しておきます♪
木牟礼城は文治2年(1186年)島津家初代・島津忠久(惟宗忠久)は、薩摩、大隈、日向の地頭職に任命されると家臣の本田貞親を派遣し、この地方の動向を探らせた後に建久7年(1196年)この場所に木牟礼城を築きます♪島津忠久は『比企の乱』で守護職を罷免され、その後は薩摩守護のみ再任されています☆因みに、この初代・島津忠久(惟宗忠久)は島津氏の祖と呼ばれています♪
木牟礼城は初代・島津忠久から5代目・島津貞久までの間、領国経営の拠点になっています♪5代目・島津貞久の時に薩摩・大隅・日向の三国守護を回復しています♪
その後、島津貞久は、所領を二子に分与し、惣領の三男の島津師久に薩摩守護職(島津総州家)四男の島津氏久(島津奥州家)に大隈守護職を与え、島津師久は川内の碇山城に新たに守護所を設けて旧守護所の木牟礼城には島津貞久が残りました☆
島津貞久の時代、島津総州家の3代目・島津守久と島津奥州家の島津久豊は次第に争う様になり応永29年(1422年)島津久豊の軍勢によって木牟礼城は落城☆島津守久と島津久林は肥前国へ逃れました☆永享2年(1430年)島津久林は秘かに薩摩国へ戻りますが潜伏先の真幸院で島津忠国に討たれ総州家は滅亡しちゃいました☆
この土壇は僅かに残された郭跡なのでしょうね☆
2023年01月29日 一寸榎肥後守
亀井山城[木牟礼城 周辺城郭]
亀井山城は鹿児島県出水市野田町上名にあり平安時代末期に千葉種国によって築かれたとされます。
14の曲輪と土塁、空堀等の中世山城の遺構が良好に残り全体の広さは北薩地域で最大級とのこと。
本城には内枡形、蔵之城には外枡形虎口が残る等戦国時代後期まで使用されていたと思われます。
2022年04月03日
木牟礼城
出水市から阿久根市へ向かう、国道3号線沿いにあり国道から見えます。アクセスは大変便利ですが、30坪ほどの本当に小さな敷地の小山があるだけで、見所としては少し寂しい感じですね。
2021年02月20日 播磨守こうちゃん播磨の守
木牟礼城
鹿児島空港からレンタカーを借りて行きました💨オールR504走行で1時間半でした!R3からよく見えます🧐駐車場無しのトイレ無し😑かなり古い時代の城郭で遺構は写真に写ってるだけだと思います😑近くに「出水市ツル観察センター」が有るので立ち寄ってはいかがでしょうか🤗
2019年07月28日 織田上総介晃司
木牟礼城
国道3号線沿いに見えたので立ち寄り。
駐車場はありません。路駐になりますので長居はできませんでした。
2016年06月28日 立花左近将監統虎
木牟礼城
出水市の国道3号線沿いを通っていると、[木][牟][礼][城][趾]と親切な看板が掲げられた小高い丘があり城趾は一目瞭然です。
丘の石段を登ると中央に石碑が建ち、周囲には手入れが行き届いた花壇に綺麗な花が咲いていました。
鹿児島県出水市はツルの渡来地として広く知られており、17世紀頃に薩摩藩が行った大規模な干拓により、豊富な餌を求めてツルの渡来数が増えたようです。
ここ木牟礼城趾近くの田園地帯には、毎年10月中旬~3月頃にかけて1万羽を超えるツルが越冬のために飛来するとのこと。
木牟礼城主さんもここからその姿を眺めていたのでしょうか。。。
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