久玉城(くたまじょう)

久玉城の基本情報

通称・別名

所在地

熊本県天草市久玉町1837他

旧国名

肥後国

分類・構造

海城

天守構造

築城主

久玉氏

築城年

戦国時代前期?

主な改修者

主な城主

久玉氏、天草氏、寺沢氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、狼煙台

指定文化財

県史跡(久玉城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

堂崎城(鹿児島県出水郡)[11.6km]
河内浦城(熊本県天草市)[12.5km]
小宮地城(熊本県天草市)[21.6km]
木牟礼城(鹿児島県出水市)[27.0km]
阿久根城(鹿児島県阿久根市)[29.7km]
本渡城(熊本県天草市)[30.2km]
富岡城(熊本県天草郡)[34.2km]
出水城(鹿児島県出水市)[35.2km]
棚底城(熊本県天草市)[35.6km]
水俣城(熊本県水俣市)[36.0km]

久玉城の解説文

久玉城(くたまじょう)は、熊本県天草市久玉町吉部川にある平山城

歴史
築城年代は定かではないが、中世の国人領主、久玉氏によって築かれたとされる。

久玉氏は天草氏の分家とされる。久玉城は久玉氏の居城だったが、永禄12年(1569)頃には天草氏の内輪揉めによる合戦が起きていることから、その頃には天草氏の支城になっていたと考えられる。元亀2年(1571)のキリスト教の受容是非をめぐる天草一族の内紛においては、城の攻防戦が発生している。

慶長6年(1601)、天草が唐津藩主の寺沢広高の飛び地領となると、城は再び利用された。

遺構
天草下島の最南端、鹿児島県長島と海を隔てて向き合うところにある。牛深地域を代表する権現山の、南山裾の尾根末端部を利用して築かれた城だ。標高47mほどの丘陵上にあり、久玉浦を一望できる。

北端の最高所から、大きく2方向に階段状にいくつもの曲輪が並ぶ。必見は、城内最大の曲輪を囲む石垣だ。とくに、久玉浦に面する南側の石垣は高さ約5~6m、延長約45mを誇り圧巻だ。この曲輪の北側には石垣づくりの内枡形虎口も設けられている。南東側の曲輪では進入路に向けて横矢を掛けるなど、石垣や構造に織豊期の城の技術が感じられる。

南を正面とする曲輪にのみ、石垣や虎口の改変がみられる。島津・相良氏の勢力に対して強化されたものと推察される一方で、寺沢時代の築造とする説もある。前述の2つの曲輪以外は極めて中世的な姿が残っており、久玉氏または天草氏時代の姿と考えられる。

交通
熊本天草幹線道路上津浦ICから車で約1時間

参考文献
『東アジア古文化論攷2「離島の織豊系城郭-天草諸島における寺澤氏の支城網についてー」』中山圭、2014年。
『熊本の城 (熊本の風土とこころ 10)』熊本日日新聞社、1975年。
『日本城郭大系 第18巻 福岡・熊本・鹿児島』新人物往来社、1979年。

文:萩原さちこ

久玉城の口コミ情報

2019年07月28日 大納言織田晃司
久玉城

駐車場は無く墓所前の路側帯に停めました。カーブになっているので停める場所には気をつけてください。

牛深港からも近くアクセスも良く、リア攻めしても損はありません。

天草諸島には教会も多く、教会めぐりもいいですよ。



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