久玉城(くたまじょう)
久玉城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 熊本県天草市久玉町1837他
旧国名
- 肥後国
分類・構造
- 海城
天守構造
- -
築城主
- 久玉氏
築城年
- 戦国時代前期?
主な改修者
- -
主な城主
- 久玉氏、天草氏、寺沢氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、狼煙台
指定文化財
- 県史跡(久玉城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
堂崎城(鹿児島県出水郡)[11.6km]
河内浦城(熊本県天草市)[12.5km]
小宮地城(熊本県天草市)[21.6km]
木牟礼城(鹿児島県出水市)[27.0km]
阿久根城(鹿児島県阿久根市)[29.7km]
本渡城(熊本県天草市)[30.2km]
富岡城(熊本県天草郡)[34.2km]
出水城(鹿児島県出水市)[35.2km]
棚底城(熊本県天草市)[35.6km]
水俣城(熊本県水俣市)[36.0km]
久玉城の解説文
久玉城の口コミ情報
2024年02月14日 備前之守
久玉城
小規模ながら大手からの登城路(谷底道)は両側の曲輪からの攻撃に晒される構造。登った先には内枡形小口があるなど防御の工夫が見られて楽しい。他にも高石垣や堀切など山城らしさが良かった。
2023年09月11日 陸奥守新九郎
久玉城
想定外に立派な石垣があり、何時期かの利用変遷があることがわかります。コンパクトな良いお城です。が、曲輪中イノシシのヌタ場でした(^_^;)
2022年10月31日 気分爽快豊後守
久玉城
案内板の高石垣表示に胸踊らされるも、藪化が激しく側面からのみで前面からは断念。随所にある石積みと、井戸、後方の堀切を見て終了。
2021年11月21日 もっこす肥後守
久玉城
入口は墓地横にひっそりとあります。擬木階段など整備した形跡はありますが、最近手入れされてない感が否めません。(草ぼうぼう)若干石垣も残っているのですが、すごい見に行きにくい状態です。
2020年12月08日 播磨守狂鬼人間
久玉城
駐車スペースは国道沿い墓地付近に有り。10分足らずで山頂主郭に着きます。
2020年12月07日 播磨守狂鬼人間
久玉城
2020/12/7現在、高石垣付近の足元は藪化で大変見えにくく滑落可能性が有りますので要注意です!
アップの写真は違う場所の石垣です。
2019年07月28日 織田上総介晃司
久玉城
駐車場は無く墓所前の路側帯に停めました。カーブになっているので停める場所には気をつけてください。
牛深港からも近くアクセスも良く、リア攻めしても損はありません。
天草諸島には教会も多く、教会めぐりもいいですよ。
久玉城の周辺スポット情報
登城口(その他)
歴史
築城年代は定かではないが、中世の国人領主、久玉氏によって築かれたとされる。久玉氏は天草氏の分家とされる。久玉城は久玉氏の居城だったが、永禄12年(1569)頃には天草氏の内輪揉めによる合戦が起きていることから、その頃には天草氏の支城になっていたと考えられる。元亀2年(1571)のキリスト教の受容是非をめぐる天草一族の内紛においては、城の攻防戦が発生している。
慶長6年(1601)、天草が唐津藩主の寺沢広高の飛び地領となると、城は再び利用された。
遺構
天草下島の最南端、鹿児島県長島と海を隔てて向き合うところにある。牛深地域を代表する権現山の、南山裾の尾根末端部を利用して築かれた城だ。標高47mほどの丘陵上にあり、久玉浦を一望できる。北端の最高所から、大きく2方向に階段状にいくつもの曲輪が並ぶ。必見は、城内最大の曲輪を囲む石垣だ。とくに、久玉浦に面する南側の石垣は高さ約5~6m、延長約45mを誇り圧巻だ。この曲輪の北側には石垣づくりの内枡形虎口も設けられている。南東側の曲輪では進入路に向けて横矢を掛けるなど、石垣や構造に織豊期の城の技術が感じられる。
南を正面とする曲輪にのみ、石垣や虎口の改変がみられる。島津・相良氏の勢力に対して強化されたものと推察される一方で、寺沢時代の築造とする説もある。前述の2つの曲輪以外は極めて中世的な姿が残っており、久玉氏または天草氏時代の姿と考えられる。
交通
・熊本天草幹線道路上津浦ICから車で約1時間参考文献
・『東アジア古文化論攷2「離島の織豊系城郭-天草諸島における寺澤氏の支城網についてー」』中山圭、2014年。・『熊本の城 (熊本の風土とこころ 10)』熊本日日新聞社、1975年。
・『日本城郭大系 第18巻 福岡・熊本・鹿児島』新人物往来社、1979年。