棚底城(たなそこじょう)

棚底城の基本情報

通称・別名

所在地

熊本県天草市倉岳町棚底1529

旧国名

肥後国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

上津浦氏、栖本氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

国史跡(棚底城跡)

再建造物

周辺の城

上津浦城(熊本県天草市)[8.4km]
小宮地城(熊本県天草市)[15.1km]
本渡城(熊本県天草市)[15.3km]
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原城(長崎県南島原市)[25.0km]
瀬詰崎台場(長崎県南島原市)[25.0km]

棚底城の解説文

棚底城(たなぞこじょう)は、熊本県天草市倉岳町棚底にある山城。

歴史
築城年代、築城者は定かではない。戦国時代の天草を分割統治した天草五人衆(天草氏・志岐氏・上津浦氏・栖本氏・大矢野氏)のうち、上津浦氏と栖本氏が争奪を繰り返した城だ。

『八代日記』によれば、天文13年(1544)までは上津浦氏の城だった。栖本氏の所有となると、上津浦氏が奪還すべく何度も戦いを仕掛けた。

永禄3年(1560)、最大の抗争戦が起こると、棚底城は相良氏の斡旋によって栖本氏から上津浦氏へ返還され、再び上津浦氏の支城となった。書状からも、上津浦氏にとって譲れない拠点だったことがうかがえる。

棚底城をめぐる争いはその後も続き、永禄9年(1566)には栖本氏が棚底城を攻めている。しかしこの年以降の八代日記の記録はなく、棚底城がどうなったかはわからない。

天正7年(1579)には、天草五人衆が島津に降伏。棚底城はこの時期までに廃城になっていた可能性が高い。

遺構
天草諸島でもっとも高い標高682mの倉岳から、棚底川に沿って東へ派生する尾根に築かれている。地元ではタカジョウと呼ばれるという。

標高91mの最高所を主郭として、東側へ尾根上に階段状に8つの曲輪が並ぶ構造だ。さらに南斜面などに大小の平坦面が設けられている。中世の天草諸島では単郭の城が多く、棚底城のように多数の曲輪が並ぶ城は天草五人衆の居城や拠点城郭に限られる。また、1本の尾根線に曲輪が連続して配置される城は棚底城だけで、大規模かつ特殊な縄張の城といえる。

主郭は堀切や横堀で防御され、東側に帯曲輪を置く。必見は、北側に執拗に設けられた三重の横堀と土塁だ。横堀の幅は、主郭に近いほうから10m、6m、9m。遮断線としては強力で、先端は北斜面にまわり込む。横堀の土塁は版築で、帯曲輪だった場所に横堀を入れた可能性がある。上津浦氏と栖本氏の構想の激しさを示す遺構といえよう。

北斜面10m下にある、横堀群を補強するように長さ45mほどの横堀にも目を見張る。横堀の両端が竪堀となって、北斜面の防御を固めているのも見逃せない。

昭和30年代まで曲輪や南斜面は耕作地だったため地形が改変されているが、全体的にはよく残っている。

交通
熊本天草幹線道路知十ICから車で約25分

参考文献
『史跡棚底城跡整備活用基本計画書』天草市教育委員会、2017年。

文:萩原さちこ

棚底城の口コミ情報

2016年08月03日 釧路守きこりん
棚底城

国史跡らしく、国道266号からちゃんと道標があり、迷わず到着できます。駐車場あり(周辺に公共交通機関は無いそうです)。
登城口にパンフレットありますが、事前に天草市HPからPDFで入手することもできます。
登城口からすぐに城域で、しっかり作り込まれた郭が連なっています。堀切や三重の横堀で守られた広い主郭は見応えがあります。整備も良好で見やすかったです。
順路通りに下ってきたら、ぜひ集落内を散策してみてください。遠目には生垣にも見える、塀のような防風石垣が各民家を囲っている独特な風景が見られます。なかなか他の土地にはない面白いものだと思います。また田んぼの中にはコグリと呼ばれる石積みの暗渠の用水路が見られます。

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