大矢野城(おおやのじょう)
大矢野城の基本情報
通称・別名
- 大矢野中村城
所在地
- 熊本県上天草市大矢野町
旧国名
- 肥後国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 大矢野氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、井戸跡
指定文化財
- 市史跡(大矢野城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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大矢野城の解説文
大矢野城の口コミ情報
2023年05月14日 まゆゆ右馬助
大矢野城
リア攻めしようと向かったら、隣の中学校が運動会で駐車スペースを探すことが出来ず断念。またの機会に攻めます!
2022年04月30日 沼田上野介
大矢野城跡[大矢野城 碑・説明板]
周囲が学校として造成されているため、ここが城跡であるとわかる物のはこれと登り口の看板くらいでしょうか。
2010年11月24日 加藤定義
大矢野城
現在は大矢野中学校の一角にあり、城として認識することは少し困難です城跡には、元寇の蒙古襲来絵詞に描かれている大矢野氏を讃える石碑、五輪の塔、井戸跡が残っています
現在は大矢野中学校(昭和20年ごろ建設)の敷地となっています。
昭和52年に旧大矢野町指定文化財(史跡:大矢野城址)となり、現在は上天草市指定文化財となっています。
史跡の説明
天草五人衆のひとり大矢野氏の居城といわれています。付近には古城、陣床とよばれる二つの城跡があります。古城は現在古城山遍照院があり、大矢野氏関係の城といわれています。陣床は古城に隣接していることから、古城と陣床を一つの城としてとらえる見方や、陣床を古城の出城(砦)としてとらえる見方があります。大矢野城のI郭(主郭)は大矢野城で最も標高が高い部分であり、当時の地形をよく残しています。この場所は地域で城山と呼ばれており、城が存在していた当時の状況を伝えています。I郭内からは発掘調査によって井戸跡が出土しており、井戸内からは木器や燈明皿が出土しています。大矢野城の本来の範囲は現在の大矢野中学校が位置する丘陵一帯であると想定されています。
現在、I郭内には、大矢野城周辺から大矢野氏に関係するとされる石塔群が移設されており、その中の6基の五輪塔が上天草市の有形文化財に指定されています。また、I郭の中心部には、城主である大矢野氏を顕彰する石碑が建てられています。
参考文献
(1)『上天草市史大矢野町編2 大矢野氏の活躍』、2007年、上天草市史編纂委員会編(2)『上天草市史大矢野町編資料集4』、2008年、上天草市史編纂委員会編