日野江城(ひのえじょう)

日野江城の基本情報

通称・別名

日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城

所在地

長崎県南島原市北有馬町谷川名

旧国名

肥前国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

不明

築城主

藤原(有馬)経澄

築城年

建保年間(1213〜1219)

主な改修者

有馬晴信

主な城主

有馬氏

廃城年

元和2年(1616)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、竪堀

指定文化財

国史跡(日野江城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

原城(長崎県南島原市)[3.4km]
深江城(長崎県南島原市)[10.5km]
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釜蓋城(長崎県雲仙市)[14.7km]
島原城(長崎県島原市)[17.9km]

日野江城の解説文

日野江城(ひのえじょう)は、肥前国高来郡有間庄(長崎県南島原市北有馬町戊谷川名)にあった城。日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城とも記される。国の史跡。

概要
南島原市のほぼ中央、有馬川河口付近の小高い丘にある。南には有馬川が流れ、東には大手川が流れている。縄張りは北西に三の丸、東に二の丸を配し中央の丘頂部に本丸が置かれた連郭式平山城である。

平成7年(1995年)より平成12年(2000年)までの間に4次にわたる発掘調査が行われた。この際に、他には安土城にしか見られない直線階段や、海外の技術を取り入れた石組み、金箔を施した瓦などが出土した。先進性や豊臣政権と密接な関係を持っていたことを窺い知ることができる。

遺構としては現在、石垣・空堀が確認できる。

沿革
鎌倉時代前期の建保年間(1213年−1219年)に高来郡を領する藤原経澄が築城した。
経澄は藤原北家で藤原純友の子孫(もしくは平氏)で築城時に姓を有間と称し、後に有馬と改称した。

有馬氏は当初島原半島南部の一勢力に過ぎなかった。貴純の時代になると半島内の諸勢力を制圧し戦国大名へと成長していった。貴純は日野江城の支城として原城を築城している。晴純の時代に有馬氏の版図は最大となり21万石を領するまでに成長した。しかし、後ろ盾となっていた大内氏が滅亡すると龍造寺氏の圧迫を受けるようになった。13代目当主の晴信はキリシタン大名となり城下にセミナリヨを建設し、逆に寺社を破壊し城の築材とした。前述の発掘調査で出土した遺構は晴信の時代のものである。

江戸時代初期には晴信は4万石を領し、日野江城は島原藩の藩庁となった。しかし、慶長17年(1612年)晴信は岡本大八事件に連座した罪により甲斐国で切腹となった。嫡男直純が後嗣となったが慶長19年(1614年)に日向国延岡城に移封となり、有馬氏は約400年間にわたる在城に別れを告げた。

有馬氏が去り元和2年(1616年)に松倉重政が入城するまでの間は天領となった。この間は鍋島氏、大村氏、松浦氏の肥前の諸大名が分担して城を警固した。しかし、松倉氏は入封後、日野江城に不便を感じ新たに島原城を建設し、日野江城を廃城とし歴史の幕を閉じた。

昭和57年(1982年)7月3日、国の史跡に指定された。平成7年(1995年)より平成12年(2000年)まで発掘調査が行われた。平成18年(2006年)初頭には、過疎による城地の農地利用の放棄や、来訪者の減少により、荒廃し約3割近くの箇所で修復が必要であることが明らかになった為、合併前の北有馬町が修復を兼ね、桜の名所にしようと城地を公園化整備したが、工事を行った際に損壊したものと指摘を受け工事を中止、現在、長崎の教会群とキリスト教関連遺産としての城地整備の課題が残されている。
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日野江城の口コミ情報

カーネル様[2016年05月09日]
日野江城

島原鉄道 島原駅から島鉄バスで日野江城入口バス停(島原駅から55分)で下車
バス停には日野江城のモニュメントがあり城まで1kmとあります

バスを降りたら道路を渡り、そのまま直進。4分くらいでT字になるので左折してすぐ右折
ここにも日野江城の看板があります。ここから3-4分で登城口で駐車場もあります

駐車場前の坂を上ると大手口です。ここには「本丸には行けません」と看板がありますが行けます

少し舗装路を登ると左手に連続する曲輪があり、案内の看板も多数あります
さらに上へ林道を経由して登ると役子角祠に出ます。反対側に降りると本丸

そのまま下ると大手口とは反対側の駐車場に出ます。バスを降りてからここまで50分
舗装路を南下して県道40号を目指す。途中にはセミナリオ跡や、川にかかる島原鉄道の廃線跡など、楽しめます
このまま原城へ

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

コロ助様[2015年03月28日]
島鉄バスターミナルから50分程、北岡橋下車、徒歩20分で到着。城下にはセミナリヨが建てられたそうで、日野江城の近くに「有馬のセミナリヨ跡」という碑がありました。

本丸へは鳥獣避けのフェンスを開けて入るのですが、フェンスはカギではなくロープで開閉です。ロープを解いて開ける、ロープを縛って閉める。不器用なので、かなり手間取りました。

桜の木がたくさん植えられていました。今頃はきっと良いお花見ポイントになっていると思います。

バスが少なくて原城から歩いてみたら、原城〜日野江城まで50分程でした。

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