日野江城(ひのえじょう)

日野江城の基本情報

通称・別名

日之江城、日ノ江城、日ノ枝城、日江城、火ノ江城

所在地

長崎県南島原市北有馬町谷川名

旧国名

肥前国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

不明

築城主

藤原(有馬)経澄

築城年

建保年間(1213〜1219)

主な改修者

有馬晴信

主な城主

有馬氏

廃城年

元和4年(1618)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、竪堀

指定文化財

国史跡(日野江城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

原城(長崎県南島原市)[3.4km]
深江城(長崎県南島原市)[10.5km]
瀬詰崎台場(長崎県南島原市)[10.9km]
釜蓋城(長崎県雲仙市)[14.7km]
島原城(長崎県島原市)[18.0km]
大矢野城(熊本県上天草市)[18.6km]
山田城(長崎県雲仙市)[19.6km]
上津浦城(熊本県天草市)[19.9km]
寺中城(長崎県島原市)[20.4km]
宇木城(長崎県諫早市)[22.4km]

日野江城の解説文



日野江城(ひのえじょう)は、長崎県南島原市北有馬町戊谷川名(肥前国高来郡有間庄)にあった日本の城。日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城とも記される。国の史跡。

概要 

南島原市のほぼ中央、有馬川河口付近の小高い丘にある。南には有馬川が流れ、東には大手川が流れている。縄張りは北西に三の丸、東に二の丸を配し中央の丘頂部に本丸が置かれた連郭式平山城である。

1995年(平成7年)より2000年(平成12年)までの間に4次にわたる発掘調査が行われた。この際に、他には安土城にしか見られない直線階段や、海外の技術を取り入れた石組み、金箔を施した瓦などが出土した。先進性や豊臣政権と密接な関係を持っていたことを窺い知ることができる。

2015年(平成27年)頃、調査によって発見された階段遺構は埋設保存され、現在は確認できない。本ページに掲載されている画像は2015年当時に撮影したものである。現在も遺構としては現在、石垣・空堀が確認できる。

沿革 

鎌倉時代前期の建保年間(1213年1219年)に高来郡を領する藤原経澄が築城した。 経澄は藤原北家で藤原純友の子孫(もしくは平氏)で築城時に姓を有間と称し、後に有馬と改称した。

有馬氏は当初島原半島南部の一勢力に過ぎなかった。貴純の時代になると半島内の諸勢力を制圧し戦国大名へと成長していった。貴純は日野江城の支城として原城を築城している。晴純の時代に有馬氏の版図は最大となり21万石を領するまでに成長した。しかし、後ろ盾となっていた大内氏が滅亡すると龍造寺氏の圧迫を受けるようになった。13代目当主の晴信はキリシタン大名となり城下にセミナリヨを建設し、逆に寺社を破壊し城の築材とした。前述の発掘調査で出土した遺構は晴信の時代のものである。

江戸時代初期には晴信は4万石を領し、日野江城は島原藩の藩庁となった。しかし、慶長17年(1612年)晴信は岡本大八事件に連座した罪により甲斐国で切腹となった。嫡男直純が後嗣となったが慶長19年(1614年)に日向国延岡城に移封となり、有馬氏は約400年間にわたる在城に別れを告げた。

有馬氏が去り元和2年(1616年)に松倉重政が入城するまでの間は天領となった。この間は鍋島氏、大村氏、松浦氏の肥前の諸大名が分担して城を警固した。しかし、松倉氏は入封後、日野江城に不便を感じ新たに島原城を建設し、日野江城を廃城とし歴史の幕を閉じた。

1982年(昭和57年)7月3日、国の史跡に指定された。1995年(平成7年)より2000年(平成12年)まで発掘調査が行われた。2006年(平成18年)初頭には、過疎による城地の農地利用の放棄や、来訪者の減少により、荒廃し約3割近くの箇所で修復が必要であることが明らかになったため、合併前の北有馬町が修復を兼ね、桜の名所にしようと城地を公園化整備したが、工事を行った際に損壊したものと指摘を受け工事を中止。

世界遺産候補長崎の教会群とキリスト教関連遺産の構成資産の一つに選ばれ、2015年(平成27年)にユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議の現地調査を経た結果、2016年(平成28年)に「禁教期に焦点を絞るべき」との指摘をうけ推薦を一旦取り下げ、対応を協議し再推薦は決まったが禁教期との関連性が薄いとの判断により、構成資産から除外された。

ちなみに城跡には八天狗が祀られ、島原の乱のあと入植した人々により、城跡は果樹園や畑として整備されていた。

日野江城が舞台の作品 

  • 遠藤周作『有馬、日之枝城』 新潮社 旅1970年3月号 遠藤周作全集13巻
  • 桑原水菜『まだれいなの十字架 西原無量のレリック・ファイル』KADOKAWA 2013年(文庫版タイトル『遺跡発掘師は笑わない まだれいなの十字架』)

アクセス 

島鉄バスの「島原~(深江-有家-原城-口之津)~加津佐海水浴場前」路線に日野江城入口停留所があり、ここから徒歩約15分ほどで城跡に着くが、北有馬経由便の場合は日野江城入口停留所を通過しない。北有馬経由便の場合は橋口停留所で下車、徒歩約5分。

関連書籍 

ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロン『日本王国記』

参考文献 

  • 【書籍】「日本城郭全集 」
  • 【書籍】「 日野江城のキリシタン大名 」
  • 【書籍】「 有馬氏と日野江城 」
  • 【書籍】「 肥前・有馬一族 」

日野江城の口コミ情報

2025年10月01日 気分爽快山城守
日野江城



原城はとても綺麗に整備されているのに、日野江城は先人のコメントにもあるように草が生い茂りひどい状態でした。なかなか行くのが大変な南島原なのに、時期を考えないと残念な結果となる城です。せっかくの石垣もほとんど見えませんでした。

①大手口から見る曲輪6、曲輪7の石垣。嫌な予感
②案の定、曲輪5の石垣はほぼ判別不能
③二の丸を上から。さっぱりわからない
④本丸の曲輪4もこんな状態。朝露のため靴が濡れる
⑤本丸の曲輪3
⑥曲輪3から曲輪2の登り口。
⑦曲輪2
⑧曲輪1
(曲輪の番号は、現地案内図のもの)

2024年04月29日 薩摩相模守義弘維新斎
日野江城



日野江城址は、原城址から車で移動すると約10分もかからず到着。城跡東側の川沿いに車が数台駐車できるスペースがある駐車場があります。
この駐車場から道路を横断すると城の大手口跡があり、コンクリート階段を進むと登城側面に石垣や曲輪などの遺構があります。
更に進むと二ノ丸がありますが、城全体的に草が繁茂して散策するのが大変です。それでも上へ上へと進むと崩落している箇所があったりと危険なため、本丸まで行くのを断念しました。
何といっても有馬氏の本城なので、一度は訪れたい城跡ですが、環境整備などがまだまだなことから、行政には今後前向きな整備に期待したいものです。

2023年09月11日 陸奥守新九郎
日野江城



いやぁ〜、大変でした。スゴく良いお城ですが、流石にこの時期はダメですね。草ボーボーで、大汗かきました。東西双方からの城攻めをお勧めします。

2023年06月05日 武景中務大輔
日野江城

梅雨の入り鼻でしたが、草が脇の高さまであり、踏み分けながらの攻城になりました。一部山肌が地滑りしていたり、かなり危険な状態なので、もし行かれるのなら搦手口からが安全でしょう。此方からなら道も整備されていて、簡単に登れますが、が、ちっとも面白くは無いです。早い整備が望まれますね。

2021年09月20日 織田上総介晃司
日野江城

先ずは駐車場が広いので大手口の駐車場に停めて二の丸から城域を散策しようと思いましたが…
草ぼーぼーで散策ルートが全くわからず前に進めず…

次にセミナリヨを通り裏登城口に移動。道が狭く対向車が来れば一苦労します。駐車スペースも荒れて停められる状態でなないので舗装されてる道の僅かなスペースに停めて登城。

島原半島は広いので、島原城や原城をリア攻めしたなら併せて日野江城もリア攻めしてみては…

少し離れてますが小浜温泉があるのでそこでリア攻めの汗を流すのもいいと思います。
Yes we can.

2019年06月30日 フー甲斐守
日野江城

先人記載の通り日野江城大手口側は本丸まで未だあがれませんでした。途中地滑りしてるので、回り込むには厳しいと思います。あと、別ルートで上がれるかな?と思う獣道がありましたが、雨中ということで登りませんでした。

セミナリオ跡側にも行ってみましたが、リア攻めマップにある駐車場までの道が途中から狭いです。雨中引き返せなくなってはまずいので今回は行きませんでした。

大手口側は駐車場も広く早く修復されればと思います。

2018年04月15日 じょーうん因幡守
日野江城

原城の続100名城のスタンプの置いてある有馬キリシタン遺産記念館には、日野江城や城主の有馬晴信のことに関する展示物がありますので、記念館に行かれてから、日野江城に行くのをおすすめします。

2016年05月09日 カーネル
日野江城

日野江城

島原鉄道 島原駅から島鉄バスで日野江城入口バス停(島原駅から55分)で下車
バス停には日野江城のモニュメントがあり城まで1kmとあります

バスを降りたら道路を渡り、そのまま直進。4分くらいでT字になるので左折してすぐ右折
ここにも日野江城の看板があります。ここから3-4分で登城口で駐車場もあります

駐車場前の坂を上ると大手口です。ここには「本丸には行けません」と看板がありますが行けます

少し舗装路を登ると左手に連続する曲輪があり、案内の看板も多数あります
さらに上へ林道を経由して登ると役子角祠に出ます。反対側に降りると本丸

そのまま下ると大手口とは反対側の駐車場に出ます。バスを降りてからここまで50分
舗装路を南下して県道40号を目指す。途中にはセミナリオ跡や、川にかかる島原鉄道の廃線跡など、楽しめます
このまま原城へ

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

2015年03月28日 コロ助
日野江城

島鉄バスターミナルから50分程、北岡橋下車、徒歩20分で到着。城下にはセミナリヨが建てられたそうで、日野江城の近くに「有馬のセミナリヨ跡」という碑がありました。

本丸へは鳥獣避けのフェンスを開けて入るのですが、フェンスはカギではなくロープで開閉です。ロープを解いて開ける、ロープを縛って閉める。不器用なので、かなり手間取りました。

桜の木がたくさん植えられていました。今頃はきっと良いお花見ポイントになっていると思います。

バスが少なくて原城から歩いてみたら、原城〜日野江城まで50分程でした。

日野江城の周辺スポット情報

 亀石(遺構・復元物)

 虎口(遺構・復元物)

 日野江城跡説明板(碑・説明板)

 史跡日野江城跡石碑(碑・説明板)

 日野江城跡全体図(碑・説明板)

 キリシタン史跡公園(碑・説明板)

 史跡 日野江城跡 浦口(碑・説明板)

 小松崎城(周辺城郭)

 八良尾城(周辺城郭)

 一夜城(周辺城郭)

 峰城(周辺城郭)

 大滝城(大垣城・有家城・里坊城・川原城)(周辺城郭)

 大垣城(慈恩寺城・大浦城)(周辺城郭)

 今城(周辺城郭)

 白崎城(周辺城郭)

 宇城山(周辺城郭)

 堂崎城(石田城)(周辺城郭)

 鳥辻の保塁(周辺城郭)

 登城口(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 本丸入口(その他)

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