寺中城(じちゅうじょう)
寺中城の基本情報
通称・別名
- 三会城
所在地
- 長崎県島原市寺中町
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 和泉左京
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 和泉左京(島原氏家臣)、龍造寺隆信
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
島原城(長崎県島原市)[4.1km]
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寺中城の口コミ情報
2024年02月12日 龍馬備中守【】
北浦城[寺中城 周辺城郭]
長崎県の島原市にある【北浦城】♪東側は有明海に面し、北側の金洗川と南側の中野川に挟まれた丘陵一帯が、その城域となります♪雲仙普賢岳が作り出す島原半島の地形は独特で、北側は手のひらを広げた様な地形になっています♪長い年月をかけて雲仙普賢岳から流れた土砂や火砕流が作り出した土地ではあるのですが、雨などの地下水により出来た河川は、低い場所を求め、その土地を削りとり、有明海に流れ込む♪今ある地形は正に自然が作り出したモノと言えるでしょう♪
さて♪北浦城は永禄年間(1558年〜1570年頃)に有馬次郎なるモノにより築城されたと云われています♪有馬次郎の出自は不明で、調べても分かりませんでした☆有馬姓を名乗っているので、有馬一族なのでしょうが♪
元禄12年(1699年)島原藩主・松平忠雄は、この地に別邸『景華園』を造営した際に、幾つか巨石があり、これを移した所なんと、銅剣2本が出土したとの記載が残っています☆現在、畑になっている場所には、その時の支石墓掌石が1つだけ残っています♪これが、景華園遺跡で、この遺跡は弥生時代の支石墓です♪この支石墓は市指定有形文化財になっています♪因みに、景華園遺跡の支石墓掌石の1つは、島原城内に移設されていて、これも市指定有形文化財に指定されています♪この支石墓掌石は弥生時代中期に島原一帯を統治した者の墓標であると考えられています♪
北浦城の南西側には高城神社が残ります♪
ポッコリしたこの南側は一段、低地が広がります♪この高城神社は、櫓台の名残りとも云われています♪高城神社は別名を古城宮とも呼ばれています♪古城とは城郭があったと云う証拠でしょうね♪
畑の中には古井戸もあり、城郭感満載でした♪因みに谷を挟み南側の台地上には寺中城があり、沖田畷の戦いの際に、龍造寺隆信はココから、出陣しています♪
海岸線も往時とは違うはずなので、もう少し海に面していたのかもしれませんね♪三会往還が海岸線を走る為、街道を押さえる城郭の機能を果たしたのでしょう♪
支石墓があり、城郭があり、別邸にもなった場所、北浦城♪
古来より良い場所は良いと言う事がよく分かりますね♪