釜蓋城(かまぶたじょう)
釜蓋城の基本情報
通称・別名
- 千々石城
所在地
- 長崎県雲仙市千々石町己小倉名字城山
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 千々石直員
築城年
- 永禄12年(1569)
主な改修者
- -
主な城主
- 千々石氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(釜蓋城跡)
再建造物
- 模擬櫓(展望台)、石垣、塀、石碑、説明板
周辺の城
-
山田城(長崎県雲仙市)[4.9km]
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小野城(長崎県諫早市)[12.5km]
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諫早城(長崎県諫早市)[16.6km]
原城(長崎県南島原市)[18.1km]
釜蓋城の解説文
[引用元:Wikipedia「釜蓋城」の項目]
釜蓋城(かまぶたじょう)は、長崎県雲仙市にあった日本の城。有馬氏家臣・千々石淡路守直員(千々石ミゲルの実父)が城主を務めた。標高154メートルの山城である。雲仙市指定史跡[1]。
歴史
- 1569年(永禄12年)- 築城。
- 1577年(天正5年)- 有馬氏と対立していた佐賀・龍造寺隆信の軍が千々石を攻める。当時、千々石と釜蓋城を守っていた千々石大和守直員(淡路守養子)は奮闘するも、有馬援軍の遅れもあって、家臣とともに自刃。
現在
城のあった山の麓には、大和守の遺言により建てられた天満宮が残る。城跡は公園として整備されており、天守ないし櫓風の展望台が設置されている[2]。グラウンドや展望台などから千々石湾と千々石の街並みを望むことができる。また、城山を下りると「軍神」として有名な橘中佐を祀った橘神社がある。2000年(平成12年)3月6日には、雲仙市の史跡に指定された。
毎年春には千々石氏とその家来らを偲んで、武者行列に松明を灯し町内を行進してゆく観応火宴が催される[3]。
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釜蓋城の口コミ情報
2021年09月20日 織田上総介晃司
釜蓋城
広い駐車場とトイレがあります。模擬天守(展望台)があるくらいで遺構は確認できませんでした。
天正遺欧少年使節の千々石ミゲルと関わりのある城です。
同じ雲仙市ということで釜蓋城からは少し離れてますが雲仙地獄で有名な雲仙温泉で雲仙地獄を見た後、温泉に入る事をおすすめします。硫黄の匂いが「あ〜っ、温泉に来た〜!」という満足感を満たしてくれることでしょう。
2020年08月18日 刻印爺弾正忠抱杏葉
釜蓋城
模擬天守のみ。遺構はほとんど見当たりません。ただ眺めはすこぶる良く、説明板もキチンとしてます。すぐ近くまで車でいけるのでお手軽です。
余談ですがここから諫早方面に少し行ったところにある千々石展望台に売ってる「じゃがちゃん」は絶品です。
2017年10月16日 柴崎権大納言幸助
釜蓋城
島原街道の国道57号線を小浜温泉方面に進むと、左手に案内板があります。それに従って左折し、しばらく進むと、千々石中学校の壁に到達。案内は分かりにくいですが右へ進み、あとは案内に従って山を登り、トイレのある駐車場に着きます。もう少し登れますが、駐車可能は1台のみ。展望台への階段及び展望台内部は、季節によってクモの巣の罠に注意です。