諫早城(いさはやじょう)
諫早城の基本情報
通称・別名
- 伊佐早城、高城城、亀城
所在地
- 長崎県諫早市高城町
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 西郷尚善
築城年
- 文明年間(1469〜1487)
主な改修者
- -
主な城主
- 西郷氏、龍造寺氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、帯曲輪、石垣、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
伊賀峰城(長崎県大村市)[4.0km]
小野城(長崎県諫早市)[4.1km]
久山城(長崎県諫早市)[4.7km]
尾和谷城(長崎県諫早市)[5.2km]
宇木城(長崎県諫早市)[6.1km]
玖島城(長崎県大村市)[10.2km]
戸石城(長崎県長崎市)[10.7km]
三城城(長崎県大村市)[11.0km]
鳥甲城(長崎県大村市)[13.7km]
山田城(長崎県雲仙市)[13.7km]
諫早城の口コミ情報
2023年07月25日 気分爽快陸奥守
諫早城
山頂部の本丸と腰曲輪から構成された単純な構造なので30分もあれば見て回れます。高矢倉からは諫早市街を一望することができます。公園化により、石段全てが遺構とは思えませんが、本丸南側と西側は往時のものと思われます。
①南側の土塁
②搦手の登城路
③本丸西の切岸
④本丸虎口
⑤本丸内部
⑥巨大な楠
⑦高矢倉
⑧大手門跡
2022年01月27日 龍馬備中守【】
諫早城
長崎県の諫早市にある【諫早城】♪歴史詳細が無いので口コミ入れます♪別名を高城と呼びます☆この諫早は古くからは伊佐早と描かれ、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、伊佐早荘の中心部には伊佐早氏という豪族が発生しています☆南北朝時代には伊佐早次郎という人物が北朝方として活動しました♪
が、史上からは姿を消しています☆
その後現れるのが西郷氏ですが、西郷尚善の時に宇木城から諫早に進出していて、手始めに船越城に入城し、次にここ諫早城の場所に高城を築き移ってきます☆
その後、西郷氏は西郷尚善、純久、純堯の三代は日野江城の有馬氏と手を結び繁栄し、勢力の拡大に勤めました♪
西郷純堯の子、西郷信尚は豊臣秀吉の島津征討の際に参陣しなかった為に所領を取られてしまい、龍造寺家晴に与えられていきます♪
諫早龍造寺氏の2代目・直孝はこの時、姓を諫早氏と改めています☆が、佐賀藩、鍋島家の支配下に置かれてこの地を知行する家老格の家臣となっています☆この諫早氏は高城を居城として維持していきますが5代目、諫早茂門の時に財政難に陥り城郭が維持できなくなっていて東麓に諫早陣屋を構えて居城しました☆
現在は諫早公園として親しまれています☆残る遺構としては空堀、土塁、虎口、土橋、石垣も❓ただし公園として改変されている場所も多いのが事実でもあります☆更には江戸時代に造られ、移築された眼鏡橋が残ります☆
あと、高城神社は龍造寺家晴を祀っています♪
2021年09月20日 織田上総介晃司
諫早城
諫早公園の眼鏡橋の前に約10台停めれる駐車場があります。
そこからは案内板に沿って進むとオリエンテーション感覚で城巡りが楽しめます。パンフは無いので案内板は撮影しておいて時々見ながら進んで行くようにしてください。
諫早市で真っ先に思いだすのが諫早湾干拓堤防道路。干拓事業の賛否両論の最中、半ば強引に鉄板を次々と落とし閉め切った映像を未だに憶えてます。
2016年05月04日 カーネル
諫早城
長崎本線 諫早駅から
ここは駅からそれほど遠くないですが、全部を見回るのに、時間がかかります
駅からでっかい川沿いに南東へ行くと、城山が見えてきます
城山は切り立った崖で登れないので、山裾に沿って歩くと鳥居があり、ここからも登れます
鳥居を横目に、そのまま真っ直ぐ行くと眼鏡橋があり、別の方も書かれていますが、案内板があり、これに倣って歩くとオリエンテーリングみたいで楽しいです
眼鏡橋に1番の桜馬場があります。ここは、眼鏡橋から本丸までは普通の公園なのに、本丸を超えると山城に変貌します。蛇もいました
下って高城神社、駅へ戻りながら途中の諫早神社にお参りして往復1時間半
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2015年12月23日 柴崎権大納言幸助
諫早城
眼鏡橋の脇に駐車スペースが少しあります。公園として整備された城跡各所に案内板が設置され、楽しみながら巡れます。ただし、パンフ等は用意されていないので、全体図を撮影しておいて、時折画像を確認して回るといいでしょう♪
武者走り・空堀・土塁が残り、往時を偲ぶことができます。