三城城(さんじょうじょう)
三城城の基本情報
通称・別名
- 留松の城、大村城
所在地
- 長崎県大村市三城町
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 大村純忠
築城年
- 永禄7年(1564)
主な改修者
- -
主な城主
- 大村氏
廃城年
- 寛永14年(1637)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
玖島城(長崎県大村市)[2.1km]
好武城(長崎県大村市)[5.9km]
尾和谷城(長崎県諫早市)[6.1km]
伊賀峰城(長崎県大村市)[7.8km]
鳥甲城(長崎県大村市)[9.5km]
琴尾山烽火台(長崎県諫早市)[9.6km]
久山城(長崎県諫早市)[9.6km]
諫早城(長崎県諫早市)[11.0km]
中尾城(長崎県西彼杵郡)[13.1km]
小野城(長崎県諫早市)[14.9km]
三城城の解説文
[引用元:Wikipedia「三城城」の項目]
三城城(さんじょうじょう)は、長崎県大村市三城町(肥前国彼杵郡大村武部郷)にあった戦国時代から江戸時代初期の日本の城[1]。
概要
大村市の中心部近く、JR大村線の山側にある。東の多良山系から続く丘陵の末端部に造られた平山城で、南の本堂川を堀代わりとしている。
縄張りは本丸、二の郭、三の郭の3つの主要な曲輪が深く掘られた横堀(空堀)で分けられており、城名はこの縄張りに由来するものといわれる。
九州新幹線西九州ルート(長崎ルート)建設に先立ち、大村市乾馬場町905番地5戸周辺で埋蔵文化財の発掘調査が行われたところ、中世に設けられた街区に沿って城下町の遺構が確認された。掘立柱の跡から建物の並びがわかり、柱の穴(ピット)や土坑をたどり、遺構は掘立柱建物9棟、柵列5条が復元できた。井戸端と周辺から出土した陶磁器のかけらは多く、伊万里焼の初期の例が中心であった。
沿革
大村氏はそれまで中世からの大村館(城の北西、乾馬場町付近)に居していたが、キリシタン大名としても知られる大村純忠がこの地に本格的な城郭を造営することとし、1564年(永禄7年)に築城成った三城城に移った。1572年(元亀3年)には純忠と対立していた武雄領主の後藤貴明、諫早の西郷氏、平戸の松浦氏らに城を包囲されたが純忠以下寡兵ながら持ちこたえ[2]、援軍を待って包囲を解かせたことがあった。大村家では後年、これを「三城七騎篭り」と称した。
純忠の跡を継いだ嫡男の喜前は大村藩の初代藩主に任じられた人物で、1599年(慶長4年)に玖島城を新たに築いて移り、三城城は大村氏本城としての役目を終える。1637年(寛永14年)に江戸幕府の命により城は完全に破却され廃城となった。
現在、JR大村駅から長崎県営バスでおよそ5分の本丸跡には
長崎県忠霊塔 (1934年建立)と霊苑がある。また、城地内の一部が富松神社と三城神社の境内となっている。城は石垣づくりの技法を導入する前の建造物であり、遺構として空堀と土塁の一部が残るのみである。発掘調査
遺構調査により、建物と柵を図面上で復元できた。なかでも大型の建物は梁間3間超×桁行6間、梁間長6.1m超×桁行長10.8mであったと確認されている。
SB03と名付けられた遺構から、五輪塔の火輪を逆さまに配置し、柱を支える礎盤石に流用した例、棟持ち柱と推測できる穴も発掘された。またその建物跡から国内産と見られる焙烙やこね鉢などの生活用具のかけらも見つかり、赤絵の小さな杯や植木鉢など肥前で生産された陶磁器に加えて、中国から輸入したと考えられる白磁に青い釉薬で装飾した合子(ごうす)の蓋や輪花模様の皿ほかが発見された。
参考文献
本文の典拠。主な執筆者、編者の順。
- 【書籍】「三城城跡範囲確認調査報告書 : 平成16年度調査までの総括 」
- 【書籍】「三城城下跡(さんじょうじょうかあと) 」 副題『九州新幹線西九州ルート(長崎ルート)建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』。
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三城城の口コミ情報
2023年07月26日 気分爽快豊後守
三城城
曲輪Ⅰ、曲輪Ⅱ、曲輪Ⅲから構成され、かなり広めの城域となっている。それぞれの郭は、深い横堀で区切られており、曲輪Ⅰと曲輪Ⅲは長い土橋で結ばれている。
曲輪Ⅰには、長崎県忠霊塔があり、綺麗に整備されていますが、曲輪Ⅲは内部が竹藪となっている。横堀も藪化が激しく、夏場は藪蚊対策が必要と思われる。
①曲輪Ⅰ下段
②曲輪Ⅰ
③④曲輪Ⅰ東の堀
⑤曲輪Ⅰ北西の路
⑥土橋東の堀
⑦曲輪Ⅱ
2022年10月31日 上田図書頭雪娘
三城城
二の丸はゲートボール場です。本丸は慰霊碑です。
2020年11月04日 刻印爺弾正忠抱杏葉
三城城
二の曲輪と三の曲輪の間の道は、2020年11月現在、工事中で車両は通り抜けられません。徒歩で行くしかないです。
2020年09月23日 明石家船上
三城城
大村家の移転前のお屋形跡
公園に整備されてしまっていますが、低くなった土塁が残っていたりします
2016年07月29日 花鳥風月主馬首
三城城
富松神社の駐車場がありますが、たまたま居合わせた宮司さんに聞くと、さらに参道を山の上まで行けるとのこと。
行き止まりまで進むと2台ほどの駐車スペースがあります。
石碑は手水舎の後ろに隠れています。