好武城(よしたけじょう)

好武城の基本情報

通称・別名

所在地

長崎県大村市寿古町

旧国名

肥前国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

大村純治

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

大村氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁

指定文化財

再建造物

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好武城の口コミ情報

2025年05月25日 龍馬備中守【】
好武城



長崎県大村市の寿古町にある【好武城】♪城めぐ歴史詳細が無い為、記載します♪
郡川最下流の右岸に位置し、西は大村湾に面します♪大村扇状地の北端に当たり、南東部にある10m程度の丘を除けば、ほぼ9割型、低地の水田耕作地が広がります♪大村平野の僅かな微高地上に、好武城は存在します♪

寿古町の地名由来として、文明12年(1480年)領主・大村純伊が6年間の流浪の末、無事に帰郡したお祝いに、肥前須古から来た者が教えたという須古踊が伝えられ、この踊名から名づけられた地名と考えられています(大村郷村記) ♪

築城年は不明ですが、戦国時代に大村純治が好武城を築城したと伝わります♪大村氏15代・大村純治は、相次ぐ有馬勢侵攻にそなえ、大村館、久原城だけで敵を防ぐのは困難と判断し、福重に要害の地を選び、好武城を築いたと云われます♪

この大村氏の出自については、不確定な部分が多く、イマイチ分かっていない事も多いです。藤原純友の孫・藤原直澄が、正暦5年(994年)に伊予国大州より肥前国彼杵郡大村に入部して、大村氏を称したことに始まるという説や、藤原直澄は本来、肥前国藤津荘の荘司で、平正盛に討たれた平清澄の子・平直澄であり、先祖の汚名を逃れる為に、藤原純友の末裔であるとした説などがあります。(平直澄は平正盛の即徒の手によって捕えられ、首が京都の賀茂川辺に晒された様で、この平直澄こそが、大村直の子孫であり、大村氏の先祖とされる。近世大村氏はこの事実を隠蔽する為に画策された説)
いずれにしても、平直澄から派生された一族なのでしょう。肥前国の彼杵・高来・藤津3郡を賜り割拠し、後には戦国大名としてのし上がり、大村藩主家として、明治の廃藩置県まで続いた一族なのであります♪

この大村氏は戦国時代、彼杵・高来・藤津3郡を活動の拠点としていましたが、『岩永文書』によると、永禄12年(1569年)正月18日付大村純忠預置状には、この日、大村純忠は、肥前国藤津郡長野村の地を、鷲巣城(高津原字高津原) 城主・岩永和泉守忠茂に給与しています。
また『歴代鎮西要略』には、永禄13年「頃年大村丹後守純忠掠領彼杵郡」とあり、これらによれば、永禄年間(1558年~70年頃)大村純忠は、なお藤津郡に所領を有し、活動の舞台はあったが、永禄末頃から徐々に、彼杵郡の大村へ本拠を移したとされるものです。その理由は、室町期の大村氏が、藤津郡において、千葉氏・後藤氏・有馬氏などから圧迫を受けた事や、さらに直接的には、佐嘉の龍造寺隆信の攻撃に苦しんだ事により、比較的競合の少ない彼杵郡に、居を移したものと思われます。結果的に、戦国大名として成功する訳なので、この本格的な大村への移住は大成功だったのでしょう。

好武城についてですが、『大村藩郷村記』によると「大手󠄀巽の方搦手、丑の方本丸、三百坪余、この郭三千六百坪、四方隍、南の方郡川西北は深田なり。申酉の方六町程に海あり、大村民部太輔純治築之、純治有馬氏と数年合戦に及しかは郡村福重の里に於て要害の地を撰み城を築て移り居す、是を好武城と号す、是より以前代々久原の城に居住し或は大村館に居ると云、築年月不知今は畠地となり人家山林あり、天和二年の書記に先年より好武城と云は福重庄屋の事なりと云」と記されます。また、『大村家系並家譜』には、山田兵部守郡村好武城とあり、文明12年(1480年)有馬氏によって攻撃されています。この頃には、城郭は存在した様ですね。なお、下河原という場所には城の『船囲場』が設けられていた様で、一種の水城であったと思われます。江戸期には福重村の庄屋屋敷となっていた様です♪城というよりは、居館に近いイメージでした♪

2018年10月17日 カーネル
好武城

最寄りは大村線の松原駅ですが、快速が止まらないため竹松駅から歩きました

竹松駅から、城跡まで直線で3kmです
駅から西に進み、国道34号線で右折して北上します。群川を越えたら左折し住宅街を進むます

右手にある公園を過ぎた先で、左の道は土手に登りますが、右の細い道を進むと、土手から離れます。右手を見ると石垣の上に白い標識が建っている家があり、その標識には好武城と書かれています

ここまで45分。石垣を愛でから帰りました。行動時間は90分で、見学は5分ほど、あとはずっと歩いてました


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