神代城(こうじろじょう)
神代城の基本情報
通称・別名
- 鶴亀城、蓑鶴城
所在地
- 長崎県雲仙市国見町神代
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 海城
天守構造
- -
築城主
- 神代貴益
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 神代氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台、虎口
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
山田城(長崎県雲仙市)[8.3km]
寺中城(長崎県島原市)[9.4km]
釜蓋城(長崎県雲仙市)[10.5km]
竹崎城(佐賀県藤津郡)[10.6km]
島原城(長崎県島原市)[13.0km]
小野城(長崎県諫早市)[17.3km]
深江城(長崎県南島原市)[18.5km]
宇木城(長崎県諫早市)[19.4km]
諫早城(長崎県諫早市)[20.7km]
尾和谷城(長崎県諫早市)[23.1km]
神代城の解説文
[引用元:Wikipedia「神代城」の項目]
鶴亀城(つるかめじょう)は、長崎県雲仙市国見町にあった日本の城(山城)。東西350メートル×南北450メートルの大きな山城跡である。別名神代城・蓑鶴城。
概要
現在、本丸跡は神代神社・稲荷神社となっており、二の丸、三の丸、大手門跡は田畑が広がっている。鶴亀城の支城として西に尻無城、長浜城などがあり、東に切通砦、大坪城、浅井城があった。大手門は北側にある海辺に存在し、高さ25メートルの天守があったとされる。
歴史
南北朝時代、神代貴益により築城されたとされる。以後、戦国時代末期まで神代氏の居城であった。1584年(天正12年)の沖田畷の戦いのときには龍造寺軍の本陣でもあった。その折、有馬晴信は攻撃するも攻略不可能と判断し、それ以前以後も戦闘による陥落経験のないとされる難攻不落の城であった(諸説あり)。
豊臣秀吉の天下統一後の九州国分では、鶴亀城を含む神代地区は佐賀鍋島氏の支藩に割り当てられた。江戸時代初期、鶴亀城の整備が行われたが、一国一城令により取り壊され、廃城となる。
道帳の記述
慶安2年(1649年)に成立した肥前国の道帳「神代之古城」条には次のことが記されている。 1.山城である。 2.高さ(城下よりの比高)は9間(1間は、6.5尺とすれば約2メートル)あるいは6~7間の間である。 3.本丸の規模は、南北45間、東西27間である。 4.二ノ丸の規模は、南北70間、東西104間である。 5.城の四方、および本丸・二ノ丸の間に空堀跡がある。 6.本丸に1ヵ所、二ノ丸に3ヵ所の井戸がある。 7.城の四方は竹林で、城内側は畑として利用されている。 8.惣構えを構成する防禦施設等はない。 9.城の北は遠干潟で、船を繋留することができない。 10.城より高い山は周辺にはない。また、温泉嶽(雲仙岳)より2里以上離れている。 11.城の東に小川がある。 12.東・南・西が平地で、東・南が浅田、西は若干深田である。
参考文献
- 『肥前一国道則帳』(武雄市図書館・歴史資料館、2013年)。…肥前国の道帳。
- 『国見町郷土史』(国見町、1984年)。…「小路」の造成過程について記す。
- 『雲仙市文化財調査報告書』第9集 鶴亀城(神代城)跡(長崎県雲仙市教育委員会、2010年)。
- 『重要文化財 旧鍋島家住宅長屋門ほか4棟保存修理工事報告書』(雲仙市、2013年)。…「神代小路の沿革」を記す。また、「神代村絵図」(文政5年、長崎県立図書館蔵)ほかの写真を掲載。
- 『国見町神代小路 美しいまちづくり基本計画』(国見町教育委員会、2005年)。…本丸・二ノ丸・神代小路付近の筆界らしきものを図示する。
- 『神代地区史跡めぐりガイドブック』(神代古文書勉強会、2009年)。…周辺の史跡・周囲の旧景観を窺える。
- 『神代鍋島家年譜』(神代を史ろう会、2009年)。…「神代村絵図」(文政5年)の写真を掲載。
- 『高揚史譚』上(大江三千司、1921年)。…城郭古図(近世初頭?)を掲載。
- 永松義博・國分 亮「雲仙市国見町神代における歴史的池泉庭園の特性と経年変化」『南九州大学研報』43A号(南九州大学、2013年)。…城郭古図(近世初頭?)を掲載。
- 木島孝之『城郭の縄張り構造と大名権力』(九州大学出版会、2001年)。…「神代城」の項目を設けるほか、本丸の実測縄張り図を掲載。
- 木島孝之「神代城と神代「小路」」『国見町神代小路伝統的建造物群保存対策調査報告書』(長崎県国見町教育委員会、2003年)。
- 『長崎県文化財調査報告書』第207集 長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ 詳説編(長崎県教育委員会、2011年)。…二ノ丸についても詳細な縄張り図を掲載する。
- 「神代城跡」『長崎県の地名』(平凡社、2001年)。城郭の略史を記述。
- 『神代小路』(A4観音四折リーフレット、長崎県国見町教育委員会、2005年)。…「第九大区西村神代名第壱号字城上」図および、「第九大区西村神代名第弐号字小路」図を掲載。
- 「高来郡神代郷図」(嘉永5年、鍋島報效会蔵)。…雲仙市歴史資料館国見展示館の展示にあり。
- 「神代城古図」(宝永4年写)。…雲仙市歴史資料館国見展示館の展示にあり。
- 「庶務課史誌挂事務簿 南高来郡村誌」(長崎歴史文化博物館)…「蓑鶴城」の別名を掲載。
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神代城の口コミ情報
2024年04月28日 フー甲斐守
多比良城跡[神代城 碑・説明板]
日向通良によって築かれたと聞きました。記念碑だけのようでした。有馬氏が神代貴茂の居城神代城を攻めて落ちず、謀略を用いて多比良城に招き和議を結び、その帰路誅殺したとの言い伝えも残るお城です。
2023年07月24日 気分爽快豊後守
神代城
本丸は神代神社があり、二の丸は畑があり、ほぼ藪に覆われているので、二の丸東の鍋島邸を観覧することをお勧めします。
①長屋門と石垣
②本丸北の堀切
③本丸入口
④本丸内部(神代神社)
⑤本丸土塁
⑥二の丸
⑦鍋島邸を二の丸から
⑧二の丸石垣
2023年06月05日 武景式部大輔
神代城
此処は昔から何度か訪れていますが、雰囲気のある町並みが素敵です。居館の造りも素晴らしいので、是非見学されてみて下さい。後背の城山は神社となっています。梅の実の落ちる時期でしたが、きれいに清掃されていました。
2021年11月22日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
守山城[神代城 周辺城郭]
長崎県の雲仙市にある【守山城】♪大福寺の南側の台地先端部に築かれた城郭となります☆
室町時代に在地土豪・守山氏が築城しています☆守山氏は宮内と称し有馬氏の外城を守る重臣として代々支えました☆
諫早(伊佐早)の西郷氏や神代氏と行動をする事がも多くて時に主君である有馬氏に叛旗を翻す事もありました☆
佐嘉の龍造寺隆信が肥前国内で勢力を拡大し島原に侵攻すると守山氏は神代氏と共に龍造氏の傘下に入ります☆
沖田畷の戦いでは龍造寺隆信が討ち死に…。島津・有馬の連合軍の勝利に沸く島原ですがその後の守山城は島津軍が牛耳り、有馬氏の最前線基地として島津氏の将が在番しました☆
この沖田畷の戦い時に難を逃れた守山氏☆
豊臣秀吉の九州、島津征伐により再び守山城へ復帰しています☆
が、、、神代氏の神代城もこの守山城も共に有馬軍の謀略に掛かってしまいます☆
夜襲を受けこの守山城で、一族郎党共に壊滅、全滅し廃城へ追い込まれてしまいました…。。
主郭と思われるピーク、南側には大土塁が残っていて土塁の背後その下は堀切の名残でしょう☆現在は民家と道の間になります♪北側に数段の段郭を造ってます☆
戦国時代には激しい戦いがあった守山城ですが今は静かな公園になっています☆
2021年11月19日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
神代鍋島陣屋[神代城 周辺城郭]
長崎県の雲仙市にある【神代鍋島陣屋】♪鍋島直茂の兄である鍋島信房が築城しています☆この鍋島信房は鹿島領を治めていましたが江戸時代の慶長13年(1608年)に直茂の次男・鍋島忠茂に常広城を譲ってこの雲仙・神代へ移ってきました☆この神代という地名は神稲代の事で神田があった事を意味していると伝わります☆神代鍋島陣屋の背後には小高い丘陵があり神代城が存在していました☆南北朝時代の城主は神代貴益で戦国時代(天正12年)神代貴茂で断絶してしまいます…☆
さて話を戻して☆
佐賀藩にとって飛地領の神代領は神代鍋島氏の代官所として機能しました☆4代目・鍋島嵩就の時に神代小路と呼ばれる武家屋敷が整備され神代鍋島氏の当主が居住する様になりました☆長崎県は立地柄、海城が多いですが神代城も、例外では無くて海の水を利用した濠を巡らしていました☆クランクを造り濠を掘り込む☆まだまだ気を許せなかった江戸時代☆素敵な町並みが残ります☆
2015年06月28日 水瀬筑後守名雪
神代城
【駐車場】
有。神代町駅裏から小学校側に行き、川を渡ってすぐに無料駐車場がある。
【城情報】
駐車場から城址を目指すと、左手に神代神社がある。ここが本丸跡である。右手には二の丸、三の丸跡があるが、現在は農作物が育てられており、あまり深い立入は難しい。入口付近にちょっとした石垣有。
【他の見所】
駐車場から鶴亀城(神代城)を目指すと、途中に旧鍋島邸がある。(10:00~、月曜日休館)ここには緋寒桜があるようだ。(今回は入館出来ず)また、この辺り一帯は神代小路として、景観保管地域となっている。
神代城の周辺スポット情報
鶴亀城址と神代なの由来説明板(碑・説明板)
多比良城跡(碑・説明板)
守山城(周辺城郭)
神代鍋島陣屋(周辺城郭)
神代神社(寺社・史跡)
神代小路まちなみ交流館内(トイレ)
駐車場(駐車場)