竹崎城(たけざきじょう)
竹崎城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 佐賀県藤津郡太良町大字大浦字城内
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 有馬隆泰
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- 龍造寺家晴
主な城主
- 有馬氏、龍造寺氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、横堀(空堀)
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 城郭風建造物(竹崎城址展望台展望台)、碑、説明板
周辺の城
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竹崎城の口コミ情報
2024年05月08日 西
竹崎城
上から眺めた景色が最高でした!正面か、裏から入るかで景色が全く違います。
2023年05月02日 伊豆守十郎
竹崎城
展望台の模擬天守が島のあらかたを見渡せて良かった。途中の石垣が少し残ったところが遺構かな。
2023年03月11日 しんこう
大野城[竹崎城 周辺城郭]
【所在地】佐賀県藤津郡太良町
【指定史跡】なし
【遺構】曲輪、堀切、畝状竪堀、土塁、櫓台、石塁
【歴史】来歴など記された史書や伝承はないものの、城の近くに天文11年壬寅正月吉日と書かれた六地蔵塔が残されており、戦国時代にこの地方の武将「大江朝臣嶋長門守」が戦死した家臣の冥福を祈るために建てたものとされています。
【感想】糸岐川と大野川との合流点にある城平山に築かれており、三方は急峻な谷で守られているため攻め手は南側の尾根筋から攻めてきそう。そのためか曲輪南端には櫓台を設け、切岸を高くし、堀切、畝状竪堀で防御しています。尾根筋にもう1,2本深い堀切を掘ってもよさそうです。曲輪にはあまり遺構は見られないものの西側にわずかに土塁が見られます。
【案内】南側の尾根に近接している道路から登城できます。そこに大野城の標柱があり、広い路側帯に車を停めさせて頂きました。登城口から左手の尾根を登ると城域はすぐです。
【写真】
①北側から眺めた大野城
②登城口にある標柱
③曲輪南端の切岸と直下に堀切(かなり埋まっている様子)
④櫓台に鎮座される神様
⑤曲輪南端の櫓台と右に坂虎口
⑥曲輪西側の土塁
⑦曲輪北端の堀切と続く竪堀
⑧大野城から道路沿いに南下すると現れる六地蔵塔
2021年09月20日 織田上総介晃司
竹崎城
模擬天守(竹崎城址展望台)前に駐車場があります。
竹崎城の遺構を見るのは展望台にたどり着く手前に説明板があります。そこが本来の城跡となりますので、通行の邪魔にならない様停めて見学してください。
竹崎は有明海の竹崎ガニ(ワタリガニ)が名物。
竹崎〜諫早間の諫早市小長井町の国道207号にはイチゴやメロン、スイカなどの形をしたバス停が並ぶ「ときめきフルーツバス停通り」があり、海辺の風景と相まってメルヘンチックでインスタ映えすると有名です。
2016年11月06日 ぐっさん^。^)y-式部卿
竹崎城
竹崎城。
南北朝時代に有馬氏が築城し龍造寺氏が修築した中世城郭です。有明海に突き出た半島(小島)を利用して築城された難攻不落の城とされてます。遺構はほとんど残ってないのが残念ですが地図を見るからにかなりの規模だった事が解ります。唯一石垣と堀の一部が確認できますが当時は山城と海城の両方の特性を持つ城郭だったそうです。有明海の西側に位置し長崎県と佐賀県の県境にあり佐賀方面から島原に行く重要的場所に有ります。度々龍造寺氏と有馬氏が争った舞台になり島原の乱後は城郭は破壊されましたと有ります。今は、模擬天守が有り空気が澄んでれば遠くは阿蘇山や天草など有明海を一望出来ます。
2012年02月12日 大宰少弐ためぞう
竹崎城
案内の看板があるので迷わず行けます。
模擬天主からの眺めは素晴らしく、対岸の熊本県がよく見えます。