八代城(やつしろじょう)

八代城の基本情報

通称・別名

八代城[八代城・古麓城・麦島城]

所在地

熊本県八代市松江城町他(地図は八代城を示す)

旧国名

肥後国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

連結式(八代城)[4重5階/1622年築/焼失(落雷)]

築城主

加藤正方[八代城]、内河義真[古麓城]、小西行長[麦島城]

築城年

元和5年(1619)[八代城]、不明[古麓城]、天正16年(1588)頃[麦島城]

主な改修者

主な城主

加藤氏、細川氏、松井氏[八代城]、名和氏、相良氏[古麓城]、小西氏、加藤氏[麦島城]

廃城年

明治3年(1870)[八代城]、元和5年(1619)[麦島城]

遺構

曲輪[すべて]、天守台、石垣、堀[八代城]、堀切[古麓城]

指定文化財

国史跡(八代城跡群)

再建造物

碑[すべて]、説明板[すべて]

周辺の城

田川内城(熊本県八代市)[7.3km]
黒淵城(熊本県八代市)[11.7km]
久多良木城(熊本県八代市)[13.0km]
矢崎城(熊本県宇城市)[14.0km]
竹崎城(熊本県宇城市)[16.9km]

八代城の解説文

八代城(やつしろじょう)は、熊本県八代市(旧 肥後国八代郡)にある日本の城である。江戸時代初期に球磨川河口の松江に幕府の許可を得て建築されたことから松江城(現八代城趾)とも言う。

同じく八代城とも呼ばれた南北朝時代の古麓城と安土桃山時代の麦島城の三つの城跡を併せて、平成26年(2014年)に「八代城跡群(やつしろしろあとぐん)」との名称で一括して国の史跡に指定された。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(190番)に選定された。

前史
八代地方には中世以後大小多数の城塞が築かれたが、松江城以前に存在した古麓城と麦島城も八代城と呼ばれてきた。これらは同時期には存在しておらず、三つの城はそれぞれ築城地の具体的な地名を名前の由来にしており、松江にあった城を松江城、古麓にあった城を古麓城、麦島にあった城を麦島城と呼んでいる。

古麓城
古麓城(ふるふもとじょう)は、八代市古麓町の東側の山岳にあった南北朝時代から戦国時代にかけて築かれた城塞群で、南朝方の重要拠点であった。八代には一時、征西府、高田御所(こうだごしょ)が置かれ、その名残りとして懐良親御陵がある。中世で八代城といえばこの古麓城をさした。城塞は7つの山城であり、名和氏が築いた五城と、相良氏が築いた二城に分かれる。戦国大名相良義滋の居城であった鷹峯城も後者の一つ。貿易港徳淵津 (徳渕津)の発展もこの頃のことである。相良氏はその後島津氏に屈し、さらに島津氏は豊臣秀吉の九州征伐を受けた。その後に肥後国を領した佐々成政は、肥後国人一揆を引き起こした責により翌年改易・賜死となるが、球磨郡を除く肥後国は加藤清正と小西行長が半国ずつを領することになり、この時に古麓城は廃城となった。

麦島城
宇土城主となって古麓城を廃した小西行長は、家臣の小西行重に命じて球磨川の三角州に総石垣造りの麦島城を築城させた。麦島の地は北西側が大きな入江となっており、後に開削された前川によって中洲となった。平城の中でも水城(みずじろ)と呼ばれる水運・水利を最大限に活用した特異な城で、船で直接海からも出入りできたと考えられている。豊臣秀吉の直轄地とされ貿易港徳渕津が近くにあって、海上交通の要所であった。天正20年(1592年)6月、文禄の役の間隙を縫って梅北一揆が麦島城に攻め寄せたが撃退している。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに敗れた行長が斬首され、小西家は改易となった。球磨郡・天草郡を除く肥後52万石を与えられた熊本城主加藤清正は、重臣加藤正方(片岡正方)を城代として麦島城に入れた。元和の一国一城令によって熊本藩内の南関城内牧城佐敷城などが取り壊されても、麦島城は例外的に存続が認められていたが、元和5年(1619年)の大地震のために倒壊し廃城となった。

松江城
歴史
麦島城の倒壊後、清正の次男で第2代藩主加藤忠広は、元和6年(1620年)に江戸幕府の許可を得ると、松江村の南、球磨川(前川)の徳淵(徳渕)の北岸に、加藤正方に命じて新たな城を築かせることにした。地名からこの城は当時は松江城とも徳淵城ともいったが、現在は後者の地名がなくなっていることから、松江城の呼び方の方がより知られている。麦島城は加藤氏への備えの意図もあって三角州に建てられたが、すでにその必要がなく、南、東側からの攻撃を意図して、球磨川の北岸の平野部に建てられることになった。同時に球磨川の洪水から城下町を守るため、旧来あった萩原堤に大工事を施して大幅に拡張している。

城は元和8年(1622年)に竣工した。麦島城時代に認められた一国二城体制は継続されたことは、一国一城令(1615年)の中では全国的にも異例のことであった。熊本藩内に2つの城(熊本城、八代城)の存在が許された理由は、南の大藩・薩摩藩および隣藩・人吉藩への備えとしてというのが通説であるが、島原の乱の舞台となった天草のキリシタン弾圧の備えまたは小西時代に増えた領内のキリシタンへの備えとしてだとか、またこの時期にしばしば現れた異国船への備えとしてだとか、あるいは秀吉恩顧である加藤藩の財政を逼迫させるためだとか、その他に諸説もある。いずれにしろ幕府が特例を認めなければ現在の八代城は存在しなかった。
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八代城の口コミ情報

五瓜ニ唐花紋大納言や〜きみ様[2017年05月08日]
石垣の遺構があり、神社になっています。
比較的大きな城です。
駐車場はあります。

コロ助様[2014年12月02日]
八代駅から徒歩30分で到着。水堀に囲まれた本丸が残っています。水堀の周囲をゆっくり歩いて20分程の規模。
大天守の石垣で12mと、それ程高くないですが、石垣の上をぐるっと歩ける様になっていて、石垣から見下ろす水堀や桝形は見ごたえがあります。
城跡にある八代宮は朝から地元の方達がかなり参拝に来ていましたが、お城を見に来ている人は居なかったので、のんびり出来ました。

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