竹崎城(たけざきじょう)
竹崎城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 熊本県宇城市松橋町竹崎
旧国名
- 肥後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 竹崎氏?
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 竹崎氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、帯曲輪
指定文化財
- 市史跡(竹崎城跡)
再建造物
- 石碑(竹崎季長城跡)、説明板
周辺の城
-
曲野城(熊本県宇城市)[3.8km]
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竹崎城の解説文
竹崎城の口コミ情報
2022年01月30日 もっこす肥後守
竹崎城
主郭跡綺麗に草かって維持してありました。主郭下に駐車場ありますが、車体の低い車両は擦ります。
2017年10月09日 カーネル
竹崎城
鹿児島本線小川駅から
駅から東に進み国道3号にぶつかったら左折して北上します。歩道あります
竹崎地区にはいったら、右折して九州自動車道の向かいます
竹崎児童館前に竹崎城→の看板があるので右折して東へ。ここには竹崎城の説明板もあります
道なりに進んで九州自動車道を越え、反時計回りに山裾は半周すれば到着です。案内板と、山頂にはせきひがありましたが、遺構はよくわかりませんでした
駅から往復8kmでしたが、見学時間が短いこともあり2時間で駅に戻りました
2016年06月26日 修薩摩守
竹崎城
登城しました!
細い道ですが、車で本丸近くまで行けます。
草が茂っているのと、林の中なので、虫除けは必須です。できれば、秋以降の登城をオススメします。
残念な事に、震災で石碑が落ちてしまったようです。
『古城考』によれば、蒙古襲来の時、大活躍をした肥後の御家人竹崎季長の居城という。
概要
山頂部分は狭い平坦地となっており、城跡碑の建立がある。当該地における顕著な遺構は、頂上の平坦地を囲み込むように重なる階段状地形であり、これはとくに城域西側から興浄寺裏山にいたる「伝兵が迫」にはこの痕跡が著しく、山頂から迫地底部まで大小の階段状地形が約17段にも重なっている。この地形は大小さまざまで、その概形作一口では要約できないが、おおよそ縦の長さは20~30m・横幅が5m前後で、各々の区切りは、3m前後の崖をもって成っている。この西側斜面の一部が、新設される九州自動車道の敷地にかかる為、熊本県文化課では昭和49年3月より7月までの5ヶ月を費し、発掘および文献調査を行った。その結果、階段状地形の上部(面秘200㎡、三角形を呈する)からは、多数の柱穴が検出され、またこれに付随すると思われる2つの溝が掘り込まれている事がわかった。とくに溝からは、多量の木炭に混って明時代の青磁の碗や、染付片をはじめとして鉄製品・青銅製の鍔や切羽・飾金具・瓦質の描鉢や備前系の甕片などが出土した。この他、炭化米やかき殻の出土があった。
木炭片については、年代測定を行ったところ、B.P.510年前後という結果がでた。すなわち、西暦1460年頃で戦国初期頃に該当するもので、時代差から季長自身の城という可能性は薄れた。発掘結果と結びつくと思われる文献としては、相良文書内に納められている「沙弥洞然長状」に、明応8年(1497年)に、菊池氏と相良氏が江上寺裏山(現竹崎城付近)で戦った事が記録されている。