高森城(たかもりじょう)

高森城の基本情報

通称・別名

囲城

所在地

熊本県阿蘇郡高森町高森(地図は石碑の場所を示す)

旧国名

肥後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

高森惟直

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

高森氏(阿蘇氏家臣)

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

川上城(熊本県阿蘇郡)[11.3km]
長野城(熊本県阿蘇郡)[12.3km]
内牧城(熊本県阿蘇市)[20.0km]
岩尾城(熊本県上益城郡)[20.0km]
鳥子城(熊本県阿蘇郡)[21.6km]

高森城の解説文

高森城(たかもりじょう)は、熊本県に存在した中世の城。

概要
熊本県阿蘇郡高森町高森字城山に位置し、阿蘇二十四城の1つとされた。清栄山付近、標高約840mの迫地に立地していたと推測される。高森城は肥後、豊後、日向の国堺を押さえる要衝に位置し、戦国時代を生き抜いた阿蘇大宮司家最後の城となった。城地の後方には千人隠れの岩屋と呼ばれる窪地があり、間道は村落へ通じる。

室町時代から安土桃山時代を通じ、阿蘇氏の一門で南郷七家の筆頭である高森氏が一帯を治めていた。 薩摩島津氏から数度の侵攻を受け、天正14年(1586年)、ついに城主高森惟居が切腹し高森城は落城、肥後全土が平定された。城主が切腹した場所は現在も高森殿杉として清栄山に残っている。 また、落城の際に高森惟居の娘・柏姫が島津氏の家臣に斬られたと伝わる。なお柏姫の墓は、高森町の西郊にあり柏塚とよんでいる。

高森殿の杉
高森殿の杉(たかもりどんのすぎ)は、戦国末期、薩摩島津氏の侵攻を受けて落城した高森城主の高森伊予守惟居と、側近の三森兵庫能因の自刃の地として伝えられている。高森城主主従のもともとの墓所である。

経路
国道から分れて清栄山・黒岩峠につながる道に入る。最初のうちは両側を林に囲まれているが、しばらく行くと放牧場があり、左右に開ける。 その道路から見て、右手の方の牧場の中にこんもりとした杉山・森が見えてくる。 この森の中に、2本の杉の大樹が混じっている。 大きく3本に枝分かれし、横幅が10mもある大杉が、樹齢400-1000年以上(未確認)と言われている高森殿の杉である。

参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年

高森城の口コミ情報

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