隈庄城(くまのしょうじょう)

隈庄城の基本情報

通称・別名

隈牟田城

所在地

熊本県熊本市南区城南町隈庄248

旧国名

肥後国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

不明

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

目方氏、甲斐氏、伊集院氏、小西氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

木原城(熊本県熊本市)[2.7km]
河尻城(熊本県熊本市)[5.4km]
曲野城(熊本県宇城市)[6.7km]
御船城(熊本県上益城郡)[6.8km]
健軍陣内城(熊本県熊本市)[7.8km]

隈庄城の解説文

隈庄城(くまのしょうじょう)は熊本県に存在した中世の丘城。

熊本市城南町隈庄字城の台地西端、標高25mの地点に立地する。天守跡・二の天守跡・二の丸の3区画から構成されるが、現在は天守跡だけが公園として残っている。

歴史
延文4年(1359年)には大友氏が当城を攻撃し、南北朝時代末期には菊池武朝と敵対していた記録が残る。15世紀には相良為続の支配下に一時入り、天文8年(1539年)には隈庄城主として相良氏に協力した目方氏に相良側が番衆を送っている。天文12年(1543年)に当城は落城し、目方氏は肥後国北部に亡命した。

以後は甲斐氏が隈庄城に入り、永禄8年(1565年)には阿蘇氏からの離反を目論んだ城主・甲斐守昌が義父の甲斐親直に攻められ、敗れている。天正9年(1581年)に龍造寺氏へ差し出した起請文には親直や甲斐親教ら甲斐同姓7名の連署が記されるなど、阿蘇氏勢力の南西部では地域連合が御船城や当城を拠点として形成されていた。島津氏が天正10年(1582年)に八代城まで進出すると堅志田城御船城とともに主な戦略対象となり、天正13年(1585年)には当城で激しい攻城戦が行なわれた。落城はしなかったものの他城の降伏により開城し、伊集院忠棟が入城した。

豊臣秀吉による九州の役では、宮原景種が肥後国人と戦って敗死している。その後は岡本太郎左衛門が城代となり、小西行長領に入ると小西主殿介が在城した。慶長5年(1600年)、小西氏が滅びると廃城となった。

参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年

隈庄城の口コミ情報

まー武蔵守様[2017年04月28日]
隈庄保育園前から登城。駐車場なし。保育園前に一台停められます。ここも他の城趾公園と同じく整備されていないため草はボーボー。また隣接する墓地は墓石が崩れていました。石碑なく説明板も文字が薄れて木で隠れていました。

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