黒淵城(くろぶちじょう)
黒淵城の基本情報
通称・別名
- 黒渕城、黒駁城、種山城
所在地
- 熊本県八代市東陽町南
旧国名
- 肥後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 恵良氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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黒淵城の口コミ情報
2022年11月03日 RED副将軍
黒淵城
南北朝時代に少弐氏と阿蘇氏が争った城跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不明。
南北朝時代は、1346年に北朝方の少弐頼尚と南朝方の恵良惟澄が争い、少弐頼尚が黒淵城に攻め込み、少弐氏の支配となりましたが、恵良惟澄が奪い返したと伝わります。
見所
現在は黒渕河川自然公園として整備され駐車場も完備。
氷川支流の河俣川右岸の丘陵に築かれており、段郭や切岸、櫓台が確認できます。
公園化の前は蜜柑畑であり、一部改変されている様です。
2022年02月05日 もっこす肥後守
黒淵城
主郭部で石積み発見。オッと思ったら説明板にミカン畑だったとの事。ミカン畑にありがちな石積みの可能性が大でした。擬木階段、遊歩道を歩いて行きましたが結構な斜面でした。本来はどちらに登口があったんでしょうね。
2014年02月04日 蒼 (唐冠魚鱗札)
黒淵城
恵良惟澄正平3年(1348年)九月の申状によれば、正平元年(1346年)少弐頼尚が八代を攻撃した時、本城はいったん頼尚の手中となったが、恵良惟澄が向城として米山に陣取って奪い返したという。城主名については不分明である。
城跡は、河俣川の湾曲に沿って南西方向へ突き出した山稜末端部の小山(標高118、5m・東側麓の道路よりの比高約30m)に位置してより、「城の平」の字名を残す。山頂部分はミカン畑となっており(公園整備前)、楕円形状の平坦部が観察されるが、削平の度合いは荒く、東側部分の鞍部にも堀切は観察されない。顕著な遺構としては山頂周囲の斜面に観察される「削り落し」のみである。北東側麓の「黒淵(字名)」の集落に関連した砦跡の感が濃い。なお『肥後国誌』には「種山城南朝ノ時ハ黒淵城トモ云シナルヘシ」と記されており、興味深い。
─山頂案内板(熊本県教育委員会)より引用─
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